440 伯爵の交代
ヘージュハック侯爵の挙げた伯爵候補は、予想外にも派閥を無視して人物の能力と後ろ盾の力を真っ当に考慮してのものだった。自分に近い者ばかりを挙げてくるかとも思っていたのだが、これは変なところでの失点はしたくないということなのだろうか。
突然の発表に、反発的な態度を取っていた伯爵たちは蒼白な顔をしながらそれを睨むが、新しい伯爵の候補として身内の名前を挙げられた公爵や侯爵の方は戸惑いしかない。
しかし、何のための候補なのかすぐに察しがついた者もいるようで、オードニアム公爵などは余裕の表情でそれを眺めている。
「ヘージュハック閣下! 貴方はバランキルに寝返ったのですか⁉」
もともとエリハオップ公爵やヘージュハック侯爵は王族についた派閥ではないし、何よりバランキル王国に対して敵対的と言える態度を取っていた貴族だ。それが後任の伯爵を選ぶなどということは信じ難いのだろう。
「私は常に領地の利益を考えて行動している。利を見ることもできぬ愚か者が、寝返るなどという言葉を知っていたことの方が驚きだ。」
相も変わらずの無表情でヘージュハック侯爵は伯爵たちを鼻で笑う。しかし、これほど冷静に利を見れるのに、バランキルへ騎士を差し向けた理由が分からない。
一度、腹を割って話をしてみたいと思うが、それはそれでおそらく叶わないだろう。
「我が弟を新たな領主にと評価してくれるのは良いのだが、重要な仕事を任せている故、今すぐに出すことなどできぬぞ。」
「今の段階ではそこまで考慮はしていない。その中で調整がつく者がいれば最善だろうというだけだ。」
元々はエリハオップの後釜にという話なのだから、最終的には一人か二人、多くても三人を決めるという話だ。その倍以上の数も候補があるのは打診する対象を挙げたからに過ぎない。
「我が息子も、どこに出すか次第だな。荒れ果てた土地に行けと命じられるような咎はないはずだ。」
「それは同感だが、荒れた土地を放っておくわけにもいくまい。誰かが管理せねばならぬとは思うのだが、厄介な問題だな。」
オードニアム公爵もナノエイモス公爵も、真剣な表情でわざとらしいことを言う。他の公爵もその流れに乗れば、伯爵たちは自分が廃される流れに顔を引き攣らせるばかりだ。
「くどいようだが、卿らはどうするつもりだ? 何の施策もないのであれば、数年内に卿らの領地は滅ぶだろう。」
領民が全て飢えて死ぬことはないだろうが、それはほぼ全ての領民が豊かな領地へと移り住むことになるだろうからだ。
遠くの領地から国境の山すらを越えてブェレンザッハにまでやってくる民が何千人もいたのだ。それを思えば、何万もの民が近隣の領地に流れていくのは十分に起こりうることだ。
そう言ったやっても伯爵は頑として譲らない。
「役立たずどもを養ってやる必要がなくなる分、楽になるだろう。」
「それでは結局、民がいなくなるではないか。」
領主にとって民は財産であるという意識が全くないと、こうまで酷い考えになるものなのか。
呆れた言い分にジョノミディスも私もがっくりと頭を落とす。
民がいなければ、誰が畑を耕すのだろう。誰が馬車を動かして荷を運ぶのだろう。虚空に向かって命令すれば、自動的に作物が城に運ばれてくるとでも思っているのだろうか。
「もう良い。卿らはこの国にとって不必要、いや、害悪だ。ガイバリア伯爵、ウノアミケ伯爵、ポルピニ伯爵、シェグモ伯爵そしてヤマミア伯爵は只今をもって爵位資格を失ったものとする。」
「そんな莫迦な話があるか!」
ジョノミディスの言葉に反対する者は、当の伯爵たちだけだった。公爵の面々は見苦しいとばかりに目を細めるのみで、伯爵らを擁護するような意見はない。
「五人も廃するとなると、候補が足りなくなるが?」
そんな空気を無視して異論を述べるのはヘージュハック侯爵だ。と言っても、彼も単に事実を述べているだけで伯爵を擁護するものではない。
「三年を期限とした中継ぎならば、領主をやってくれる方はいないでしょうかね。」
それだけの期間があれば、バランキル王国での教育を終えた子どもが戻ってくる。成人したてて領主を務めるのは大変だが、そもそも戻ってきたら領主交代することを考えていたのだから、それほど無茶な話でもない。
「確かに二年後には我が子も戻ってくるが、伯爵領を治めさせるためにバランキル王国に預けたわけではないぞ。」
