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507 接敵を避けて

 二足鹿(ヴェイツ)に餌と水をやりながら丘の上からしばらく見ていると、ネゼキュイアの部隊は一度西に少し戻っていき、そこから北へと向きを変えた。


「どうして、あのような中途半端なところから進むのでしょう?」

偶々(たまたま)だろう。無作為に方角を決めて何人かに安全を確認させに行き、無事に進めたのがあの位置だったのだろうな。」


 遠すぎてよく見えはしないが、間違いなく東や北、そして西にも安全な道を探すための調査部隊を出しているはずだ。それらが無事に戻ってきた中で最も進みたい方向に適合していたのが北方面というだけと考えるのが自然だ。


「さて、私たちもそろそろ動くか。」

「あの状態ならば我々だけでも打撃を与えられるのではありませんか?」


 ネゼキュイアの軍はやはり細長い列を成して移動しているため、進軍速度は遅い。犠牲を最小にしようとしたら広範囲に調査を出せないのは分かるのだが、横から見ればこれは悪手である。


 隊列が長く伸びきったところで横から奇襲を受ければ対応しきれないだろう。騎士がそこを突こうと思うのは当然だ。


「我々が今攻撃してしまえば、もう二度とここまで油断してくれることはなくなってしまうだろう。」

「難しいですね。この好機が明日も続いてくれれば良いのですが。」


 次の休憩の時には危険を指摘する者が出てくる可能性は否めない。それを考えると今のうちに敵戦力を削っておくというのも悪い考えではないのかもしれない。


「今日は魔力をかなり使ってしまっている。あの勇者がどこにいるかも分からないのに、迂闊に攻めることはできぬ。」


 そう判断を下し、丘の斜面を南に降りていく。


 周囲を見回しても特に敵らしき影はない。むしろ気になるのは空模様だ。空を見上げると雲の占める面積が朝よりも増えてきている。遠く南東の空には暗雲が広がっているが、風向きから考えるとウンガスの本隊の辺りはちょうど降っているのではないだろうか。


