430 エリハオップ城へ
何の合図なのか、小さな火球がいくつか打ち上げられ、正面に陣取る騎士たちが隊形を組み替える。彼らはやはり畑のことなど全く気にも留めていないようで、平然と走り回っている。
あまりのんびりと対応していると、私たちが何もしていないのに領都の被害は増していくことになるだろう。
「メイキヒューセはどこまで魔法が届きますか?」
「頑張れば、一番前に出ている者には当てられるとは思いますけれど……」
直接的に届くのは百二十歩程度といったところだとメイキヒューセは言う。それくらいだと、数人は倒せるだろうが大勢に影響はないだろう。
「では、私が出た方が良ささうですね。」
メイキヒューセにも色々経験してほしかったのだが、そのために余計な被害を増やすものでもない。この場は早々に片付けた方が良いだろうと判断する。
何も考えずに雷光を正面に撒き散らしてやれば、敵は残りの半数近くを失うことになる。しかし、それはやり過ぎだ。
今後の領地運営が不可能になほどの打撃を与えれば、エリハオップ公爵がどのような手段に出てくるか分からない。こちらとしても、完全に一族全てを滅ぼす以外に道はなくなるし、あまり良いことではない。
「力の差を見せてやれば、諦めて投降してくれるでしょうか?」
「あの方々が何を求めて、何のために戦おうとしているのか分からないのですよね……」
理由によっては、投降することはないだろうとメイキヒューセは理屈を言う。ただし、その理由は私にも分からないし、騎士たちに意見を求めても黙って首を横に振るだけだった。
「試してみるしかありませんね。」
隊列を整え終わったエリハオップの騎士は、前進を始めている。このまま放置すれば、左右の畑を踏み潰しながら進んでくるだろう。
結論から言うと、エリハオップの騎士は半数以上が逃げ出し、残った者は降伏の意を示した。
私がやったのは、彼らの頭上にいくつもの火柱を立てただけで、直接的な攻撃はしていないし追加で危害を加えてもいない。しかし、たったそれだけで彼ら全員をいつでも焼き払えることは示すことができたはずだ。
慌てて南に北に馬を駆る者、街門の内へと逃げ戻る者、その場で呆然とする者。反応はそれぞれであるが、継戦を選ぶ者はなかった。
その場に残った者二十三人からは、杖と腕輪を取り上げて押送する者たちに加えて門へと進む。
「彼らは本当に何がしたかったのでしょう?」
何事もなく門を抜けると疑問が口から出てくる。
「どうかしたのですか?」
戦いの経験ないメイキヒューセは特に疑問を持っていないようだが、普通は騎士を蹴散らしても門を通れないのだ。
「街の前で戦いを始めるというのに、門を開けっ放しにするのは不自然すぎます。」
街門は閉じられようとする気配は全くなかった。いくら門の前に騎士が陣取っていたとはいえ、敵と認識する者が近付いていれば、門は閉じるものだ。
撤退の時には、別の門まで回り込むのが常道と認識している。敵の目の前の門を開け放ったままにすれば、易々と中に入ってきてしまうだろう。
私としては、労せず街に入れたので良かったが、エリハオップ側の意図が全く掴めない。だからといって、今、捕らえた者たちを問い詰めるのは順序が違う。
城門に着くと、私たちは更に混乱することになった。敵対的な態度はどこへ消えてなくなったのか、名乗って用件を伝えると事務的に待合室に通さた。
「突然態度が変わりましたけれど、一体、どうしたのでしょう?」
「油断したところを襲おうという魂胆かもしれませんね。警戒だけは怠らないでください。」
メイキヒューセも騎士たちも不安そうに眉を寄せるが、今のところすることはない。
周囲の気配を探っていても、特に大きな動きはない。押送してきた騎士たちも馬車にそのまま待機しているし、襲撃を企むような動きもない。
「大変申し訳ございません、エリハオップ公爵アヴィン様は不在にございます。」
