519 思わぬ逃走
ネゼキュイアの野営跡をぐるりと簡単に調査してソルニウォレと合流すると、その結果を騎士の一人に報告に走ってもらう。
敵がここにいない以上、本隊にはまっすぐ東に向かってもらう。具体的な行き先の調査は数人に手伝ってもらいはするが、基本的には二足鹿で走り回る方がずっと早い。
「南西の足跡は二つが繋がっていました。」
「南東も同様です。その先に進んでいる様子はありません。」
騎士たちの報告によれば、この野営地から本当に出ていったような跡は南や西側にはなかったということだ。私も北や西の痕跡を調べたが、それも似たようなものだった。途中で引き返していたり、ぐるりとまわって野営地に戻っていたりする。
「やはりあの一番目立つ足跡が本物ということでしょうか?」
「だろうな。痕跡が他にもあれば追う側は疑わざるを得ない。少しでも時間を稼ぎたかったのだろう。」
そう評するが、実際のところはそれほど時間を稼げてはいない。ウンガスの本隊は変わらずに東へ進見続けているのだ。
勘で事を進めるのはあまり褒められたことではないのだが、今回は外す確率はかなり低いと思っている。もし、ネゼキュイア軍が北へ向かったのならば、ここから少し北を東へ向かうウンガスの部隊がその痕跡を見つけられないはずがない。
南へ行くことも考えられないこともないが、ネゼキュイアの指揮者の心情的には選択しづらいはずだ。
「我々はあの後を辿る。罠には十分注意せよ。」
敵の正確な位置と進路を把握し、本隊へと伝えなければならない。近くの町や村が襲われる危険もあるし、いつまでも好きに進ませるわけにはいかないのだ。
そして、ネゼキュイア側としては私たちに追いつかれるまでの時間をできるだけ稼ぎたいはずだ。
ネゼキュイア軍は馬車を用いている以上、ある程度以上の速度を出すことはできない。全速で進むにしても、騎士からしてみればかなり遅い進みであるはずで、罠を仕掛ける時間的猶予がないはずがない。
「東へ進んでどうするつもりなのでしょう?」
「食料の補充を考えるならば、畑から奪うのではなく収穫した作物を運ぶ馬車や倉を襲った方が早いだろう。」
一番最初に思いつく理由は食料の問題だ。最悪の場合、馬車を捨てて進むことも考えているに違いない。足の遅い馬車を連れて進むより、手近な村を襲い奪った方が早く進めると考えても何の不思議もない。
しかし、その予想は間違っているであろうことはすぐに分かった。跡を辿っていくと畑を荒らして突き進んではいても、小さな村ですら人や家畜を襲っていなかったのだ。
それに対してソルニウォレらは口をすぼめて訝しげな表情をするが、私には何となくネゼキュイアの作戦が分かった気がした。
「とにかく、東へ進みたいのだ。一歩でも王都に近づきたいのだ。」
「それは何故です?」
「ウンガスの広さを知らぬのだろう。このまま進めば、王都に攻め込めると思っているのだ。」
頑張れば辿り着ける、本気でそう思っているからこその作戦だろうと思う。
私が思いついた作戦を実行するには、可能な限り東へ進んだ方が良い。そして、機を見て実行に移せば、大軍を躱し振り切ることもできるだろう。
であれば、大きな町を襲うようなことはしないし、できないだろう。町を攻めるのに時間がかかり、ウンガス軍に追いつかれてしまっては元も子もない。
しかし、それでも時間とともに被害が拡大していくことに間違いはない。村を襲いはしなくても、進みながら畑から掠め取れるものは奪っているだろう。
何とか手を打たねばならないのだが、できることと言ったら二足鹿で先回りをして足止めをはかるしかない。恐らく敵もそれは織り込み済みで、二足鹿隊が抑え役として出てくることになるのだろう。
「一体、何をするつもりなのでしょう?」
「ネゼキュイアの作戦は至極単純だ。ミラリヨム男爵領の惨状を考えればすぐに分かるだろう?」
端的に言うと騎士たちははっとしたように目を見開く。いつ、何処でどのように進めるつもりかは分からないが、大規模に火を放つなどをして周囲に破壊を撒き散らす作戦と考えておけば良いだろう。
数の利を活かそうと考えれば、取るべき戦術は一律の命令で大雑把に動かして効果を上げれるものになる。千人を超える騎士の動きを細かく把握し、微細に計算立てた作戦に沿って動かすようなことは実質的に不可能だ。
