442 春の仕事
春の仕事
春になれば、集まっていた領主たちが自分の領地へと帰っていく。いくつもの馬車が並んで出ていくのを見送る中、フィエルナズサとメイキヒューセも出発の準備を整える。
「二人とも、色々と大変だろうがよろしく頼む。」
「エリハオップは任されよ。むしろこちらの方が大変だろう。」
そうフィエルナズサは明るく言うが、どちらの方が大変なのかは分からない。フィエルナズサの方は、新領主となるゼォレミコエ・ケイチャモアと信頼関係が構築できているとも言い難いし、小領主との話し合いも簡単に済むことではない。
一方の王宮側も課題は盛りだくさんだ。農業の方は程々の収穫量となるよう調整しなければならないし、余る予定の人手を各種産業や事業に振り分けねばならない。
ケイチャモア伯爵とともにフィエルナズサたちが旧エリハオップに向かうと、私もすぐに直轄領内の各地をまわる準備を始める。今年の報告は例年よりも少ないということだが、巣籠もりを終えて野に出てくる魔物を退治しなければならない。
「畑の三分の一は今年は何も植えずに休ませておくよう、しっかりと農民に伝えておいてください。魔力を撒くのは、作物を植える区画だけで構いません。」
出発する前に、文官と騎士を集めて指示をまとめて出しておく。撒く魔力の量を調整するのではなく、作付けする区画の数を調整した方が効率が良い。
三分の一の区画を休ませるならば、耕すべき畑がなくなる者が続出する。それらに与える仕事もいくつかある。
訓練場に植えた樹木の苗を町の北に植え替えていくのが一つ。主要な道路の整備もできるだけ早く開始したいところだし、酒蔵に増産体制を整えさせることも必要だ。
王都を出ると、まずは南へと向かう。領地の境界付近にて毒獅子の群れが発見されたという。
エーギノミーアでは何度か聞いた魔物の名だが、ブェレンザッハでは一度も聞いた記憶がない。念のためにジョノミディスに確認してみたが、やはり話に聞いたことしかないという。
エーギノミーアに出る魔物と同じならば、やたらと逃げ足の速い面倒な魔物だ。
出発すると、途中の町にはすべて立ち寄る。
途中の町を素通りして急げば二日で着くはずなのだが、小領主への連絡事項もあるためそうするわけにもいかない。作付の方針や他の産業強化は小領主には無関係ということは全くない。
小領主に諸々を伝えるとともに、数人の騎士を借りていくことになる。もちろん、連れてきた王宮の騎士だけでは戦力不足ということではない。
小領主の騎士にも雷光の魔法を教えるのがその目的だ。
昨年、真面目に魔力を撒いていた騎士は既に魔法を見て覚えることができるようになっているはずだ。その段階にあれば、手本を見せて実戦に参加させるのが最も早い。
一つの町で三、四人ずつ増えていき最終的に三十人の騎士で報告のあった町へと入った。
到着したのは昼すぎだが、魔物の詳しい位置や状況を小領主から聞かねばならないし、ここまで急がせた馬を一旦休ませる意味もあり、退治に向かうのは一泊しての翌朝だ。
小領主に挨拶をすると、まずは会議室に入り毒獅子についての話だ。
地図を広げて発見した場所と周辺地理の説明から入る。
「最初に報告があったのがこの町から見て南西の村、最新の報告では東に移動しているようですが、丘陵地帯から出てくる様子はありません。」
説明しながら小領主は地図の上に駒を並べていく。今までに発見や被害の報告があったのは五箇所。丘陵地帯を縄張としているような動きだ。
そして、十六人の騎士を出して警戒に当たらせているが、戦力的に村に近づいた魔物を追い返すのが精一杯で、退治には至らないという状況だという。
「村の被害は?」
「今のところ、人の被害報告はありません。ただし、放牧を開始した羊が襲われています。」
「それは急がねばなりませんね。ところで、魔物は境界の向こう側にもいるのですか?」
「チャルアナグ領のホルフルに出した遣いには確認されていないと返答がありました。」