数分して待合室にやってきた使用人は不思議なことを言う。重要な会議中ならばともかく、不在ならば門を守る騎士も知っていて良いはずだ。
「たしか、弟のゾエカギュフ様が不在時の代行でしたよね?」
「その、ゾエカギュフ様もおりませんです。」
何かの連絡の行き違いがあったのだろうかと思いながら聞いてみると、信じ難い回答である。領主と代行者が揃って不在で執務を一体どうするつもりなのだろうか。
「小領主が反旗を翻しでもしたのでしょうか?」
「その状況で私たちと一戦交えようなどとは思わないですよね……」
メイキヒューセと顔を見合わせてみるが、理解不能という結論は変わらない。想定外すぎることに、どうすれば良いのかも思いつきもしない。
「他の領主一族でお会いできる方はいらっしゃるかしら?」
どの程度の立場の者なら会えるのか聞いてみても、使用人は口籠るばかりで一向に話が進まない。
先刻から、この遣り取りに全く益がない。対策を立てるための時間稼ぎかとも思ったが、それなら普通に多忙を理由に待たせれば良い。
「文官長でも騎士団長でも良いですから、お話することはできませんか?」
捕らえた騎士の中に分隊長はいても騎士団長はいない。どのような命令がどこから出ていたのかの確認をしなければ、捕囚の処遇を決めることすらできない。
困り顔で使用人は確認にいくが、責任者が誰もいないのでは私たちだって困る。
数分で使用人は戻ってきたが、顔色は酷く青褪め狼狽した様子だった。
「領主一族は、誰もいませんでした。」
「誰も? 先代や傍系もいないのですか?」
「先代は既に死去されています。文官長サリュアムグ様も騎士団長ノエスシェグス様も、誰も居所を存じてないというのです。」
まさか、そんなことはないだろうと思うのだが、使用人が嘘を言っているようには見えない。取り乱した様子はともかく、顔色を作ることは難しいだろう。
「城の中を見せていただいてよろしいでしょうか?」
そう聞いてみても、使用人の独断で許可することなどできないだろうし、許可を取るべき相手ももしかしたらいないのかもしれない。
「領主の執務室へ案内してください。私たちは王宮に戻って報告するためにも、現状を把握する必要があります。」
メイキヒューセの口調は柔らかいが、はっきりと命令をする。使用人に尋ねても、望む答えは返ってこないだろうし時間の無駄と判断したのだろう。
命令されれば、使用人はおとなしく私たちを本館へと案内する。
「申し訳ありません、こちらからお入りください。」
離れを出て連れていかれたのは、使用人用の小さな扉だった。メイキヒューセや騎士は不満そうに眉を顰めるが、正面扉を開けるための手続きが止まってしまっている可能性もある。最も早く城に入ることを考えれば非難することでもないだろうと思う。
「構いません。」
そう言って、扉をくぐる。靴の汚れを落とす小部屋を抜けると、あまり見たことのない部屋に出る。十四人用の会議室ほどの広さの部屋の半分ほどは棚で埋まり、残りの半分をテーブルが占拠している。
三人いる使用人は硬直して私たちにまん丸の目を向けている。
「使用人の部屋でしょうか?」
「大変見苦しいところで申し訳ありません。」
テーブルの上には小物が雑多に置かれ、部屋全体としても整っているという雰囲気ではない。
「この際、小事は気にしなくても構いません。執務室への案内をよろしくお願いします。」
私たちはこの城の構造を知らない。領主の執務室の位置は、おおよその見当はつくが、どの廊下を通って、どの階段を使えば良いのかまでは分からない。
分かる者に案内させるのが最も確実だ。くだらないことで咎めていては、日が暮れても何も進んでいないということになりかねない。
廊下に出ると、右に左にと何度か折れ階段を登る。さらに一度左に折れると、大きな扉の前で止まった。
「ここが領主の執務室にございます。」
扉の前には護衛の騎士もない。ノックをしてみるが返事はなく、騎士が引いてみると重い音を立ててゆっくりと開いた。




