429 エリハオップ領都へ
幸いというべきか、呆れるというべきなのか、最初に訪れた町で馬車を二台借りることができた。エリハオップでは、畑の実りは例年とほとんど変わっておらず、収穫物を運ぶための馬車が不足していることもないようだった。
二台だけでは捕縛した騎士全員を乗せることはできないが、交代で馬車に乗り休みながら歩かせれば少しは早く進む。
さらに町を経由すれば、馬車も増えていく。エリハオップ領都に着くまでの四日間で五台になった。馬車の貸し出しを希望したのは私だが、こんなことに馬車を使っていて本当に大丈夫なのか心配になってしまう。
小さな川を越えると、少し寂しげな畑が広がっている。その先に見えるのが領都だ。押送しているエリハオップの騎士が言うのだから間違いないだろう。
緩やかな坂を登った先、街門の外には大勢の騎士が待ち受けていた。ざっと見たところ、二百人はいるだろう。
「降伏するなら早くするんだな。」
「その言葉は貴方の同僚に言ってやると良いですよ。」
形勢が逆転したと言わんばかりにエリハオップの騎士が得意満面に言うが、私が降伏する道理などない。私たちは守る側ではなく攻める側なのだ、少々の数の不利など、どうと言うこともない。
「ティアリッテ様、いくらなんでも相手の数が多すぎませんか?」
「そうですね。あれでは殺さずに捕らえるのは諦めるしかないでしょうね。」
メイキヒューセが不安そうな顔をするが、敵を全て滅ぼすつもりで戦うならば問題なく勝てるだろう。
今は心配するよりも、畑に潜んでいる騎士に向かって声をかけるべきだ。私たちに不意打ちなど効かないことを教えてやらねばならない。
「私はティアリッテ・シュレイ。オザブートン伯爵より、エリハオップにより領地が害されていると報告があった故、真偽や事情を問いに来た。」
正面に並ぶ騎士とはまだ遠く離れており、声は届かないだろう。私の言葉は畑の中の騎士に向けてのものだ。さらに潜んでいる者は、すぐに姿を見せるようにと付け加えて様子を見る。
「一人も出てきませんね。」
「メイキヒューセ様はどこに潜んでいるか分かりますか?」
「右の畑に三人、奥にさらに三人。左の畑は……、五人でしょうか。」
固まっていると人数までは分かりづらいのだが、メイキヒューセは正確に把握できているようだった。ならば、、それを雷光で撃つこともできるだろう。
短く指示を出して左側を任せると、念のためにもう一度呼びかける。それでも動きがなかったので、合図を出して私は右の六人をまとめて撃つ。
植えられた作物にぶつからないよう気を付けながら、畑に雷光を這わせると、隠れていた気配は霧散する。
植物の影に隠れて騎士の姿は見えないし、断末魔の一つも無いが、もはや誰も生きてはいないだろう。
「さて、行きましょうか。念のため、弓矢の警戒はしておきましょう。」
脅威を排除したならば、馬を進めるだけだ。両側の畑には既に敵の気配はない。気を付けるべきは兵の伏兵だが、隠れた状態からできる攻撃は弓矢くらいのものだ。風で守りを固めておけば十分である。
頭上を包むように暴風の魔法で覆うようにメイキヒューセのも指示をしておく。
「このようなことをして、何か役に立つのですか?」
「念のためです。エリハオップの騎士は敵対する意思がある可能性が高いのですから、備えておくに越したことはありません。」
魔力の無駄遣いなどというものではない。力を温存するのも確かに大切なことであるが、警戒を怠り損害を出してしまったら、せっかくの温存が台無しだ。
「止まれ! 大勢の騎士を引き連れ何用であるか?」
待ち構える騎士まであと畑一区画のところまで来たところで大声で制止された。当然といえば当然だろう。馬車が五台で三十五人の騎士を連れていれば、どう考えても戦力過多だ。
「私はティアリッテ・シュレイ。オザブートン伯爵より攻撃があり紛争状態に陥っていると報告があった故、エリハオップ公爵に意図を問いに来た。」
「何を言っているのか分からぬ。そのような事実はない!」
「ならば、捕らえた騎士はこちらで処刑しても構わないな?」
