444 獣を連れ帰ろう!
上空に爆炎を打ち上げながら近づいていくと、騒ぎはぴたりと止まり人も獣も一斉に首をこちらに向ける。
「二足鹿相手に無理をすると怪我をしますよ。」
そう言うと、農民たちは二足鹿を睨みながらも畑の方に戻っていく。貴族である私が任せろと言っているのに食ってかかる道理はない。
農民が棒や鍬を振り回してみても、二足鹿が本気で反撃してきたら敵わないだろう。本気で対抗するならばもっと強い武器を用意するか魔法を用いるかが必要だ。
二足鹿の方は、その場を動かず私たちと農民を見比べるように交互に視線を向ける。ここにいる数は十三で、先日見た群れの半分以下だ。
先日会った群れが分かれたのか、全く関係のない別の群れなのかは分からない。初めて見るような獣の個体識別などできるはずもない。
獣の目は警戒色が強いが、すぐに逃げ出さないのは魔法が届く距離を把握していないからだろうか。
馬を進めてさらに近づいていくと、三十歩ほどの距離で後ろへ下がり始めた。恐らく、それ以上の接近は危険だと判断しているのだろう。
ならば、馬を下りて徒歩で近づいてみる。私の身長と二足鹿の足の長さが同じくらいという体格差を考えれば、威圧感はないだろう。
「ティアリッテ様、危険です!」
騎士が慌てて叫ぶが、銀狼や青鬣狼が静止状態から飛びかかることのできる距離は知っている。この獣も、それらを大きく上回ることはないだろう。
間合いに気をつけた上で守りの石を握り込んでいれば十分に防御可能なはずだ。
「ここから先は私たちの土地です。そちらの野原は好きに駆け回って構いませんが、こちらには立ち入らないでください。」
少し大きめの声で、しかし脅すようにならないように言う。
言葉が通じるとは思えないが、もしかしたらということもある。身振りを交えて言えば青鬣狼には何となく伝わっていたようだし、試しもせずに無駄だと否定することもないだろう。
しかし二足鹿は、じっと私を見つめるだけで理解したような動きはない。暴れる素振りもないことから、敵対するつもりはないことは伝わってくれていると良いのだが、それも確認する方法がない。
と、そのとき一つ良いことを思いついた。
馬なところに戻り、桶を外して残っていた飼料をその中にあける。二足鹿が馬と同じものを食べるのかは知らないが、同じ飼料で飼えるならば好都合だ。
桶を前に置いて数歩下がると、二足鹿は視線を落として何度か瞬く。
「私を乗せてくれるならば食べて良いですよ。」
その言葉の意味が伝わったのか分からないが、二足鹿は大きな嘴を桶に突っ込んでもしゃもしゃと食べ始めた。
一頭だけでの独り占めは許さないとばかりに二頭がやってきて、争うように桶に嘴を突っ込んでいく。
「桶が壊れてしまいます。一頭ずつにしてください!」
あまりの勢いに慌てて止めに入る。二足鹿の頭の上で小さな水の玉をを弾けさせると、びっくりしたように目をまん丸にしてこちらを向く。騎乗用に飼い慣らせるならば餌くらい与えてやるし、今から城に連れていってやっても良い。
その意思が伝わったのか、あるいは魔法を恐れたのかは分からない。だが、二頭が私の前に座ったのは私にとっては嬉しいことだった。
とりあえず、近い方の一頭の背によじ登ってみる。
「おやめ下さい、ティアリッテ様! 野生動物に騎乗するなど無茶です!」
騎士たちが悲鳴のような声を上げたりするが、私はこれまでに銀狼や青鬣狼に何度も跨ってきている。
鐙も鞍もなくても、意外と何とかなるものだ。騎士が心配する気持ちは分からなくもないが、騎乗できない獣ならばこうして背によじ登ることを許してはくれないだろう。
背の上を腹這いになってもぞもぞ動きまわり、やっと安定して座れる場所を見つけると、二足鹿はゆっくりと立ち上がる。
真っ直ぐに立つと、その背は馬よりもずっと高い。馬に乗った騎士の頭が私の腰の少し下くらいで、私の目の高さは馬車の屋根とほぼ同じになる。
これはこれで少し考えねばならないこともある。草原を走る分には問題にならないだろうが、森に入るときは二足鹿は不向きかもしれない。木の枝が低く張り出している所には入っていけないだろう。
とりあえず騎士を見下ろしたままゆっくりと進み、一周して戻ってくる。その間、二足鹿は暴れたりふらついたり、明後日の方角へ駆けだすこともない。そして思った以上に乗り心地が良い。四足獣とは揺れ方が異なるが、乗っていられないような揺れ方もしない。
