503 モジュギオ公爵と
「よく戻られた、ティアリッテ・シュレイ様。」
モジュギオの城に戻ると、公爵自ら迎えに城の入り口までやってきた。黙って部屋で待っていることもしたくないほど焦れているということだろう。まさか、暇を持て余しているなどということもあるまい。
すぐに会議室に通されると、彼我の状況についての説明を求められた。
「直近の話から言うと、昨日の昼頃、東の山の付近で敵の大部隊を発見した。」
地図で場所を説明すると、モジュギオ公爵は意外そうに片眉を上げる。公爵が今まで得ていた情報によると、ネゼキュイアの偵察と思しき騎士が発見されていたのはムスシク伯爵領の境界付近が最も多いとのことだ。どこに攻めるのでも中途半端なところに本陣を構えているとは思わなかったらしい。
「そんなところで二十日以上も一体何をしていたと考える? 其方の攻撃を受けてから態勢を立て直すにはそこまでの時間は必要ないはずだ。」
「北の部隊との連動ができなかったのが効いている可能性が高いと思っている。どこに攻め込むのが効率的か、調査することに時間を使っていたのだろう。」
私と戦っていなければ、北の部隊など関係なしに突撃してきた可能性はあるが、たった七人の私たちに二足鹿に乗る上級騎士を倒されてしまったのだ。慎重に進めようとする者が出てきても何の不思議もない。
それに中心人物である勇者が部隊を離れたのが本当に事実ならば、動くに動けなかったと考えても問題ないだろう。主力がいない状態で無謀な攻勢をかけるとなれば、全滅の憂き目にあう覚悟も必要だろう。
「それで、ネゼキュイアの部隊はどう動くと考えている?」
「おそらく、数日内になりふり構わない攻勢をかけてくるだろう。」
「数日という根拠は?」
「補給路に嫌がらせを加えてきた。後退しないならば短期決戦を挑んでくるだろう。」
ただし、その前に馬車の荷を回収する必要がある。今頃、出発している可能性はあるがモジュギオやメレレシアの最寄りの町まで二、三日かかるはずだ。
「二、三日か。二足鹿を使えば連絡は間に合うだろうが、どの辺りに来ると予想する?」
「現在地より南東方向だろう。南のムスシク伯爵領で偵察を発見したというのは、おそらく欺瞞工作だ。」
侵攻動機を考えると、ネゼキュイア軍が南に進む利点が無い。北の部隊と近づきすぎるのは悪手だが、離れすぎても利点が薄くなってしまう。こちらの戦力を分散させ、防衛体制に迷いを生ませるのが狙いのはずなのに、その効果を捨ててしまったのでは相対的に戦力が下がってしまう。
「南東ならばセルメイかリオネグのどちらかだな。二百はすぐに出せるが、間に合うか微妙なところだな。」
「時間を稼ぐ方法ならばある。」
公爵は眉間に皺を寄せて中空を睨むが、時間に関しては私は心配していない。
領都の近くに待機している騎士が馬で現地に移動するのに二、三日。必要な時間は同じだ。
二足鹿を走らせて川の渡りやすそうなところに大量に魔力を撒いておくだけで一日は時間を稼げる。上手くいけば、敵の数十減らすこともできるかもしれない。
「本当にそんなことで足止めになるのか?」
「毒が撒かれていると知れば、どんな愚か者でも足を止める。」
不安そうに確認してくるが、これは何度も成功させている作戦だ。私は自信をもって答えられる。とはいえ、川岸の全域に魔力を撒けるほどの余裕はないだろう。いずれ、敵は川を渡ってくることになる。
「その後、敵は周辺の村を襲って食料を略奪することを優先するだろう。そのための斥候を発見、撃滅するのが肝要だ。」
焼け野原では食料調達など望むべくもない。想像するに、ネゼキュイア騎士たちの食料事情はかなり悪いだろう。下が不満を溜めすぎれば、どんな計画も失敗する。
騎士が守りを固めていることが容易に想像できる町を攻める前に、食料の不満は解決しておきたいはずだ。
「戦いの前に精神、身体ともに万全の態勢にしておきたいと思うのは私も同意する。」
