498 苦戦
部隊長との会談は、そう時間がかかることもなく終わった。城の応接室ならばともかく、茶器の用意もままならない野営地ではのんびりと雑談に花を咲かせることもない。
互いの状況を簡単に説明し、今後の方針を確認し合ってその大部分を終えた。最後の話題は、直近の動きについてだ。
「付近を荒らしている者を討滅するため、数名の騎士をお貸しいただきたい。」
「もう、逃げられているのではないか? 待っていればティアリッテ様の配下もここにやってこよう。」
ザウェニアレは気楽なことを言うが、そんなに簡単に済むとは思えない。私を追うことを諦めるのは、この国軍に合流したことを確認してからに違いない。
ネゼキュイアとしては、何としてもその前に私を仕留めたいはずだ。その立場に立って考えると、数人を偵察に出して残りはどこか近くで休んでいるだろう。
ここまで来て、私の行方を確認もせずに隊に戻るなんてことは絶対にあり得ない。
ネゼキュイアの者が私の名前もバランキル王国の貴族であることも知っていたのだ。ならば、戦力的にどのような位置付けにあるかも知っていると思った方が良い。
「ネゼキュイアは私がウンガス進攻における最大の障害と認識していると思われる。それに、何重にも巡らせた罠を用意し、多くの犠牲も出しているのに逃げられたでは面目も立たぬはずだ。」
その私を仕留めるためには周囲に火を放つことも厭わず、手段を選ばず釣り出すための作戦を行うだろう。
そう説明すると、ザウェニアレは七人の騎士を貸してくれた。
オードニアムは二足鹿を持っていないため全員が馬を使うことになる。二足鹿と馬の速度差は気をつけなければならないが、全くどうしようもないわけでもない。
それに、あの追手と戦うのはあくまでも私であり、あるいはソルニウォレやミュンフヘイユなどの私の騎士の仕事だ。
野営地を出発して一時間ほども北西へと進めば、遠方が煙で霞んでいるのが見えてくる。距離がありすぎるため、火災の規模が拡大しているのかまでは定かではないが、少なくとも未だに燃えている場所があるのは明白だ。
「無理のない範囲で急いでくれ。」
馬が動けなくなってしまっても困るため、出せる速度にも限度がある。何とももどかしいが、小領主の騎士たちも頑張っているのだと信じるしかない。
さらに一時間進んだところで、一度休憩を取る。壁のようにも見える煙はすぐ近くまで近づいており、この辺りまで嫌な臭いも流れてきている。
それはつまり、敵に遭遇する危険性も高いということだ。できるだけ馬は万全の状態にしておきたい。
水は桶に入れてやるだけで良いのだが、餌の方が少々面倒だ。このまま野営ということであればそこらの草を好きに食ませておけば良いのだが、できるだけ短時間で発ちたい場合は草の先端部の茎や葉の柔らかい部分を選んで桶に入れてやることになる。
数分の休憩を終え、煙に向かっていくと嫌な臭いも段々とキツくなってくる。鼻だけではなく目にもしみるようで非常に不快感が強い。
それは馬や二足鹿も同様であるようで、前に進むのを嫌がるようになってくる。
風の魔法で煙を可能な限り西へと押し流すようにしてはいるが、周囲全てが煙に囲まれてしまってはどうしようもない。
「これ以上先へ進むのは無理です。敵もこんな所には潜んでいないでしょう。」
「可能ならば火元を確認したかったが仕方があるまい。水を撒きながら南へまわる。」
どのような状態になっているのかは分からないが、万が一を考えて延焼防止のために水を撒き、草を土に埋めながら進んだ方が良いだろう。
ザウェニアレに貸し出されたのも上級騎士だ、その程度の魔法を魔法を繰り返したところで大した消耗もない。野を火で焼くやり方に憤りを見せる者も少なくなく、消火や延焼防止のために力を使うことに反論はなかった。
「つまり、我々がこうして鎮火のために動くところを個別に撃破しようというのが敵の狙いでありますか?」