既に隣領との連絡は取っているということで、向こう側も付近に騎士を出すことになっているという。
互いに越境の承認は済んでいるということなので、私たちは徹底的に叩き潰していけば良いだけらしい。
一通りの話が終わると、客室に通された後に夕食に呼ばれた。春先の魔物退治だと質素な食事が客室に運ばれてくるだけのことも多いのだが、行ってみるとテーブルには料理がずらりと並んでいた。
新鮮な野菜はないのは季節的にどうしようもないのだが、代わりに干し野菜だけではなく燻製や塩漬けなどを活用した豪勢な食卓となっていた。
「こちらのウサギ肉はこの春獲れたものです。以前、お話があった通り、野ウサギは数を相当に増やしているようですな。」
小領主がそう言って指すのは、表面がカリカリに焼かれた肉の塊だ。ナイフを入れてみると、湯気の立つ断面から食欲をそそる脂の香りが漂ってくる。
「この季節にしては随分と脂がのっていますね。」
「秋によほど溜め込んだのでしょうな。」
秋に肥えた獣も、餌の少ない冬を越えて春ごろになれば痩せ細るものだ。春先の肉はパサパサとした食感になるものと思っていたのだが、十分な餌があるとそうでもないらしい。
「羊もこの状態ならば、毒獅子も狙うわけですね。」
「魔物なんぞに食わせるために飼育させているのではないのだがな。」
小領主は不愉快そうに言うが、野ウサギでも肉の質が上がっているのならば、家畜の品質も期待して良いということだ。
「この際ですから、境界付近の魔物を一掃しておきましょう。」
「チャルアナグ領からも騎士を出すとなっていましたからな。共同で当たれば遠慮も要らないでしょう。」
たとえ魔物退治が目的でも、断りなく越境して武力を振るっていれば主権侵害として訴えられる。遣いを出して承諾を得れば良いとはいえ、その手続きにも数日がかかる。
そのため、領地の境界付近では深入りをしないようにするのが常だ。承諾を得た機会に徹底的にやってしまいたい。
翌日は東の空が白んでくる頃に町を出る。向かう先は南島方面、馬で二、三時間の丘陵部だ。途中で一度休憩を取った後は、班を三つに分けて魔物の跡を探す。
村を越えてさらに進み、丘の頂上から周囲をぐるりと探してみると、南側の丘に動き回る影を見つけた。
三十一匹の群れが暗灰色の岩が露出する斜面ゆっくりと西へと移動していることまでは分かるのだが、小さな点にしか見えない影では私には魔物の種類まで識別することができない。
「あれは毒獅子でしょうか?」
「少々遠すぎて分かりませんね。もうちょっと近づきましょう。」
もちろん、全然関係のない獣である可能性もあるのだが、小さな魔物の気配がそこら中にあるせいで、影の正体を気配で捉えることも難しい。
かといって、ここで小型の魔物を退治していたら毒獅子が逃げてしまう可能性もある。
せめて取り囲む位置に騎士を配置してからでなければ、下手な動きはできない。この丘陵で追いかけっこをしても、おそらく徒労に終わるだろう。
慎重に馬を進めて影に近づいていくと、小さな魔虫が馬の足下をカサカサと這い回る。蹴飛ばし踏みつけて進んでいくが、馬もかなり鬱陶しそうにしている。
それでも我慢して進んでいくしかない。そう思って進んでいると、南の丘の上にいくつもの影が並ぶ。
「あれはチャルアナグの騎士でしょうか?」
「あんな影形の獣は見たことがありませぬ。」
念のために確認してみると、少なくとも魔物ではないだろうと騎士たちも笑いながら言う。
ならば、やることは一つだ。
「合図の準備をお願いしますね。」
そう言ってから若干右寄り、影の進行方向とは逆側に向けて魔力を放り投げる。それに対しての行動である程度の分類が分かる。
こちらに向かってくるならば守り手、魔力に向かうならば魔物。そして、気にもしないならば関係のないただの獣だ。
「合図を!」
影の動きは、真っ直ぐに投げた魔力に向かうものだった。笛と煙で合図を出し、他の二班へと知らせるとともに隊列を広げて毒獅子に近づいていく。




