499 犠牲
私が一人で向かってくるのがそんなに想定外だったのだろうか。ネゼキュイアの騎士は一秒ほども迷ってから私へ狙いを定めるために向きを変える。
その間が命取りだ。私の放つ雷光は、届く範囲内の敵を確実に撃つ。互いに攻撃圏のぎりぎりから撃ち合えば、魔法そのものの速度で雷光が勝つ。
敵も炎を撃ち出してきているが、奔流というほどでもなく少し大きい炎の玉といったところだ。術者がそう意識しなければ、放たれた炎が私を追ってくることもないし、水の玉をぶつけて威力を弱めてやれば十分に回避が可能だ。
とはいえ、こんなやり方が通用するのは一対一の場合だけだ。敵が大きく広がっているからできるのであって、連携した複数の敵を一人で相手にするのは非常に難しい。
敵も同じ愚を何度も犯すつもりはないらしく、急いで集まる動きを見せる。その間にオードニアムの騎士は右へと大きく進路を変えながら牽制の魔法を放ち続ける。彼らも生き延びるために必死だ。敵の数が減った右側へ寄っていくのは当然のことだろう。
そして、それは実に正しい判断だ。毒を撒かれることを恐れているネゼキュイアの騎士たちは、オードニアムの騎士の真後ろを追うことができない。必ず左右のどちらかに外れて進もうとする。内側を私が抑えていれば、外側を大きくまわるしかない。
「さらに右だ! 奴らを横に回り込ませるな!」
大声で叫んでやれば、二人の騎士はさらに旋回半径を小さくして右へとまわってくる。そのまま動いていると、私の後ろという位置取りになるが、これは狙い通りだ。私の正面には乗り手を失った二頭の二足鹿が並んで走っている。
その間に体をねじ込ませてやり、左右の手綱を取ってやると二足鹿は暴れる様子もなく大人しく従う様子を見せる。
「これに乗り移れ! 馬では不利に過ぎる!」
叫んで減速すると、後ろから追い付いてきた騎士二人は必死に二足鹿の背に飛び移ってくる。二足鹿は馬よりも背が高い上に走りながら乗り移るのは相当な困難だろうが、それでも二人は必死に登って鞍の上に座る。
こうなれば、心配の一つはなくなる。馬と二足鹿の差がなくなってしまえば、戦力差は単純に三対八と数えられることになる。もちろん、オードニアムの騎士は二足鹿に乗るのは初めてのはずだし、その熟練度はネゼキュイアの騎士よりはるかに劣るものだろう。
しかし、敵はそんなことは知らないのだ。目の前で走りながら馬から乗り移ってみせたのだから、相応の訓練を積んでいると想像しても何の不思議もない。
「このまま北へ向かう。」
「敵はどうするのです?」
「心配するな。このまま追ってくるだろう。」
振り返るまでもなく、追撃の態勢に入ってきている。少しだけ二足鹿の足を速めて少しだけ時を過ごせばいい。試しに加速してみれば、オードニアムの二人の二足鹿も調子を合わせて走ってくれる。騎乗している者が不慣れであっても、一緒に走ろうとする二足鹿の習性があれば、特に問題なく進めるようである。
あとはどう仕掛けていくかだが、とりあえずは味方を探す方向で良いだろう。
どこかにソルニウォレやミュンフヘイユがいるはずだし、小領主の騎士も野火を鎮めるために頑張っているだろう。
人間、一度やり始めたら、途中で考えを改めるのは難しい。
追手たちは追うと決めたのだから、それを諦めるには何らかの切っ掛けが必要になる。具体的にそれは、私たちの増援があった場合だと思っている。
煙に近づきすぎないように五分ほども走っていれば、狙い通りに騎士と思しき集団の気配を感じた。数人が固まったまま動こうとしていないが、休憩の最中なのだろうか。
「頭上、天高くに火柱を上げられるか?」
「火柱ですか?」
「近くにいる友軍に向けての合図だ。」
そういえば、どんな意味なのかなどという質問をしてくることもなく火柱を高々と打ち上げる。ソルニウォレやミュンフヘイユならば、それを見て私だと分かるはずだし、小領主の騎士ならば近づこうとはしないはずだ。
どちらであるかと様子を窺いながら走るも、動く気配はない。真横に気配を感じながら通り過ぎて北へと走っていくも、隠れるようにじっと動かないままだった。
