512 雨の中の戦い
罠の排除のためにかなり手前から魔法を放っていれば、如何に休憩の最中であろうとも対応は間に合う。
最初の攻撃で倒せるのは、相当に間の抜けた者だけだろう。
一斉にとはいかないが、次々に爆炎が放たれて牽制の壁を作り出していく。
それに阻まれてこちらの前進が止まった僅かな時間で急いで準備を整えたのだろう。三十秒もすればネゼキュイアの騎士はいくつかの部隊に分かれて動き始める。
「やはり、包囲しようと動くようですね。」
「大集団が一箇所に固まっていても戦力の無駄ですからね。」
今の私たちのように、奥の方で何もせずに戦況を見守っていても、何も有利になることはない。敵と接する人数を増やす方向で隊列を動かしていくのが常道だ。互いに正面からぶつかり合えば膠着状態に陥るのは分かり切っているのだ。当然のように横に回り込むように動いてくる。
「オードニアムとナノエイモスを左右に広がらせよ!」
敵の動きを抑えるように、こちらも左右の部隊に厚みを持たせて当たらせる。そうすると敵はさらに横に広がってくるが、そこが狙いどころの一つだ。
「諸領連合は南側に回り込んでくる者を押し潰せ。私は北を叩く。」
戦線を横に広げていけば、どこかに弱点が発生する。どうしたって戦力を均一にはできないし、部隊が伸びていけば厚みが足りなくなる箇所が発生する。今のところ見た限りでは、伸びていく部隊の先頭が最も手薄になっている。
敵に二足鹿の動きが見えないのが不気味だが、私の場所を見極めて投入したい考えなのかもしれない。その読みが的中しているならば、私は動かずに待っていた方が良いのだろうが、別の可能性も否定できない。以前のようにそもそも別行動を取っているだけならば、不在のうちに叩けるだけ叩いてしまった方が良い。
考えても分からない以上、動くしかない。
「殿下は予定通りに指揮をお願いします。」
「任せられよ。私も役割を果たすためにここにきている。」
頼もしい返答だが、その表情はかなり強張っている。第三王子にとっては実質的に初めての実践なのだから無理もないが、今日の戦いで決着がつくとは私は思っていない。一度ぶつかり日没間際に引き上げれば、敵も追ってはこれないだろうという読みだ。
二足鹿で駆けていけば、ものの数秒で戦場の北端に着く。
「奴らの前に水を放て! 泥沼にしてしまえば馬では走れぬ!」
ただでさえ、雨が降り続いて地面は泥濘でいるのだ。水の槍をそこらじゅうに叩きつけてやれば、馬の足も苦しげになる。
さらに外側に向かおうとする前に火炎旋風を放って進路を遮ってやれば、敵の足は一度完全に止まる。
「畳みかけよ!」
叫んで火炎旋風をもう一つ放ってやると、思いがけないことが起きた。
オードニアムの騎士が炎と水を火炎旋風の中に放り込んだせいなのか、はたまた雨と事前に放った水のせいなのかは分からない。
もうもうとした白い湯気に視界が覆われたかと思ったら、巨大な旋風となって高く高く、どこまでも上に伸びていくのだ。
「な、何だこれは⁉」
そんな叫び声が上がるが、私にも答えることなどできない。見上げてみれば雲にまで届きそうな勢いで伸びていくが、いつまでも眺めているわけにもいかない。
「旋風に火炎を追加した上で、風で敵方へ押しやれ! 迷っている暇はない!」
思い切って指示を出すと、火球や火柱を吸い込んだ旋風は竜巻と化して凄まじい風で周囲の動きを奪う。
あちこちで悲鳴のような声が上がるが、呑み込まれたら無事では済まない異常事態が発生したならば、それを敵にぶつけてやれば良い。
とにかく風の魔法で押してやれば、火炎竜巻は動いていく。それが分かったならば、全力で押し込んでやるだけだ。
「このまま押し込め! 絶対に押し負けるな!」
暴風に煽られ、こちらも走り回るどころではない。押し負けてしまったら潰滅的被害を受けかねないが、幸いというべきか初動はこちらの方が早い。予想外の事態に、敵の方も押せとも退けとも指示が出ていないのだろう。明らかに少数である私たちの風に押されて竜巻はネゼキュイア軍に向かって動いていく。
