407 呆れた事態
「何だあれは……?」
「戦った跡でしょうか。ミュウジュウ侯爵や小領主ディノアムは今回の進軍に反対の立場を取ったのかもしれませんね。」
山の上から見下ろすディノアムの町は、あちこちで建物が倒壊しているようだった。この町だけが災害に襲われることも考えづらく、人か魔物の仕業であろうと予想される。
とにかく何があったのかの確認は必要だ。もし、大型の魔物の仕業で、まだそれを討ち倒していないならば、助力することも考えた方が良いかも知れない。
道を急ぎ小領主邸へと向かう。最悪の場合、私の知る小領主ディノアムは既に亡くなっている可能性もあるだろう。
市民の目にあるのは恐怖だった。怯えたように私たちから視線を逸らされるのもあまり心地いいものではない。私たちの馬車を見るなり、物陰に隠れたり建物の中に引っ込んでいく者も少なくなかった。
邸に着き、ジョノミディスが名乗るとすぐに中へと案内された。使用人も含めて『ブェレンザッハ』を名乗る者を粗雑に扱うつもりはないようで、突然の来訪にも関わらず確認もなしに応接室に通された。
そして、お茶をゆっくり飲む間もなく小領主ディノアムが入室してきた。
「この度は大変申し訳ございません。私どもも反対したのですが、力及ばずヘージュハック侯爵の進軍を止めることは叶いませんでした。」
挨拶のために立ち上がると、小領主は平伏して謝罪を始める。彼らにとって最優先とするべきことは謝罪して許しを乞うことなのだろうか。
「一体何があったのか正直に説明してください。嘘を申しますと、ためになりませんよ。」
すっかり窶れた様子の小領主が今更嘘をつくとは思えないが、念を押しておく。捕虜を尋問して得られた情報と照らし合わせれば、真偽は概ね掴めるだろうと思う。
話を聞くと、八百ほどの騎士を率いて現れたハーベルヴィグ・ズェムは、食料と戦力を差し出すよう要求してきたらしい。突然の無茶苦茶な要求に小領主は抵抗したものの、戦力差は明らかで勝てるはずもなく、ヘージュハックの騎士は町の商人の倉から食料を奪っていったのだと言う。
「ヘージュハックの騎士だけで八百も来たのですか?」
「いえ、正確な数は不明ですが、セデセニオ伯爵、ヴァンヴォント伯爵、さらにハプアミシャ侯爵の紋章を付けた騎士もございました。」
ヴァンヴォント伯爵というのは初耳だが、セデセニオ伯爵、ハプアミシャ侯爵の名は捕虜の尋問でも挙がっていた名だ。そして、もう一つ気になることがある。
「その中にエリハオップ公爵の騎士は見ませんでしたか?」
「エリハオップ公? いや、そのような話は私は存じません。」
どうにも面倒な話である。元々、ノエヴィスに攻め入ったのはエリハオップ公爵と聞いている。ノエヴィスの者たちがそんな嘘を言う理由は全く思い当たらないが、何かの魂胆がある可能性もある。
ただし、私としてはエリハオップ公爵が周囲を煽るだけ煽って、自らは手を汚さないように立ち回った可能性の方が高いと思う。
色々と思うことはあるが、小領主ディノアムの前で話す内容でもない。私たちが無言で考え込んでいると、小領主は不安そうな表情で必死に訴えてくる。
「我々は断じてバランキル王国に攻め入ったりなどしておりません。」
「それは分かっている。捕らえた騎士を尋問しても、ミュウジュウ侯爵の名は出てきていない。」
そんなところで嘘を吐いて脅すようなことをしても今後のためにならないし、隠したり誤魔化したりして交渉するようなこともない。本当のことを言ってしまうのが最も利にかなうだろう。
「このことはミュウジュウ侯爵へは報告済みなのですか?」
「もちろんでございます。しかし、辺境の領地に力を貸してくれる有力貴族もないため、ヘージュハック侯爵に対しては苦情を述べる程度しかできないと思います。」
ヘージュハック侯爵の方は他の侯爵や伯爵を取り込んでいるのだ。対抗できるような力がないと言うが、実際にミュウジュウ侯爵に会って話してみなければどこまで真実なのかはわからない。
翌日、出発の際に畑に魔力を撒くことを教えておく。一日や二日で効果が出るわけではないが、なんとか二週間ほど耐え凌げば、収穫量の増加は間に合うはずだ。
収穫がもう終わりに差し掛かっている丸薯はもはや増やしようがないが、約二週間後に収穫が始まるはずの甘瓜や夏紫菜ならば何割増しかになるだろう。一カ月以上先の秋野菜ならば確実に増えるはずだ。
「そのような方法で本当に収穫量が増すのですか?」
「ノエヴィスの者たちがブェレンザッハに流れてきたのは知っていよう? 我々はあの人数の食料を賄うことができる程度には増やせている。」