彼らがエリハオップと関係がないならば、裁定のために公爵の話を聞く必要などない。そう言ってやると黙っていないのは後ろの馬車にいるエリハオップの騎士たちだ。
「ディーファグオ! 貴様は我らを見殺しにするつもりか!」
「前線に出ることのない城付きが偉そうにするでないわ! 早々にアヴィン様に取り次ぎたまえ!」
エリハオップの騎士ではないということになれば、彼らの立場は根底から崩れてしまう。騎士を代表して先頭に立つ者とは顔見知りである者も少なくないようで、口々に無能呼ばわりをして早く仕事をするよう要求する。
押送してきた者たちを馬車から下ろすと、立ちはだかる騎士たちにも動揺が広がる。まさか一部隊丸ごと全員を捕らえているとは思わなかったのだろう。
「彼らは領地の境界を越えて戦力行使をしていたため捕らえた。オザブートンと戦いがあったことすら知らぬ無能に用はない。速やかに道を開けるが良い。」
流れに乗って、私も彼らを無能として扱っておく。実際、彼らの言動はかなり酷い。白を切るにもやり方や言い方というものがあるだろう。
「全員、攻撃用意! 愚かにも捕縛された無能もろとも彼奴等を滅ぼしてしまえ!」
「止さぬか愚か者め! 我々が敵わなかった相手に其方らが勝てるはずが無かろう!」
あまりにも短絡的な判断を下す愚か者に、再び捕縛者たちから怒号が飛ぶ。しかし、判断は撤回されることなく、飛礫の魔法が一斉に放たれた。
私の隣でメイキヒューセが緊張した面持ちで守りの石を握り込むが、それの出番にはまだ早い。爆炎と爆風の魔法を並べてやれば、ただの飛礫は防げてしまう。
それでも突破してくる石はあるが、子どもが投げた程度の勢いしかなくなっている。当たれば痛いが、顔に命中でもしない限り怪我をするほどでもない。
「こちらも爆炎で応戦いたしましょう。」
私一人で防いでいれば、メイキヒューセの手は空いている。正面に向けて爆炎を放ってやれば、敵も街道を直進してくることはできなくなる。
「ティアリッテ様、畑を来ます!」
そのまま門の内に引き下がってしまえば良いのに、何を思ったのかエリハオップの騎士たちは自らの畑を踏み荒らす暴挙に出た。
一区画向こうにも農道はあるだろうが、そこはこちらの攻撃圏内であろうと判断したのだろう。それは間違っていないのだが、だからといって畑を走る選択はするものではない。
「何をしている、莫迦者ども!」
「其方らは守るべきものの区別もつかぬのか⁉」
想像もしていなかった事態に、非難の声を上げるのは捕らえた騎士だけではない。王宮の騎士たちからも一斉に非難の声が上がる。
数の利を活かすには横や後ろに回るのは当然のことなのだが、自分たちの大事な畑を荒らしてしまってどうするのだろう。
これでは無能は事実で、謂れなき謗りでも何でもないではないか。
「メイキヒューセは正面に撃ち続けてください。私は左右を沈めます。」
軽く指示をして、左右に回り込もうとする者たちへ魔法を放つ。
最小限の力に絞った雷光の魔法には派手さがない。細い光が一瞬だけ迸り、軽く乾いた音が鳴るだけだ。メイキヒューセが正面に爆炎を撃ち続けていれば、本隊側では魔法で撃たれたことも気付いていないかもしれない。
横手に回ろうとした数十の騎士があっという間に全滅してしまえば、正面の敵にも動揺が走る。
魔法が届く範囲の外側を走っていたはずなのに、その悉くが馬から転げ落ちていったのだ。本当に何が起きたのか全く理解できていないかもしれない。
彼らが相当に狼狽えていることは、目の前に並べられていた爆炎がなくなったことで分かる。これが油断を誘う罠なのだとしたらお笑い種である
「降服せよ! 実力差が分かってなお無理に戦うこともないだろう。」
そう言ったところで聞き入れられないだろうとは思うが、念のために声を張り上げる。
案の定というべきか、彼らの判断は継戦だった。左右に回り込んだ者たちを撃ったのは何らかの罠を仕掛けていたとでも思ったのだろうか。
正面にいる者は、半数近くが私の攻撃圏内にある。そこに攻撃を加えないのは、こちらの手の内を完全に晒さないようにするためなのだが、向こうとしてはそんなこととは考えたくもないのだろう。