「おそらくそうだろう。私たちが立場的にこの火災を放置することもできぬことも分かってやっているのだ。」
とにかく延焼防止措置をとりながら、炎の周りを南へと進んでいく。馬や二足鹿が嫌がるため、燃えているところまで進むことができないが、それはもう諦めるしかない。
そして、時折背後に向けて広範囲に濃い魔力を撒いておく。
周囲にも気をつけて進んでいれば、背後から十数の気配が高速で近づいてきた。
二足鹿と思しき速度の集団が、魔力を撒いたところで急停止しているのだから敵で間違いない。恐らく、一人か二人が二足鹿を失ったものと思われる。
「敵だ。其方らは全速で南西へ離脱せよ。敵に対する牽制は怠るな。」
「ティアリッテ様は?」
「其方らを追う敵を背後から撃つ。」
二足鹿と馬の速度差はここに着く前に一度見せている。何をどう頑張ったところで、馬では二足鹿の速度に及ばない。
退却すれば、敵は二足鹿の速度に任せて包囲しようとするだろう。
その外側からならば、敵を一人ずつ撃っていくのは不可能ではない。魔力は半分も回復していないが、雷光を数十発撃つ分には何の問題もない。
オードニアムの騎士たちが馬を一斉に走らせるのを見送り、私はその場で二足鹿にしゃがませる。
非常に臭いし気分の良い場所ではないが、だからこそ敵もこちらにはやって来ずにオードニアムの騎士に向かって二足鹿を加速させる。
「行きますよ。」
二足鹿に声を掛けて合図を出すと、こちらも猛然と加速する。こんな所からは一秒も早く立ち去りたいとばかりに、空気の綺麗な南西へと突き進む。
追いながら見ていると、ネゼキュイアの騎士は、左右に隊を分けて包囲する動きを見せる。私の狙いは取り敢えず両翼を無視して最後尾の一人を狙う。
私の二足鹿が頭を低く下げて、全速力の体勢を取るとみるみるうちに、前方を走る者たちが近づいてくる。
二百歩、百七十歩、百四十歩。
目測で距離を掴みながら近づくが、ネゼキュイアの騎士に気付かれている様子はない。
もし、あれがミュンフヘイユらならば、私の接近に近付かないはずもない。そう判断して遠慮なく三人を雷光で撃つ。
騎士は声も上げずに乗っていた二足鹿から転げ落ちるが、二足鹿の方はそうでもなかった。
突然、主人を失った二足鹿はグァーグァーと大きな声で鳴く。
そうなれば両側に回り込もうとしていた者たちも私の存在に気付く。
気付かれないまま、半数を撃滅できれば上等と思っていたのだが、やはりそんなに上手くはいかないようだ。ならば、標的を私に切り替える前にもう一撃してから敵の攻撃圏から離脱するべく二足鹿の向きを大きく右へと変える。
そうすれば、敵は一人である私を追ってくると思っていたのだが、予想外の行動に出た。
なんと、用意していた炎の奔流を全てオードニアムの騎士に向けて放ったのだ。慌てて飛礫を放ち、右側からの攻撃の妨害をしてやるが、それだけで足りるものではなかった。
ネゼキュイアの追手は約半分の十人まで減らせているが、それでも七人の騎士にとっては十分に致命的だ。直撃を避けられなかった五人の命はないだろう。
辛うじて躱すことに成功した二人も、追われればすぐに捕まってしまう。何より二人だけでは牽制の圧が弱すぎる。
私がこのまま撤退の動きを見せれば、ネゼキュイアの追手はより確実な相手を葬ることを選ぶつもりなのだろうか。
その迷いを与えられた時点で私の負けだ。
戦いは相手を精神的に追い込むことが肝要だと教わっている。今、追い込まれているのは明らかに私の方だ。起死回生の策がないかと願って出てくるほど、戦は甘くはない。
こうなれば、腹を括るまでだ。せめて倒された騎士と同じ数を屠らねば、ザウェニアレに顔向けができない。
二足鹿を左に旋回させ、爆炎を放ちながら再び距離を詰めていけば、今度はネゼキュイアの騎士が動きを固くした。




