425 恐るべき死骸
「下級貴族や地方貴族の教育か。難しい問題だな。」
戻ってきたジョノミディスに相談してみるも、良案は出てこない。だが、他者との約束事を、安易にひっくり返そうとする貴族が多すぎるのは大問題だ。
「まずは、通達を出してどの程度変わるかを見るしかあるまい。」
約定の変更や破棄には双方の同意が必要であり、一方的に行うことはできない。そんな当たり前のことを遵守するよう通達を出さねばならないのは、なんとも情けない話である。
騎士団の再編も急がねばならない。失った小領主の騎士が補填されていないとは思ってもいなかった。各地の不足数を調べるとともに、異動の希望者を募る。
あれやこれやと忙しくしていれば、一か月くらい簡単に過ぎてしまう。仕事が一段落したところで、後回しにしてきたことを思い出した。
「そろそろ岩の魔物の処理もしてしまうか。」
「そうですね。いつまでも放置するわけにもいきませんからね。」
「メイキヒューセも来てくれ。マッチハンジ様もよろしいでしょうか?」
「私もですか?」
声を掛けられたメイキヒューセは目を丸くするが、死骸だけでも岩の魔物を間近で見ておいた方が良いし、どの程度魔法が通じないのかも見ておいた方が良い。
傍系王族や騎士団にも声をかけて、見学することを勧めておく。言葉だけでは岩の魔物の脅威は分からないものだ。
その結果、畑の北西、巨大な岩が座する前には集まったのは三百人近くにもなった。その多くは騎士だが、文官も混じっている珍しい光景だ。
「これからあれを処理するのだが、その前に魔法や武器での攻撃を試してみてほしい。」
この場の指揮を執るのはジョノミディスだ。そう言ってまず最初に水の槍を巨大な岩に叩きつける。
そんな程度では、岩の魔物の殻は微塵も揺るがない。驚きの声が上がるとともに、何人かの騎士が爆炎や灼熱の飛礫など、高い攻撃力を持つ魔法をぶつけていく。
「全く効いている気配がないぞ⁉」
「傷ひとつ付けられぬのか? ならば、これで行くぞ!」
魔法を一時中断するように言って、腕力自慢の者たちが戦斧を掲げて前に出る。列をなして二十騎が駆けていき、雄叫びを上げつつ次々と斧を打ちつけていく。
「なんだと⁉」
「我らの斧は岩をも砕く。全く通じないとは、信じられぬ!」
何度斧を振り下ろしてみても、殻は小さな欠片が飛び散るような気配もなかった。力自慢たちは落ち込んだ様子で戻ってくるが、岩の魔物を斧でどうにかできるなら苦労はないのだ。
「ティアリッテ。」
ジョノミディスが私の名を呼び、手を挙げる。
「許可する。全力で撃て。」
「承知しました。」
私は前に出て杖を構える。ここで使う魔法は一つしかない。バランキル王国内では使用することが許されない王族の魔法だ。
「砕けろ!」
叫んで全力の炎雷を放つ。
その大きさは馬車を丸ごと包み込めるほど。バチバチと激しい音を立てて真っ直ぐに飛んでいった炎雷は、恐ろしい轟音を上げて死骸に直撃した。
「な、なんだ? 今の魔法は……」
「あれでも通じないとは、一体どうしたら良いのだ⁉」
騎士や文官たちは驚愕の声を漏らす。
当然だろう。無防備に攻撃を受けるだけにもかかわらず、岩の魔物はその威容を保ったままなのだ。
発生する音や伝わってきた振動は、炎雷のただならぬ破壊力を示すものだ。実際、ほとんどの魔物はこの一撃を受ければ跡形もなく消し飛ぶ。
炎雷の魔法は全く通じないわけではない。岩の魔物の殻の表面にヒビを入れて、欠片を撒き散らさせるくらいの効果はある。
しかし、それでも岩の魔物の巨体から考えれば軽微な傷に過ぎない。
「一人でどうにかすることは実質的に不可能です。全員で炎を一箇所に叩き込んでください。」
そう言って、脇のあたりを狙って小さめの火球を飛ばす。ジョノミディスやフィエルナズサが渾身の炎の帯を続けて放ち、それにメイキヒューセとマッチハンジも倣う。
だが、それではまだまだ足りない。騎士たちも火球や炎の帯を次々と放っていく。
「こ、これでどうにかなるのですか?」
いくら炎をぶつけても燃え上がることはないし、熱で変形しているようにも見えない。騎士から不安の声が上がってくると、ジョノミディスは一度距離を取るようにと号令をかける。
百歩を超えて離れると、魔法が届く者がほぼいなくなる。上級騎士や傍系王族には百十歩ほどまでならば何とか届く者もいるが、百五十歩を超えてもまだ魔法が届くのは私とフィエルナズサ、そしてジョノミディスだけだ。