とかく、巨大なものというのは速度を読み取るのが難しい。実体のない竜巻は距離感すらも掴みづらく、近づいているのかすら測りづらいものだ。ネゼキュイアの部隊がそれに呑み込まれたのだと私が気づいたのは、人や馬が風に巻き上げられ上空に吹き飛ばされていくのを目撃したからだ。
「なぜ彼らは逃げもしないのだ?」
「暴風のため、動けないのだろう。」
目の前で次々と人や馬が吹き飛ばされているのに、すぐそばで見ているネゼキュイアの騎士は助けようとも逃げようともしないのだ。ソルニウォレは不可解だとばかりに言うが、おそらくは、すでに暴風のために逃げることすらできない状態になってしまっているのだと思われる。
「あれを東へ押していけば良いのですね?」
大きくまわって移動してきたオードニアムの小隊が私たちの背後から声を掛けてくる。二十人でもこちらに加わってくれるならば、竜巻の動きも加速していけるだろう。
そして、それだけオードニアムの騎士に余裕ができているということでもある。
相対しているネゼキュイア部隊としては、西から竜巻が近づいてきているのに南のオードニアム部隊を抑えるのを止めることはできずに精神的苦境に立たされているのだろう。そんな集中力を欠いた状態で相手をしていられるほどオードニアムの騎士は惰弱ではないということだ。
大局的にみれば、ネゼキュイア軍は一度退いて態勢を立て直せば良いだけの話であり実際にそうする結果となったのだが、その指示が出るまでに百人以上の死傷者を出すことになった。
その一方で、オードニアム側の損失は無しということで、緒戦の結果としては上等なものである。
「北を抑えたら次は中央だ。私たちは南から押し込む。」
既に中央付近の王宮騎士隊は敵に押されて後退しつつある。ここでネゼキュイアの南へ回ろうとする勢いも絶ってやれば自然に中央への圧が増すはずだ。
急いで南へ走り、敵へと爆炎を浴びせていくこちらはナノエイモスに加えて諸領連合が敵の抑えにまわっているが、数の上では敵の方が圧倒的に多い。
広範囲に広がり混戦気味になっているなか、それでも拮抗しているようなところはちょっと横から嫌がらせを加えるだけで十分だ。敵の足並みが乱れればそこから切り崩していくこともできるだろう。もし、そこまで至らなくても大した問題ではない。数十秒の時間を稼ぐことができればそれで十分だ。
優先すべきは孤立して苦戦を強いられている小隊だ。危機的な状況ではあるが、逆に言えばそれを取り囲んでいる敵はほぼ無防備だ。背後から雷光を放てば、ばたばたとネゼキュイアの騎士は倒れていく。
「確実に潰していくぞ!」
あっという間に数の利を失い混乱に陥った敵の小隊など、もとの戦力の数分の一以下にまで落ちる。挟撃するように回り込んでいきながら爆炎を放っていれば、組織的な対応もできずにあっという間に全滅した。
「其方らは他の小隊の加勢に行け!」
「承知!」
包囲され、劣勢に立たされている小隊や中隊は他にもある。小隊が一つ自由に動けるようになったのならば、加速度的に戦局を動かしていけるだろう。
「ティアリッテ様!」
「分かっている。あれが参戦する前に可能な限り敵の数を減らすぞ。」
東側に陣取る敵のさらに東から近づいてくる小隊が一つある。その速度から二足鹿であることは間違いないだろう。今までどこに行っていたのか、やはりこの大部隊の中にはいなかったようである。
ならば、これまでの作戦を続行するまでである。
「討ちにいかないのですか?」
「すぐに参戦してこない方が好都合だ。こちらの位置を知らないならば作戦を立てる時間が必要だ。」
私の方針にソルニウォレは疑問を唱えるが、焦る必要はない。問答無用で突撃してくるようならば迎え討ちに行かねばならないが、敵味方の確認もせずにいきなり突っ込むようなことはしないだろう。
敵の方針が固まるまでの数十秒で、可能な限りのことをしていけば良い。
ただし、爆炎も灼熱の飛礫も使わないし、二足鹿も決して走らせはしない。敵味方入り乱れる中を右へ左へと行きながら、すべて雷光のみで敵を仕留めていく。
隣で戦っている味方が突然倒れれば、たいていの騎士は動揺する。混乱まではしなくても、その原因を探して周囲を確認する。
その数秒をあちこちに作り出してやれば、戦場の形勢はこちらに傾いてくる。




