489 無人の町で
畑に魔力を撒くと作物の成長が良くなるが、撒きすぎると周囲に害に及ぼす。どのような害があるかはやってみれば明白だ。
「つまり、人や獣が動けなくなるのですか?」
「いや、ほぼ間違いなく死ぬ。全ての生き物には耐え得る魔力量というものがある。」
一般には強い魔力を持つ者の方が濃い魔力に耐えられる。あの程度では騎士にはほとんど影響がないだろう。
だが、馬や二足鹿はそうはいかない。
踏み込んだが最後、逃げることすら叶わずにその場で倒れて生命を失う。
「恐らく今のところは、ネゼキュイアには私たちが毒を撒いたと認識されているだろう。」
「有効な対策はあるのですか?」
「魔力撒いた範囲に近づかなければ何の効果もない。ネゼキュイアの騎士が周囲の魔力を感じ取れるようになったら、全く通じなくなる。」
何となくでも魔力を感じ取れる者がいれば、何をしたのかは見破られるだろう。それから対策が講じられるまでにどれほどの時間がかかるのかは全く読めない。
とはいえ、今日明日くらいは深追いしてこないだろうと思う。その間にできるだけのことをしておきたい。
「もう一つ手段があると仰っていましたが、それについてもお教えいただけますか?」
「私の魔法が届く距離は最大で三百歩を超える。体力と魔力の消耗が激しいため乱発はできぬのだがな。」
「さ、三百歩⁉」
騎士たちが驚くのも無理はない。私の魔法が二百歩先を撃つことは知られているが、それ以上先まで撃って見せたことはない。
常識的な話としては、騎士の訓練は百歩先の的を狙うものだ。
魔物退治では二百歩先を見通せないことも多いため、百歩先の魔物を狙って仕留めることができれば十分である。三百歩先を狙う場面など、私も遭遇したことがない。
ミュンフヘイユらに言うつもりはないが、私が一歩でも遠くの敵を撃てるようにと訓練してきたのは基本的にウンガスの騎士へ対抗するためだ。
敵の攻撃圏外から一方的に叩き潰すことができれば、包囲の突破くらいはどうとでもなる。
一万を超える数を集めてきたならばそれも通用しなくなると思うが、二千人規模の包囲ならばそれで崩せるものだ。
「今考えねばならない事柄は、何故私が三百歩先を撃つ訓練をしてきたかではない。どうしたらネゼキュイアの者が私を追うのを諦めるかだ。」
逸れかけた話を戻して、私たちが今解決すべき課題を挙げる。
これほど執拗に追い回されるのは、正直なところ想定外だ。力の差を見せつけてやれば引き下がっていくものとばかり思っていた。
敵の数が数十程度ならば撃破して終わりなのだが、二千ほどの大部隊となるとそう簡単に倒せるものではない。
「恐らくネゼキュイア軍は、ティアリッテ様を排除すべき脅威と認識しているのでしょう。」
「名前を知っている者がいたことを考えると、ティアリッテ様以上の脅威がないことも知っているのかもしれません。」
「それは事実ではない。酷い思い違いである。」
「事実かどうかは問題ではありません。」
ソルニウォレの勘違いを否定するも、ネゼキュイア軍の指揮官がそう思っているのであればここで誤解を解く意味はないと言われたら返す言葉はない。
「つまり、私が逃げ回っている限り追い続けてくるということか?」
「そうなりますね。とにかく消耗させる作戦でしょう。」
その意見を否定する材料が全くない。大きく息を吸い込んで溜息を吐いてみるも、何も良案は浮かんでこない。
敵の進行に対して時間稼ぎをしたいが、それでは情報収集という役割を果たせないことになる。何とかしてその両方を為そうとするならば、班を分割することになる。
「ミュンフヘイユはモジュギオ公爵へ報告を。ソルニウォレは北東部に陣を張っているというモッテズジュ伯爵のところへと向かってくれ。私はここに残り敵を引きつけておく。」
「それはなりません!」
この案は騎士たちに受け入れられぬと思っていたが、案の定である。しかし、モジュギオ公爵やモッテズジュ伯爵への報告をしないわけにもいかない。
ネゼキュイア軍が追ってくることを考えると、全員でモッテズジュ伯爵の元へ行くことはあり得ない。二、三人を遣いとして出して、残りで敵を引きつけることになる。
モジュギオ公爵領に戻る場合でも同じだ。
東からの応援部隊が到着するのは数日先になるはずだ。迎撃準備が整っていないところに敵が来るようなことがあれば、大きな痛手を受けてしまいかねない。
