404 忙しい春
「この苗は私が植えた大切なものです。食べてしまわないでくださいね。周囲の草の芽は食べてしまっても構いません。」
苗や草を指してそう言うと、白野羊は頷き短く「メゥ」と返事をする。本当に伝わっているのか不安なところもあるが、草を選んで毟っているところを見ると、きっと大丈夫だろう。
木を植えた周囲一帯に魔力を撒いてから畑に戻る。白い獣がいるのも構わずに魔力を撒くことにセスニロイエが驚いたように「大丈夫なのですか?」と聞いてくるが、〝守り手〟である白野羊がこの程度の魔力で倒れるはずがない。
それに、この辺りは私たちが管理している土地なのだと理解しておいてもらわなければ困る。畑にまでやってきたら、農民だって獣が畑を荒らしにきたと思うだろう。そんなことになれば、双方にとって良いことなど一つもない。
帰り道の途中、防風林に隣接する区画に魔力を撒いてみる。狩り尽くす勢いで徹底的に魔物退治をしているが、今年、どれほどが残っているのかの確認は早めにしておいた方が良い。
「今年は魔物が出てきませんね。」
魔力を少し多めに撒いても、小さな魔虫が少し出てきただけで実に静かなものだった。その様子にセスニロイエはほっと息を吐く。
「この辺りは私が徹底的に処理しましたからね。魔物はいくらでも涌いて出てくると思われていますけれど、根絶することはできるのです。」
放っておけば他所の地域からやってきてしまうが、毎年、徹底して魔物退治をしてやれば、その地域では魔物を根絶やしにしてしまうこともできる。
ハネシテゼの話によると、デォフナハの領都周辺には魔物がいないという。エーギノミーアでも畑の魔物はほぼ完全に駆除が完了しているらしい。ブェレンザッハでもその状態まで持っていけば、少ない労力で安定した収穫を得られるようになるだろう。
城に戻ると、畑の状況を踏まえて作付けの計画を決定する。
「では、これを今年の予想収穫量として徴税部門に出しましょう。」
「分かりました。今年も忙しくなりそうですね。」
「ええ。ディクサハンジ様も成人ですし、今年から畑の仕事はセスニロイエ様が中心となると思います。頑張ってくださいね。」
私の言葉にセスニロイエは真剣な表情で頷く。私とジョノミディスがいなくなる前提で仕事を割り振ると、セスニロイエにも重要な役を与えることになる。
セスニロイエの負担は大きいが、昨年のディクサハンジほどではない。
昨年、文官や騎士にも季節ごとに重要なことを指導してきているし、自分たちで試行錯誤していたノエヴィスの者たちもいる。今年は全く新しいことを導入する必要もなく、昨年と同じ方針で仕事の基盤を固めていけばいい。
私は特定の仕事を割り当てられはしないが、だからといってのんびりと暇を持て余しているわけにもいかない。できる限りの仕事は進めていくことになる。
差し当たっての仕事は、領都周辺の魔物退治だ。
アーウィゼからの緊急依頼に対応するため、私とジョノミディスは何日も領都から離れることができない。今のところの情報では不要と判断されているが、場合によっては出撃することになる。
そのため、遠方からの魔物退治の要請はファイアスラとディクサハンジに任せてあるが、中小の魔物でも徹底的に排除しておいた方が良い。日帰りで行ける範囲の村をまわって、片っ端から処理していく。
さらに、森に魔力を撒き、河港や堤防の痛み具合を確認したりと、一回の外出でいくつもの外回りの仕事を済ませていく。
城に戻るとブェレンザッハ公爵より呼び出しがあったのは、領都に戻ってから二週間ほどしてのことだった。
「アーウィゼより無事に撃退を完了したと報告があった。」
「完了ですか? 攻めてきた者を全て倒したのですか?」
「いや、四分の一ほどは逃走したと報告にはある。」
引き連れてきた魔物は全てを退治し馬車も破壊したため、ウンガス側も継戦は不可能と判断したのだろうということだ。
「ウンガスの馬は全て殺してしまったのでしょうか?」
「馬か? 生きた馬を五十三確保してあると報告にはあるな。」
そのうち何頭が使い物になるのかは定かではないが、馬が増えてくれればありがたい。馬を増やすにも時間がかかる。昨年生まれた馬を成馬として使えるようになるのは成長の早い個体でも来年以降だ。
小領主や周辺領地との行き来を増やしたいと考えているのだが、使える馬の数という制約のため、数年後まで待たなければならないとされていた。
「そのほかに六十一人を捕縛としたということだ。うち、十二人の上級貴族はすぐにこちらに送られてくる手筈だ。そこで聞きたいのだが、其方らは虜囚が労働力となると思うか?」