そう考えると、周囲の野や畑に火を放つというのは実に単純明快で数で押しやすい理に適った作戦だろう。考えれば考えるほど、それしかないと思えてくるほどだ。
「どうやったら止められるのですか?」
「止めずに叩くしかない。火を消すのはネゼキュイアの騎士を殲滅してからだろう。最善は、敵が動く前に叩き潰してしまうことだ。」
順序を間違えれば、どちらも止められずに被害が拡大するだけだろう。騎士たちは顔を引き攣らせてごくりと喉を鳴らすが、ある程度の被害は覚悟を決めるしかない。
「一度、本体に戻って報告すべきかと思います。」
「それも必要だな。ソルニウォレ、走ってくれるか?」
「失礼ながら、ティアリッテ様が行くべきと思います。敵の位置確認は我々にお任せください。」
ソルニウォレは私が敵を見つけてたら突撃を仕掛けるとでも思っているのだろうか。最近は何かと敵から遠ざけようとする。
ソルニウォレの言うように偵察は誰が行っても構わない。敵の居場所と進行方向が分かりすれば、それで良い。作戦を練るため私が戻った方が良いという言い分にも否定する要素は無いの。
しかし、なんだかとても釈然としない。
腹の奥がもやもやとするのだが、なんとなく嫌だ、などと子どものような我儘を言ったところで何も良いことはない。
「では、私は戻る。其方らも気を付けてくれ。」
感情は呑み込んで、二足鹿の向きを変える。
本隊へ戻り、第三王子やザウェニアレ、ブルゲフィネを集めて作戦会議を始める。現在のネゼキュイアの動きから考えられる作戦行動について説明をすると、揃って渋面を作り頭を抱える。
「確かに理に適っているとは思うが、そこまでの作戦を敵が思いつくものか?」
「ミラリヨム男爵領を焼き払った者が思いつかないはずがありません。」
ソルニウォレらだってミラリヨムの名を出した時点で気づいたのだ。ネゼキュイアの幹部が思いつきもしないなんてあり得ない。
「とすると、我々にできる対策は被害を無視してでも敵を攻撃することか。」
「うむ。火を放って回る余力など与えない。それしかあるまい。」
「簡単に言うが、どうやってそれをするのかが問題だ。数は敵の方が多いのです、分散されると対処しきれません。」
先を急いでネゼキュイアに追いつくというところまでは意見が一致しても、そこから先の動きは決め手や実現性に欠けてしまう。数を効果的に使われるのはそれだけ脅威ということだ。
「近くの町の小領主の強力を仰ぐしかあるまい。直接戦闘をせずとも、敵の進路上に強めの魔力を撒いておくだけでも足止めになる。」
「二足鹿を使って先回りをするわけですな。いや、先回りできるならば先に火を放ってしまってはどうだ?」
ブルゲフィネはなかなか過激な案を出す。行く手が炎に遮られていれば、背後に炎を放つことはできなくなる。そこで浮足立った敵に総攻撃を仕掛ければ、少なくとも数だけで押されることはないだろうという意見だ。
「自ら土地に火を放つのか?」
「私はその方が火を御しやすいと考えるが如何か?」
ザウェニアレは非難するように言うが、ブルゲフィネは無差別攻撃よりも作為的な放火の方が最終的な被害を抑えられるはずだと主張する。
「り、理屈は分かるが、しかし、それは倫理的にどうなのだ?」
「ザウェニアレ様。お気持ちは分かりますが、どうしてもブルゲフィネ様の案を退けたいならばより良い案を出すしかありません。」
食い下がろうとするザウェニアレを止めたのは第三王子だ。
守るべき土地に火を放つなんて言語道断という思いには私も同意するのだが、火を放って敵の行く手を遮るという手段そのものは何度実行したいと思ったか分からない。
私が今までそれを実行しなかった、できなかったのはその後に収拾をつける手段がなかったからだ。今ならば、四百人で消火に当たることができる。それを考えれば、ブルゲフィネの案は十分に実行可能だといえる。
「今すぐに発案せずとも良い。だが、遅くとも昼の休憩までには決めねば騎士に作戦を周知できぬ。それに、敵の位置取り次第ではその案は使えぬ。」
川沿いを進んでいるなど、地形によっては火で進路を塞ぐのが困難であることも考えられる。そのためにも別の案を用意しておくのは大事なことだ。
昼には偵察に行っているソルニウォレらも戻るはずだ。そこで最終的な作戦を決めるということで話は一旦落ち着いた。