「では、モッテズジュ伯爵およびモジュギオ公爵への連絡をミュンフヘイユに行ってもらう。」
まず北東へ向かい、伯爵に情報連携した後に東のヨシュガン伯爵領を経由してモジュギオ公爵領へと入る。
少々遠回りになるが、情報を伝える地域を増やすことは悪いことではない。
「ティアリッテ様はどうなさるのですか?」
「あの部隊を可能な限り南へ釣り出す。その前に食料等の準備をせねばならぬな。」
安易に無事な町に戻ることもできないため、放置された畑の作物を刈り取って加工していくしかない。幸いなことに、私はその手順を全て知っているし作物ごとの手間の多少も分かる。
「南ですか。確かに最も順当と言えるでしょうけれど、危険ではありませんか? ティアリッテ様がが南に行けば、ネゼキュイアもの南の部隊とも連絡を取って連携して動こうとするでしょう。」
「私を潰すために一箇所に集まってくるならば好都合だろう。ネゼキュイアもそれは分かっているはずだ。」
こちらの狙いに気づいた時点で追うのを止めて東へと進むことを優先するのか、それでも私を潰そうと追ってくるのかは分からない。
どちらにせよ、私たちにとって都合の良い動きとなるのは間違いない。
他の選択肢を考えると、敵を振り切るつもりで走るならば東だろう。北に向かっても追ってくる敵を食い止める戦力など用意していないし、被害が拡大するばかりで何も良いことなどない。
西へ向かうことも一つの手段であるが、南へ行くよりも危険度が高いだろう。ネゼキュイアの地理も情勢も全く分からない上に、周囲の全てが敵となるのは色々な意味で厳しい。
「ティアリッテ様が仰るのはもっともでございますが、あまりに危険です。」
「被害を抑えるのにもっと良い方法があるならば出してくれて構わぬ。」
ミュンフヘイユは泣きそうな顔で訴えるが、何日も何時間も考えている余裕なんてない。
同じ場所に長時間滞在していれば、再び包囲されてしまうだろう。町の中で包囲されてしまえば、離脱するのはより難しくなる。
「ここに止まっていても何もできぬ。食料調達のため畑に向かう。」
何も残されていない小領主の邸で時間を過ごす意味はない。今後のことを考えれば、畑に出て作物を収穫していくべきだろう。
町の北の畑に出ると、ミュンフヘイユと二人の騎士を送り出す。不服そうな顔をされても受け入れることなどできない。モッテズジュ伯爵への連絡は重要な仕事であり、怠るわけにはいかない。
「あちらにあるのは蜜瓜か。二足鹿に丁度良いな。」
蜜瓜は乾燥加工には向かない。甘く、夏のデザートによく出てくるのだが畑一面に生っている蜜瓜を私たちだけで食べ切ることなどできはしない。
畑に下りてみると、虫にでも食われてしまったのだろうか、半数以上の実は原型を留めていない。それでも探せばすぐに、食べられそうな蜜瓜の実が見つかった。
蔓に生る丸い大きな実は赤子の頭ほどもある。それを二つナイフで切り取り、両手で抱えて道端へと運ぶ。
それをそのまま二足鹿に与えるのは躾として好ましくはない。ナイフで実を二つに切ってみると、どろりと甘い匂いの果汁が溢れてくる。それを桶に入れて二足鹿の前に出してやる。
一頭に出してやると、残りの二足鹿も一斉に頭を突き出してくる。
待っていれば出てくることは分かっているのか、喧嘩を始めることはないが、早く早くと一生懸命に主張するのだ。
騎士が運んできた実も次々と切っていくと、手が汁でべとべとになってしまう。四頭すべてに出してやったら自分の分を皿に切ってから手を洗う。
「少し熟しすぎていますね。」
「うむ。蜜瓜の酸味が抜けてしまっているな。」
本来、蜜瓜は甘味に程よい酸味があるのが美味しいのだが、ここに残っているものはただ甘いだけだ。せっかくの作物も、管理も収穫もされずに放置されればこうなってしまうのだと思うと悲しいものだ。
「これを食べ終わったら青椒と青豆の畑を探す。どこでも育つ作物であるし、ちょうど収穫期のはずだ。」
「青椒ですか?」
「何か問題があるか?」
「あまり、好きではないのです。」
「子どものようなことを言うな。」
そういえば、私も幼いころはあまり好きではなかったなと思うが、良い大人の言うことでは無いだろう。加工の容易さを考えると、今の時期は青椒は外せない。麦なども収穫期が終わろうとしているが、青椒の数倍の手間がかかることを考えると手を出すことはできない。