二百歩を超えられるのはこの中では私だけだ。恐らくハネシテゼならば余裕で上回ってくるだろうが、ウンガス王国に来ることはないだろう。
「全員もっと離れろ! 馬をしっかり押さえ込め!」
フィエルナズサが声を上げて、私は最後の魔法を放ってから馬を走らせる。二十五の水の槍が空を貫き岩の魔物へと突き刺さるまで、二秒とかからない。その間に、ジョノミディスとフィエルナズサは暴風の魔法で守りの用意をする。
発生した凄まじい轟音とともに、激しい爆風が背中を叩く。二人がかりの暴風を突き破って、風と細かい礫が飛んでくるのだから、恐ろしい威力である。
しかし、それもすぐに終わる。爆発に対して完全に背を向けていれば、怯えて暴れようとする馬を抑えるのもそう難しくはない。
「今のは一体何ですか?」
一番にその質問を口にしたのはメイキヒューセだった。見たことのない大爆発に、顔を青褪めさせているのは彼女だけではない。
「灼熱の岩に水を掛ければ爆発を起こすのですよ。」
言いながら振り向いてみれば、岩の魔物の頑強な殻には決して小さいとは言えない穴が空いていた。
「このような破壊の方法があるとは……」
「動き回る故に、生きている魔物にこの攻撃はできぬがな。」
自分たちの魔法や武器が全く通じないことを体験させているのだ、破壊力に呆然とするのも無理はないだろう。ただし、この方法は戦闘では使えないことも確かだ。
攻撃されていることに気付けば、普通は避けるか反撃してくるかする。ただ黙って炎を浴び続けていることはないだろう。
再び岩の魔物に近づくと、脇に開いた穴から鼻を突くような腐臭が漂ってきた。外側の殻は無敵に近い頑強さを誇っていても、中身まで何ものも受け付けない強さをしているわけではないということだ。
「酷い臭いだな。」
「急いで焼いてしまいましょう。肉を殻の外に出していきますのでフィエルナズサとジョノミディス様で焼いてしまってください。」
臭いが不快だからと放置すれば、さらに酷いことになる。全力で焼いてしまうのが一番だ。まずは、腐汁が漏れてくる穴に向けて爆炎を叩き込む。
腐った肉と汁が周囲に撒き散らされて強烈な臭いを放つが、そんなことを気にしていては魔物の処理なんて進みはしない。さらに連続して爆炎を叩き込んでいく。
私がそうしている間に、フィエルナズサとジョノミディスで火炎旋風を放ち、飛び散った腐肉を焼いていく。腐った肉が焼けるとさらに酷い臭いを発するが、さすがに耐えかねた者たちが風で吹き飛ばす。
何度も繰り返し爆炎を放っていれば、腐肉が山となり穴が見えなくなってしまう。そこにジョノミディスやフィエルナズサが炎の帯や火球を放ってはいるが、二人だけでは全く火力が足りていない。
「騎士は炎を、文官は風をお願いします。全員で焼いてしまいましょう!」
指示を出して馬を進めていく。現在の位置では、ジョノミディスやフィエルナズサはともかく、他の騎士の炎が届かないのだ。魔法が届く所までは近づく必要がある。
文官に風の魔法を頼むのは、臭いの対策もあるが、物を燃やすには空気が必要であるためだ。高威力の魔法は期待できないが、手前から奥に向けて風を送るくらいならできるはずだ。
二百人がかりでやれば、凄まじい勢いの火炎旋風が飛び散った腐肉を包み込む。私は私で爆炎の魔法を殻の内側に延々と放り込んでいけば、腐肉は次から次へと飛び出してくる。
しかしその表面はあっという間に炭化し、さらに灰と化していく。
「この人数だと恐ろしい火力になるな。」
「二百人が力を合わせた火炎旋風など、初めて見たぞ。」
「今後も見ることなどないのではありませんか?」
馬で考えれば数百頭分はある腐肉が、数分で燃え尽き跡形もなくなってしまえば、ジョノミディスらも呆れたように言う。
「最後です。危険ですのでみなさん離れてください。」
残った殻を粉砕してやれば処理は終わりだ。殻の内側に盛大に炎を放り込んでみんなを下がらせる。
「フィエルナズサ、後の指揮はお任せしますね。」
三百歩と少々離れたところで、私は馬の足を止めてジョノミディスの馬に乗り移る。
「うむ。」
「私もいる。任せておけ。」
二人が頷くと、私は大きく息を吸い左手の杖を頭上高く構える。
「走れ!」
叫びながら杖を振り下ろし、渾身の魔法を放つ。水の槍が殻に開いた穴に飛び込んでいくのを見ることもなく、馬は向きを変えて全速で走りだした。