すっかり通り過ぎてあれは小領主の騎士だったかと溜息を吐いた直後、隠れて動かなかった騎士が猛然とこちらへ迫ってきた。
「何か来ます⁉」
その気配を感じたのか、オードニアムの騎士が上擦った声を上げるが、こんな動きをするのは明らかに私の騎士だ。
「あれは友軍だ! 挟撃するぞ、敵の攻撃は爆炎で撃ち落とせ!」
「承知しました!」
彼らが私たちを追う敵の背後を取るならば、私のすることも一つだ。速度を緩めていき、牽制の魔法をいくつも放つ。
私の魔力も限界が近いが、だからこそ出し惜しみなどしてもいられない。敵の視界を埋め尽くす勢いで雷光を放ってやる。魔法の届く範囲外にいれば何の影響もないのだが、無闇に近寄れば命がないぞと威圧する効果くらいはあるだろう。
そして、前に気を取られていれば、後ろの警戒が疎かになる。背後から撃たれたのだろう、二人の騎士の気配が霧散する。
残り、六人。
勝利が一歩近づいたと思った矢先に、信じがたいことが起きた。
敵の一人の気配が取り残されたと思った直後、それを追ってきたミュンフヘイユらの気配の半分が消え去ったのだ。
「右旋回!」
慌てて二足鹿を急旋回させるが、目に入ってくるのは煙の方へと突っ込んでいくネゼキュイアの騎士と三人になってしまった私の騎士だけだった。
「何が、あったのだ?」
「申し訳ありません。油断いたしました。落馬した敵騎士が最後の力でミュンフヘイユらを撃ったのです。」
そんなこと、聞かなくても分かっている。
常識的には、落馬してしまった騎士を戦力と数える方がおかしい。そこに油断が生じてしまった理由も分かる。
だけど、分からない。
私は、一体、何を間違えてしまった?
部下の三人だけではない。オードニアムから借りた五人までも失うことになってしまった。
そのうえ、敵を仕留めきれずに取り逃がしてしまっている。
勝利などというにはほど遠い戦果だ。
腹の底から、わけの分からない熱がこみ上げてくる。
歯をくいしばってそれに耐えていると、声を掛けられていることに気づいた。
「……ティアリッテ様。」
「一度、陣営に戻りましょう。」
顔を上げてみるも、頭の芯が痺れたように動かない。数分前からの光景が頭の中でぐるぐると回る。
「ああ、そうだな。」
「ティアリッテ様⁉」
なんとか振り絞って返答をしたものの、変に上擦った声になってしまう。部下たちを心配させただけだった。
「誰が、残っている?」
視界が歪んで、顔がよく見えない。
「ソルニウォレです。」
「ミアリファンでございます。」
「ザマエレオです。」
「ノーグネッセ・ファラムスでございます。」
「パナンファント・スレーエムでございます。」
一人ずつ名乗り、私たちはゆっくり南へ向かう。
途中でミュンフヘイユら三人とオードニアムの騎士五人の遺体を回収し、国軍の陣営拠点に着いたのは夜が更けてからだった。
二足鹿を預け私たちも休んでいると、程なくして部隊長がやってきた。
正式な報告は朝になってからと思ったのだが、伝令に起こされたザウェニアレは今すぐの報告を求めることにしたらしい。
「預かった兵のうち五人と七頭の馬を失う結果となってしまった。大変申し訳ない。彼らの遺体はあちらに安置してある。」
「損害が皆無のまま帰ってくるとも思わなかったが、半数以上を失うのも予想外だ。その犠牲を払って、何を得たのでしょう?」
当然のことながら、ザウェニアレは何のために騎士たちは死んでいったのかの説明を求める。私もその立場ならば同じように質問するだろうが、それがこれほど辛いものだとも思わなかった。
「討った敵の数は七。それに、二足鹿三頭を持ち帰った。」
辛うじて討った敵の数の方が上回っている。それと、二足鹿を確保できたのが救いだ。しかも、取り残された一頭が私たちを追いかけてきていたのは思いがけない幸運だった。一緒に連れてきた二足鹿は何らかの役に立ってくれるだろう。
「先日も聞いたが、その二足鹿は有益なのか?」
「それはノーグネッセやパナンファントに尋ねると良いかと思います。」
私の言葉よりも、ザウェニアレの配下に聞いた方が信頼性は高いだろうと思う。実際に敵として相対し自らも騎乗した者にとっては、馬との違いは明らかだろう。