少なくとも冬を越せなかった者がいるなどと報告は受けていない。ジョノミディスがそう言うと、小領主は目を見開き唾を飲み込む。
五万人も流れているのに、それを彼らが知らないなんてことはありえない。不作に苦しむ彼らとしては、その数を受け入れられること自体が信じられないのかもしれない。
「彼らは全員、バランキル王国で無事に暮らしているのですか?」
「個々の生活までは知らぬが、極端に死亡者数が増えたとは聞いていない。」
答えると、小領主は酷く狼狽えた様子を見せる。もしかして彼らは、私たちがノエヴィスの者たちを全て処分したとでも思っていたのだろうか。
ウンガスの行いを赦したわけではないが、助けを求めてきた者を皆殺しにするのも筋が違うと思う。
しかし、安易に逃げてこられても迷惑なので、できるだけこのミュウジュウ領でも収穫の増加に励んでもらいたいと思う。
ディノアムの町を出ても西へ進むと、畑を過ぎたところで道が二手に分かれる。前回はここを南西に進み王都を目指したが、今回はまずミュウジュウの領都に向かうため、北寄りの西へと進んでいく。
リュデリックら使節の者たちも、私たちと一緒にミュウジュウ領都へ行くことに同意した。王都に向かうには少しだけ遠回りとなるが、ヘージュハック侯爵の行為は明らかに不法であるとリュデリックは声を大にする。
「ミュウジュウの不利益を放置すれば、王族の信用失墜に繋がりかねん。詳細を明らかにする必要があります。」
そう憤った様子を見せるが、その向かう先が私たちの不利益にならないならば、止めも押しもするつもりもない。利害が一致するならば協力するだけだ。
ディノアムを出て三日目にミュウジュウ領都に着き、早速、城へと向かう。事前の報せも何もないが、城門で名乗ればそう待たされずに城内に通されることになった。
「バランキル王国の者の用件といえば、この春の進軍についてであろうな。私も苦々しく思っている。」
互いに挨拶を交わすとミュウジュウ侯爵は本当に苦々しそうにそう言う。侯爵は思ったよりも若く二十代半ばだろうか。疲れたというより寧ろ窶れた顔を見ると、苦労の程が窺える。
「ここに来るまでの道で、小領主からは関わっていないと聞いています。」
まず、話をしやすいように私たちが聞いていることを伝える。ただし、捕虜から得た情報については、一切触れることはしない。あくまでも小領主が言っていたことをまとめるだけだ。
「我が城に来たのはヘージュハック侯の遣いであったが、ハプアミシャ侯爵らも賛同している故、私にも攻撃に協力しろというものであった。」
そう言ってミュウジュウ侯爵が合図をすると、控えていた文官が文箱をテーブルに置く。軍に協力するよう要請する書類の中央に押されている紋は捕虜がつけていたものと同じだが、これが本当にヘージュハックのものかは私には分からない。
「リュデリック殿、これは間違いなくヘージュハックのものですか?」
「間違いない。もし、このようなものを捏造したならば、我が国の地図からミュウジュウの名は消えることになるであろう。」
「そのような愚かなこと、するはずがございません。」
リュデリックの言葉にミュウジュウ侯爵は厳しい顔を作って首を横に振る。書類の偽造など、鑑定を行えばすぐに露呈してしまうものだ。
その場を凌ぐために家が取り潰されてしまうような悪事を働くはずもない。
「ハプアミシャ以外にもヴァンヴォントとセデセニオの名がありますね。」
「うむ。協力しているのは間違いないだろう。」
その一方で、やはりエリハオップの名は一切出てこない。今回の件については本当に無関係なのか、巧みに隠れているのかは現在の情報では判断がつかない。
「ところで、ミュウジュウでは食料の生産は間に合っているのでしょうか?」
そう聞くとミュウジュウ侯爵は、はっと息を呑みその次の瞬間にはテーブルに打ちつけんばかりに頭を下げた。
「昨年は食料の支援をいただき、感謝に堪えません。何の返礼もできぬままこのような事態になってしまい、誠に申し訳ない。」
ここにきてようやく感謝の言葉を聞くことができた。送った食料が何処に運ばれていったのかも分からないため、小領主にはこちらから触れてはいない。
もし馬車が素通りしていってしまったのならば、感謝しろと言っても困ってしまうだろう。
「こちらにもそれほど余裕がなかったため、それほどの量を送ることはできなかったが、役に立ったのならば何よりだ。」
もっとも、余裕がなかったのはウンガスの動向のせいだ。それはミュウジュウ侯爵も分かっているのだろう、ひたすらに感謝の言葉を並べるのだった。