「あれに襲撃をかけるならば、雨が降り出してからだな。」

「雨が降ってからですか?」


 騎士は疑問の声を上げるが、雨が強いほど大人数の利点が消える。嵐ともなれば、最悪、足の引っ張り合いとなる可能性すらある。


 とはいえ、私たちの目的はあくまでも偵察だ。優先されるべきは情報を持ち帰ることで、敵との交戦は慎重に判断しなければならない。


 と思った矢先に後方に騎士の気配を感じた。


「方向転換せよ、全速で森へ向かう!」


 敵が味方か分からないが、警戒しておくに越した方がないだろう。距離をとり、隠せるなら身を隠しておいた方が良い。ちょうど良いことに、すぐそこに森がある。


 走り出してから振り返ってみるも、気配の主の姿を視界に捉えることはできなかった。が、森の端に着く直前に再度振り返った時には、丘を駆け下りてくる集団の姿があった。


 その速度から二足鹿(ヴェイツ)であることは明らかだ。数が十数はあることから、オードニアムやモジュギオの偵察隊ではない。


「勇者だと⁉」

「何故、こんなところにいるのだ⁉」


 何をどうしたのかは全く分からないが、私たちを追っているのがネゼキュイアの二足鹿(ヴェイツ)部隊であることは明らかで、こちらも即座の対応が必要だ。


「走りながら森に入れる小道を探せ!」

「この状態で森に入るのですか?」

「入った後、背後の道を塞ぐ!」


 森の獣道は街道ほど広くはない。周辺の木々を爆炎で倒してやれば二足鹿(ヴェイツ)と言えども入ってこれなくなるはずだ。


「ありました!」


 ソルニウォレが声を上げると、私たちは一列になって獣道へと飛び込んでいく。一人がやっと通れるかという道だが、二足鹿(ヴェイツ)はこともなげに進む。


 むしろ二足鹿(ヴェイツ)の背に乗っている私たちの方が大変だ。状態を完全に伏せていなければ、横から伸びてきている枝葉が顔や胴に直撃するだろう。


 そんな中でも必死に後ろを振り返って爆炎魔法を振り撒く。


 入り口付近にだけ爆炎を放てば目印になってしまうため、中心としてしまわないようできるだけ広範囲を爆炎で覆うのが大事なところだ。


 道なりに進んでいれば、木々に隠れ入り口付近はすぐに見えなくなる。藪の途切れたところで右へと折れて道もない森の中を突っ切っていく。


 森の中での歩みはどうしても野を行くよりも遅くなる。入り口付近まで追い付いてくるまではネゼキュイアの二足鹿(ヴェイツ)の方が圧倒的に速い。


 それは、気配を察知できる範囲内にまで近づいてきた追手たちの動向が分かるということでもある。


 しばらく森の入り口付近を行ったり来たりしていたが、諦めたのか南へと走っていった。先にあるはずの街道で待ち伏せるつもりなのか、本隊に戻るつもりなのかは分からないが、去ってくれるならば都合が良い。


「全員、行きましたね。」

「我々に背後を取られるとは思っていないのでしょうか?」

「警戒くらいはしているだろう。それよりも、罠の存在を恐れた可能性が高いな。」


 休憩している最中に北から東を罠で塞がれてしまったのだ。まだ何かしらの手段を残している可能性を考えたら深追いはできなかったと思われる。


「罠といえば、ネゼキュイアも何かを残していてもおかしくはありませんね。」


 森に隠れた私たちが元の場所から出ようとした場合のために何かしているかもしれないと騎士は言う。


「確かに、何かを仕掛ける時間くらいはあったな。森の外に出て確認してみるか。」


 森の中からは罠を見つけられなくても、外からならば分かる可能性もある。どのような罠を作るのかが分かれば、今後の役に立つだろう。


 藪を掻き分けて森の外に出ると、雲が近づいてきていた。雨が降り出す前に確認作業は済ませてしまいたい。


 二足鹿(ヴェイツ)を急がせて戻ると、何かが仕掛けられているのは一目瞭然だった。


「何かありますね。」

「あからさまだな。あの袋には毒でも入れてあるのか?」


 森の中は見えないように藪と下草の陰に紐をいくつか渡し、その先が袋につながっている。あの紐を蹴飛ばしたり爆炎で周囲ごと吹き飛ばせば、袋の中身が周囲に撒かれるという寸法だろう。


 袋の中身が気になるところだが、それを確認する手段もない。城に持ち帰り薬師に確認させれば判明するのかもしれないが、今はそんなこともしている時間もない。


「数十秒あれば、この程度の罠は設置できるということか。今はそれが分かれば十分だろう。」


 敵陣に近づくときには爆炎と暴風ですべて吹き飛ばしながら進めば罠にかかることはない。奇襲の効果は弱まってしまうが、敵の側で考えればそれで十分効果がある。


 その後は急いで南を目指すと、少し先でネゼキュイアの行進の列が南東に向かっているようだった。


「さすがに南に進み続けはしないようだな。」

「先回りして魔力を撒いてみましょうか?」

「それも良いが、二足鹿(ヴェイツ)隊の動きには気を付けねばならぬ。相当に警戒されていると思った方がいい。」


 あれが一体いつ本隊を離れたのか、予想外のタイミングで迫ってきた。今もどこをどう動いているのか予想もつかない。本隊に戻っているかもしれないし、まだ私たちを探して周囲を走り回っているのかもしれない。


「我々は既に見つかっている可能性もありますね。」

「見つけておいて近づいてこない理由は……、雨か。」


 私たちが雨に紛れてネゼキュイア軍に襲撃をかけることを考えているのと同様に、ネゼキュイア側も雨を利用しての襲撃を思いついたのかもしれない。


「そうすると、本隊に対する直接攻撃はやりづらいな。」


 雨に紛れることを思いついたならば、私も同じことをする可能性くらいは考えるはずだ。そうなれば、取りたい戦術は挟撃からの包囲だろう。


 もちろん、これらは考えすぎである可能性もゼロではない。しかし、決して切り捨ててしまうことはできない。


 二足鹿(ヴェイツ)隊が予想外のタイミングと方向からやってきたことが私たちの行動を縛っているのは間違いない。


 本当に嫌な手を打たれたものだと思う。忌々しいことこの上ないが、敵の手腕を認めざるを得ない。


 先日からずっと、私は策戦で勝てているとは思えない。力技でなんとか切り抜けているが、そんなものは策戦ではない。


 私でなければできないのであれば、勝ち目がないことになってしまう。何とかして頭を振り絞って敵を上回らなければならないだろう。

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