「では城に戻りましょう。」
二足鹿に乗ったまま言うと、騎士たちは勘弁してくれと言わんばかりの顔をする。
しかし、これだけ言うことを聞いてくれるならば十分だろう。
さすがに鞍も鐙もなしに実用とすることはできないだろうが、訓練場で慣らすくらいならば問題ないと思う。
空になった桶を回収してもらい、騎士についていく形で私も二足鹿を向ける。群れの仲間たちも、特に騒ぎもせずについてくるようだった。
ふと横を見ると、農民がぽかんと信じられないものを見るような目を向けてきているが、それは気にしなくて良い。
大騒ぎをしたのは城の者たちだった。今まで野生動物が連れられてきたことはないらしく、世話係たちは目を丸くして馬房の用意をする。
「餌は何を用意すれば良いんですか? 二足鹿の世話なんてしたことがありませんでして……」
「とりあえずは馬と同じで良いですよ。喜んで食べていましたから、それで問題ないのでしょう。」
好物や禁忌とする食べ物は違うだろうが、少なくとも豆や芋は食べていた。それらならば城の部屋を埋めている分もあるし、しばらくは餌が不足する心配はいらない。
帰ってきた馬と一緒に厩舎に入ると、二足鹿は出された餌を喜んで嘴を突っ込んだ。
口の大きさもあるのだろうが、馬の倍ほどの速さで桶の餌は減っていく。よほど腹を空かせていたのだろうという食べっぷりだ。
暴れもせずに大人しく食べているならば大きな問題はないだろう。私も戻って報告をしなければならない。
「ただいま戻りました。」
「うむ、ご苦労だ。」
執務室に入ると、ジョノミディスはなぜか不機嫌そうな顔をしていた。
「何かあったのですか?」
「其方に聞かれたくはないぞ。」
私が二足鹿を連れてきたことは既にジョノミディスの耳に入っていたらしい。私が厩舎で確認をしていた時に、使用人が報告したのだろう。
「ウンガスの王族は魔物を使役することができたといいますけれど、獣を連れ帰ることはしていなかったのですね。」
「そんなことをしようと思うのは其方だけだ。」
ジョノミディスの言葉に同意するようにマッチハンジも非難めいた目を向けてくる。しかし、有用な獣が懐くならば利用して良いのではないかと私は思う。私はイグスエンの城に青鬣狼を入れたことを忘れてはいない。
「青鬣狼のように凶暴な獣とも言われていませんもの。餌を出せば従うならば、餌を出せば良いではないですか。」
「その獣は本当に従うのか? 守り手でもないのだろう?」
「少なくとも、畑の端からここまで乗ってきましたよ。」
問題は走った時に人が背に乗っていられるのかだが、走っている二足鹿が銀狼より揺れているようには見えなかった。
領地の境界付近であったことを含めて説明すると、ジョノミディスはとても深く溜息を吐いた。
「それで、何頭を捕まえたのだ?」
「捕まえたと言うと少々語弊がありますけれど、全部で十三頭です。独断でことを進めたことは申し訳ございません。」
餌に何を与えるのが適切かなどはこれから調べていくことになる。鞍や鐙も二足鹿用に作らなければならないし、忙しい時期に予定外の仕事を勝手に増やしたことだけは謝らなければならない。
しかし、少なくとも魔物退治においては二足鹿は馬よりも有用だろうと思う。
馬という生き物は基本的にとても臆病で、魔物に向かって突撃していくためには相当な訓練を要する。中型の魔物を自ら蹴散らす二足鹿ならば、その訓練も容易になるだろうし、何より正面方向へ魔法を撃てないという最大の欠点がない可能性もある。
「適材適所で使えれば良いということか。馬だけで考える必要は確かにないな。」
「飼料の心配をしなくても良くなったのですから、できることを増やすように考えても良いのかもしれませんね。」
メイキヒューセの考えに文官たちも同意するとジョノミディスも少し考えてから頷いた。
「確かに考え方は変えていかねばならぬな。」
文官にも騎士にも、少ない資源を何とか節約して遣り繰りするという考えが染み付いているが、そのままでは発展を妨げることもあるだろう。
何より、食べ物が余ってしまっているのだから、有効に活用することも考えなければならない。
ティアリッテの身長は170cm弱
二足鹿の背中の高さは220~260cm




