456 暗雲の先
一旦建物を出ると、徒歩で馬車が並んでいるところへと向かう。
小領主は馬車で待機中とは聞いたが、何十台も馬車が並ぶ中で、どの馬車に乗っているのかは定かではない。
とはいえ、小領主が乗る馬車に護衛がついていないはずもない。
探していると、それらしき馬車はすぐに見つかった。
「私はティアリッテ・シュレイ、王宮の者である。貴方たちはベルニュムの小領主モルノモーズの一団で間違いないか?」
「お初にお目にかかります、ティアリッテ・シュレイ様。仰るとおり、我々は小領主モルノモーズの騎士にございます。」
私が名乗ると、騎士は快活に答えすぐに小領主の馬車へと取り次いだ。当の小領主も馬車の中で退屈していたのだろう、声がかかるとすぐに扉を開けて出てくる。
「ベルニュムにて小領主を務めておりますデュネイム・モルノモーズと申します。この度は我らを受け入れてくださいましたこと、感謝に堪えません。」
「私はティアリッテ・シュレイ。早速ですが、知る限りでよろしいので噴火の被害の状況を教えてもらえぬか?」
互いに茶などを用意してゆっくりと話をするような余裕はない。使用人たちが急いで椅子を用意するが、それも野営の際に使う木箱に布をかけただけのものだ。
「他の領地どころかベルニュム内の他の地方も把握できておりませんが、私が知っているだけでもよろしければ。」
「構わぬ。正直なところ情報が少なすぎて、どの程度の受け入れ態勢を整えれば良いのかも分かっておらぬのだ。」
この小領主が土地を離れることを決断した理由を聞けるだけでも、被害の規模を推定する一役となるだろう。現状では、避難希望者が数千という規模なのか、あるいは数万という規模なのかすら見当がついていないのだ。
「噴火が確認されて数日は、土地を諦めるなんて思ってもいませんでした。」
遠い目で空を見上げて小領主は言う。空は北の方には雲がかかっているが、おおむね晴れているといえる。日が暮れかけて全体的に明るさを減らし、西側はその色を変えてきている。
「あの日以来、このような美しい空は、三週間以上も見ていなかったのです。噴火とともに空は黒雲に覆われたのですが、当初は数日もすれば晴れると思っていたのです。」
過去の記録では、噴火後は二、三日の間空が覆われていたとあるらしい。その間、空から灰が降り注ぎ道路も畑も覆い尽くされていくが、それでも何百年も前から町があることを考えれば対処は可能であると思っていたという。
「今年は近年稀にみる豊作でしたし、食料の備蓄もございました。畑の作物の何割かが痛んでしまっても、乗り切れるだろうと楽観視していたのです。しかし、雲は晴れませんでした。」
七日経っても十四日経っても、雲は晴れず灰もやむことなく降り続けて、土地は灰色以外に何も目に映らないほどになり果てていたという。
畑の作物は完全に灰の下に埋もれて姿を見ることすらできないほどになり、農村では降り積もった灰の重みで家が倒壊する事故も発生した。そういわれても、具体的なところが想像できないくらいだ。
「具体的に、どれほどの量が降ったか分かるか?」
「膝を超える深さがあったことまでは確認しています。馬車を動かすために、騎士に総出で街道の灰を吹き飛ばす作業に当たらせました。」
そのままでは車輪が灰に埋まって馬車が動けないなどという次元ではなく、場所によっては馬が歩けないような有様だったという。
小領主はいたって真面目に説明しているのだが、あまりに現実離れした話に想像するのがなかなか難しい。雪が吹き溜まりになっているような感じで想像すれば良いのだろうか。春になれば解けるが、灰は勝手に消えることはない。雪を除けなければ畑も耕せないが、除けた雪を捨てる場所もないと考えればなんとなく想像できた。
「モルノモーズ地方というのはベルニュムのどのあたりに位置するのだ?」
「南側でございます。こちらまでの道中で見た限りでは、ベルニュムの南側は似たような状況でした。」
同じベルニュムでも北半分の被害はそこまで甚大とは見えなかったという。右も左も灰色ばかりであることには変わりはないが、葉の上に積もった灰を払い落とせば作物は姿を現すような状態だったらしい。