「それでは、エリハオップ領ならばいかがですか?」
不愉快そうに言うピユデヘセン公爵だったが、エリハオップを渡すというと変な顔をして固まった。
「待て待て待て。ピユデヘセン公を優遇する理由はあるまい? 我が子マエニオヨームも三年後には帰ってくる。中継ぎが三年ならば間に合うはずだ。」
「公こそ待て。早い者勝ちという話でもなかろう。公爵領を治めるものとして最も相応しい者を見極めねばならぬ。」
ボルシユア公爵が名乗りを上げれば、チェセラハナ公爵が止めに入る。
今は荒れ気味とはいえ、ただ同然で公爵領が手に入るとなれば、どの公爵も知らん顔ではいられないようだ。
「争いになるようならば、二つか三つに分けて伯爵領か子爵領にしますね。」
エリハオップの後継を巡って公爵たちに内乱を始められても困る。釘を刺しておかなければ、どこまで白熱していくかも分からない。
「私は伯爵領でも構わぬよ。」
にやりと笑ってザッガルド公爵までそんなことを言うが、変に煽るのはやめてほしい。しかしピユデヘセン公爵はすかさず別の土地を提示した。
「伯爵領ならば、エリハオップより近くに空いているではないか。」
「おお、確かにそうだな。実質的に領地拡大ではないか? 良かったな。」
もう決まったかのようにオードニアム公爵まで言うのだから本当に困る。ノエヴィス跡地は領民が一人もいなくなってしまったのだから、領地を治めるも何もない。領主として就いたとして、数年は負債ばかりが増えることが確定している土地だ。
追い出した張本人であり、すぐ隣に領地を構えていたエリハオップ公爵も、ノエヴィス跡地を自分の領地として併合することはしていないくらいだ。
「話をごちゃ混ぜにしないでくれ。それでは議論にもならぬ。」
ジョノミディスがそう言って話を元に戻す。決めねばならないのは、既に領主がいなくなってしまっているエリハオップと今回の五人の伯爵の後継だ。
「セデセニオ伯爵も忘れてはいかんだろう。」
すっかりと忘れていたが、そんな伯爵もいたことをフィエルナズサが指摘する。、ずっと牢に入れたまま放置していたが、そろそろ出してやってもいいかとは思う。
今から処刑の話をするのも不自然だし、刑期明けての釈放とするのでいいだろう。もちろん、伯爵位をそのままにするわけにはいかないし、セデセニオ領に戻ること自体を禁ずることになる。
「ヴァンヴォント伯爵はセデセニオ伯爵と血縁関係にあるのでしたよね?」
「確かにそうだが、我が家から出して良いのか?」
「最良はセデセニオの領主一族から嫁いだ者を戻すことです。」
最も角が立たないのが、元々継承権を持つ者に継がせることだ。事件時に城にいた領主一族はセデセニオ伯爵と同罪だが、既に城を離れていた者まで罪に問うわけにいかない。
城の使用人や小領主とも馴染みがある者の方が話が早いし問題も起きづらいだろう。
「確かに元々セデセニオの領主一族から出すならば我々が強く反対することでもないな。」
「伯爵の扱いはどうするのだ?」
「罪人は降格の上で領地追放が妥当でしょう。」
一年以上の投獄があったことから、貴族籍剥奪はやり過ぎで、爵位は男爵に止まるのが法的に適正な裁定だろうとマッチハンジが言う。
「その方向で問題なかろう。後ほど裁決を取る。」
牢から出した後に引き取る領地も決めねばならないし、細かい調整が必要なことは後回しだ。会議で決めることは山積みなのだ。
「そこの伯爵五人だが、実際のところ、家の取り潰しとなるとやり過ぎであろう。」
彼らの場合は、本人の領主としての資質の問題だ。それで家にまで波及するのは筋が通らない。一族の総意で叛乱を起こしたのとはわけが違う。
「次期領主に速やかに引き継がせるのが順当だな。だが領主候補を育てるために子どもを引き受けたバランキル王国の意向も理解できる。」
先程のやり取りなどまるでなかったかのようにオードニアム公爵が言う。
エリハオップの件を伏せたままで話を進めたのはこちらだが、それに乗って伯爵らを煽ったのは、よほど彼らの態度が不愉快だったからなのだろうか。
「中継ぎとはいえ、他の公爵や侯爵家からというのは無理があろう。現在の領主一族から選ぶのが最も丸く収まるだろう。」
あまり信用できないから中継ぎを別に立てたいのだが、それはやめておけと言うことだ。じっと私たちを見るオードニアム公爵の目は、欲を出せば余計に面倒になると語っていた。