消耗した状態で敵に当たることの利点などない。北の部隊との連携のために仕方がなく、ということもあるだろうが、半日程度の差ならば食料確保を優先するだろうと思う。
その後、北の境界付近に待機している援軍の状況なども情報交換をすれば、今後の大雑把な方針も決まる。
そこからさらに詳細を詰めて作戦指示の書類を小領主や待機している騎士に向けて出す。
私の方は北の援軍の方へ向かうため、南の部隊はモジュギオ公爵らに任せることになる。
「ところで、ティアリッテ・シュレイ様。騎士の数が少ないようだが、どうなされた?」
ミュンフヘイユは連絡の書類を持ってモジュギオの城を訪れたこともある。何度か見た顔が私の後ろにないことは気になったのだろう。私としては思い出したくもないが、ミュンフヘイユの死をここで誤魔化す意味はない。
「ミュンフヘイユと三人の騎士は戦いの中で失う結果となってしまった。」
「なんだと? 彼らは王宮の騎士の中でも選りすぐりの精鋭なのだろう?」
「単純な強さというより、執念だ。戦場とは、一瞬の油断が命に関わるものだと改めて思い知らされた。」
倒したと思って気を抜いた結果がそれだ。敵が落馬しただけで死亡の確認もしていないのに油断してしまえば、どんな精鋭でも命を落とすのだと繰り返し強調しておく。
「落馬した騎士からの攻撃か。それは……、苦しいな。」
その状況を想像すると、自分も同じように無視してしまうかもしれないとモジュギオ公爵は言う。
「小領主らにも注意喚起が必要だろう。」
「驚くほど執念深い、とも伝えると良い。」
延々と追い回されたことも付け加えておく。包囲の突破に力を使いすぎていなければ撃退もできたのだろうが、それを見抜かれてからのしつこさは尋常ではない。
勝てると思った相手はどこまでも追いかけてくると言っておいた方が良いだろう。
一通りの話が終わると、私は客室へと案内された。公爵はそんな素振りは見せていなかったが、かなり酷い臭いがしているのは間違いないだろう。
用意された部屋でありがたく湯浴みをさせてもらう。
お湯に浸した布で肌を拭うと、汚れが文字通りぼろぼろと取れてくる。
できるだけ気にしないようにしていたが、前回、湯浴みをしてから一体何日が経ったのだろう。そう思ったのだがふと我に返り、そんな日数など数えたくもないと気づいた。
丁寧に洗った下着を身に着けてベッドに倒れこめば実に気持ちが良い。不覚にも夕食の時間まで眠り込んでしまった。
「我が方の戦力も整いつつある。不毛な時間も、もう終わりだ。」
私も呼ばれた夕食の席でモジュギオ公爵は声を大にする。
食事時の話題として適切とは思えないが、この城から出す戦力も明朝が最後の出発だ。領主である公爵本人は戦場に出向くことはないが、領主一族からも既に何人かが出ていると聞いている。
ここに残っている者たちにはその分の仕事の皺寄せがいっているはずだが、だからこそ、もう終わりだと宣言したいのだろう。
「数日もあれば戦いの決着は着くだろうが、我々の仕事はそれでは終わらぬ。」
「復興や支援を考えると、本当に頭が痛くございます。」
「他領のことばかりでもない。これからの戦いはモジュギオの領内にも及ぶ。被害を完全に出さぬようにすることは難しいだろう。」
北の端の一部ではあるが、既にモジュギオ公爵領にも被害が出始めている。放たれた炎は村や町を灰にするまでには至っていないため被害は軽微といえる範囲だが。笑って済ませられることではない。同じようなことを領地内全域に拡大されれば大打撃だ。
もちろん、そんなことをさせるつもりは毛頭ないが、モジュギオ公爵領もまったくの無傷のままでいられるわけではない。
「今後のことも大事だが、まずは目先の勝利だ。騎士たちの健闘と武運を祈ろうではないか。」
険悪な雰囲気のままで食事などしたくはないと思うのは私だけではない。先代領主が盃を高く掲げると、全員で「健闘と武運を」と同様にした。