「被害はあるにしても、現地に留まってなんとかできる可能性が高いということだな。」
それならば今すぐに避難してくることはないだろう。問題は西側がどうなっているかだが、それは現在知る術がない。
「小領主モルノモーズには、この町に住むことを許可する。これ以降、ベルニュムの他の町からの避難者があれば、東へ向かうよう伝えてくれ。」
バッチェベック伯爵領やファナック男爵領からの避難者もやってくる想定でいる。それらが混在してノエヴィスの各地に入るよりも、ある程度まとまっていた方が良いだろう。
そう言うと小領主はさっと顔色を変えた。この町は彼らのために用意したのではないのだと今更気づいたのだろう。
これまでは他の町を気遣えるほどの余裕がなかっただろうし、こちらの指示が遅れたことにも非があるためその点についての指摘はしない。
しかし、今後も余裕がないなどと言い続けられても困るのだ。街道の分岐する町に入る以上、道案内の役割は果たしてもらわなければならない。
「承知しました。他の領地からの避難者はどのように?」
「領都付近及び北側はバッチェベック、西側をファナックと考えている。ただし、それぞれ何人ほど避難してくるのかは判然としていないため、ある程度は柔軟に対応してもらわねばならぬ。」
人口の数と町の家屋の数が一致しているとも限らない。人が入りきらないこともあれば、空き家だらけとなる町も出てくるだろう。町の家屋の入居状況の把握は小領主にとって重要な仕事となる。
「それはそうと、荒れ放題に見える畑だが、食べられるものもいくつかある。」
「そうなのですか?」
「品質としては良いものとは言えぬが、芋や豆が実っているのは確認している。よく分からぬ草も馬ならば食べるだろう。」
食べるものは収穫して倉に入れておくと良いと言うと、小領主モルノモーズはすぐに近くの文官を呼んで指示を出す。馬車に食料を積んできてはいるが、倉の中身すべてを運び出すことなどできるはずもなく、食料の調達は急務らしい。
近いうちにザッガルドなどからも支援食料が届くはずだし、食糧問題は冬までには何とかなるだろうと思う。
掃除が終わったとの使用人からの報告があり、私も小領主と一緒に再び邸に入る。最初に向かう先は小領主の執務室、そして守りの石のある部屋だ。
「こちらの管理はデュネイム・モルノモーズに任せる。小領主として責務を全うしてくれ。」
「承知いたしました、ティアリッテ・シュレイ様。」
新たな小領主を任ずる際の正式な手続きは色々とあるのだが、大部分は省略してしまう。この町の小領主はモルノモーズにすることにしたが、領主を誰にするかはまだ決まっていない。
隣の町の小領主もいないし、認知も周知もあったものではない。
その後、豪勢とは言えない食事に私も呼ばれ、そのまま小領主の邸で一泊する。翌日は予定通りに南に向かい、南端の町の確認だ。
その後は西へと移動し騎士たちと合流する手筈であったのだが、逆に騎士たちが町へ合流してきた。やはりベルニュムから来た小領主チョネゼイオとの話が長引いたというのもあるが、東西で魔物退治をしていた騎士たちも集まってきているらしい。
「この町に何十人も騎士が集まってしまうのも問題ですね。」
「全部合わせると百人を超えますから、小領主の邸に全員がはいることは不可能です。」
各領地が数人から二十人程度を派遣してくれているが、王族領含めて七つの領地から集まればそれなりの人数になっていたらしい。
「魔物退治の状況は?」
「ノエヴィスの南側は魔物を見つけるのも難しいのではないかということです。」
随分と頼もしい返事である。もともとノエヴィスは山や大きな川もなくほぼ真っ平らな土地で、魔物退治は比較的やりやすい。それでも魔物の巣窟と言われたこの地で三週間足らずで駆逐を完了したというのだから、相当に頑張ったのだろう。
「この場で報賞を与えることはできませんけれど、何か考えておいた方が良さそうですね。」
力を尽くしてくれた騎士にも、快く騎士を出してくれた領主にも何かしら出しておいた方が良いだろう。変なところで出し惜しみをして、協力してくれた者たちの心証を悪くしても益はない。