「無理でしょう。早めに処刑してしまった方が良いかと思います。」
「私も同意見です。尋問は必要でしょうけれど、温情をかける必要などございませんし、安全に利用する方法も思いつきません。」
ノエヴィスのように助けを求めて亡命してきたならばともかく、武力を以って進攻してきた愚か者たちに使い道などない。生かしておいても、食費などが無駄に発生するだけで何一つ利益が期待できない。
何とかして魔力を奪って畑に撒くことができれば良いのだが、そんな都合の良い方法もない。
ハネシテゼならば何か良い案を思いつくかも知れないが、王都を出発する前までに何の助言もなかったことを考えるとそこに期待しても無駄だろう。
「逃げた者は如何する予定なのでしょう? 我が地に武力を以って侵入した者に何の咎もないのでは納得がいかぬ者も多いでしょう。」
「だからといって、国境を越えての反撃は私の独断ではできぬ。尋問の結果とともに国王に判断願うしかあるまい。」
上級貴族も捕らえているのだから、進攻の首謀者も明らかになるだろうとブェレンザッハ公爵は言う。
今回の攻撃がウンガス王族の総意であるならば片っ端から叩き潰していったのでも良いだろうが、反体制派か変な方向で暴走したという可能性もある。その場合、関係ない貴族に攻撃すれば問題が拡大するだけだ。
「どうせ、やるときは首謀者の城まで攻め込むことになるのだ。追撃するのは尋問の後で十分だ。」
「分かりました。」
ブェレンザッハ公爵の主張に、私もジョノミディスも頷かざるを得ない。ノエヴィス伯爵領に攻め入ったエリハオップ公爵やヘージュハック侯爵が今回の首謀者ならば、その城を攻め落とすことも視野に入れるのは私も同意するところである。
「砦の状況については報告がございますか?」
一度、大きく深呼吸して気持ちを切り替えるとジョノミディスが質問をする。
「うむ、其方の自慢の罠は一つだけ使ったそうだ。その結果、大打撃を与えたということのようだな。」
「使用後の状態を確認したいと存じます。」
再び罠を設置できるかは、実際に現地を見てみなければ分からない。同じところに設置するのかなど、検討すべきことはあるとジョノミディスは言う。
「その件はディクサハンジと一緒に進めてくれ。アーウィゼには、支障がない限り現状を維持するよう遣いを出そう。」
「承知いたしました。」
砦の運用についても引き継ぎをしておかなければ、私たちがブェレンザッハを離れた時に困ることになる。
ウンガスの王位に就いたジョノミディスがブェレンザッハに攻め入るなんて莫迦げたことはないだろうが、いつまた反乱分子が訳の分からない行動に出るかなど、今の時点では全く想像もできない。
「一つ問題が片付きましたし、これで安心して寝られますね。」
「捕虜の尋問という面倒な仕事はまだ残っていることを忘れんでくれ。」
「承知しております。」
仕事が全て片付いたわけではないが、色々心配して頭を悩ませる種が一つなくなったのだ。これで、城を離れての仕事も進めていける。各地の森の確認は早めにしておきたいのだ。町でも村でも人口が一気に増えて、周辺にどの程度影響を出しているのかは調査が必要だ。
翌日から小領主との話も兼ねて、各地を巡っていく。
ノエヴィスからの移民で大きく人口が増えた町は、こちらでも気にしておく必要がある。食料の備蓄が不足するようなことがあるかもしれないし、想像もしていなかった問題が起きていないとも限らない。
いくつかの町に行ってみると、案の定、食料が不足しそうだという町はある。その一方で、思った以上の余剰が残っている町もある。
それらの調整を図るのも領主一族の仕事の一つだ。
また、作物の種を融通してほしいという地域もあり、これも領都から出したり、周辺の町に募ったりと調整をする。
そうしている間にも、元ノエヴィスの騎士を中心に、各地の畑に魔力を撒いていく。いや、魔力を撒くのは畑だけではない。森や草原にも可能な限り魔力を撒いていく。
そこらに生えるただの草でも馬や家畜の餌になるし、野の獣の食べ物が増えれば畑が荒らされる率も減る。森の恵みの多寡は私たちの食卓にも影響を与える。
そうして忙しくしているうちに季節は進み、種蒔きを終えた畑には芽が元気に伸びてくる。陽の光や雨も機嫌を損ねることなく恵みをもたらしてくれ、今年も豊作を予感させてくれる。
そして、最初の収穫が始まろうかという頃に、ウンガスからの遣いという者がやってきた。




