400 弟の婚約予定者
「新しき王に、栄光あれ!」
エーギノミーア公爵の上げた声に合わせて領主たちは一斉に動く。王子たち、いや王兄や王姉たちも壇の下に並び、立ち位置の違いを示す。ハネシテゼ新国王の隣に立つのは王配だけだ。
私とジョノミディスもブェレンザッハ公爵とともに壇の下、ハネシテゼの正面に跪く。
「長年続いた苦しい時も、じきに終わります。いえ、わたしたちの手で終わらせます。皆さま、いえ、諸侯らにも負担はありましょうが、ぜひともご協力いただきたい。その先には繁栄を約束いたしましょう。」
「御意のままに。」
ハネシテゼの言葉に、公爵が一斉に返答をする。戴冠式に際してこのような打ち合わせはしていなかったはずだが、これも公爵家当主としての振る舞いの一つなのだろうか。私も覚えておかねばならないだろう。
その後、先王や先々王からも軽く言葉があり、全員が起立して敬礼すると戴冠式は終了だ。その後はいつも通りの日復祭が始まる。
私としてはハネシテゼと挨拶をしておきたいのだが、様子を窺っているうちに一人の女性が私の前にやってきた。
「お久しゅうございます、ティアリッテ・シュレイ様。」
「お久しゅうございます、ええと……、メイキヒューセ様でございますよね?」
間違っていたらとても失礼なのだが、私と同年代の者の大半は、最後に会ったのが学院の五年生のとき、つまり約四年前だ。記憶が曖昧というよりも、当時と容姿が変わってしまっている。ウジメドゥアであることは先ほどの挨拶で分かっているのだが、ウジメドゥアにはメイキヒューセの二歳上にクォニナマエがいる。姉妹どちらとも久しく会っていなければ、区別は非常に難しい。
「はい。メイキヒューセ・ウジメドゥアにございます。ティアリッテ様はわたくしのことはお聞きでして?」
「フィエルナズサと婚約の話が進んでいるとは聞いていますが、そのことでしょうか?」
彼女の名前はフィエルナズサから聞いているが、それ以外の話となれば、心当りは全くない。だが、メイキヒューセは少し困ったように首を横に振った。
「わたくし、エーギノミーアと結婚することは考えたことがなかったのです。まさかエーギノミーアが西にまで手を伸ばしてくるとは思っていませんでしたから。」
「フィエルナズサとの婚約はお嫌でしたか?」
非常に遠回しな言い方だが、メイキヒューセはフィエルナズサとの婚姻を望んでいないのだろうか。家の意向があれど、どうしても本人同士の相性が合わないこともある。
「そうではありませんけれど、なんとなく愚痴を言いたくなったのです。決してティアリッテ様をお恨みしているわけではなく、幼い頃より思い描いていた将来と随分かけ離れてしまったことを誰かに言いたかったのです。」
私が突如として婚約を申し込むまで、ジョノミディスの婚約者の第一候補は元々彼女だったらしい。
別に急ぐ必要もないということで、ゆっくり話を進めているうちにウンガスからの侵攻があり、その対応に慌ただしくしているうちにジョノミディスと私が婚約していたのだという。
親に言うことなどできるはずもないし、この数年、ジョノミディスや私と会う機会もなく、どこにも向けようのない気持ちが渦巻いていたのだとメイキヒューセは告白する。
「ジョノミディス様が婚約したと聞いた時は本当に驚きましたわ。」
「あら、私も一年生のころよりジョノミディス様は婚約者の候補として考えていたのですよ。ウンガスのことがなければ、メイキヒューセ様が選ばれていた可能性は高かったでしょうけれど。」
派閥を越えて婚姻を結ぶことは簡単ではない。例がないわけではないし絶対にありえない話ではないが、同じ派閥内に有力候補がいるのに、それを差し置いて他の派閥と縁を結ぶには相応の理由が必要だ。
ジョノミディスから見て私とメイキヒューセのどちらが有力な候補かと言えば、何もなければメイキヒューセに決まっている。
「すべての元凶はウンガス王国です。決して私のせいではありません。おそらく、将来像が最も変わったのはハネシテゼ様、いえ陛下とセプクギオ殿下ですよ。」
ウンガス軍の討伐を命じられなければ、ハネシテゼがセプクギオと婚約するなんて話も出てこなかっただろう。その場合、ハネシテゼはエーギノミーアかファーマリンキの上級貴族の令息を婿に向かえていたのではないかと思う。
「ティアリッテ様もそう言うのですね。」
「私も、とは他に誰が言っていたのでしょう?」
「父もフィエルナズサ様も同じように言っていましたわ。」
軽く息を吐いてメイキヒューセが言うが、私は笑ってしまった。ウジメドゥア公爵も十分すぎるほどウンガスから迷惑を被っている。
ウジメドゥアでは第一王子を次期国王に推していたし、エーギノミーアは第二王子派だ。ウンガスの侵攻の前に男爵令嬢が国王となるなど、本気で思っていた者はいないだろう。
「婚約する相手が変わってしまったくらいならば良い方だと父は言うのですけれど、わたくし、まだ婚約してもいないのですよ。結婚式をどうしようと言っていてもおかしくない年頃だというのに、このままでは、いつ結婚できるかも分かりません。」
彼女は既にウンガス行きの話を聞いているのだろう。それが現実となれば、彼女の結婚はかなり先送りになってしまう。来年から五年間ウンガスに行けば、帰ってきて結婚するのは二十一歳以降になってしまう。
特段の事情もなく二十歳過ぎまで結婚できなければ、色々とあることないことを噂されるのは間違いないだろう。
「事情は皆分かっているのですから、誰もメイキヒューセに欠陥があるなどとは思いませんよ。」
「そういう問題ではございません! ティアリッテ様は乙女の夢を何だと思っているのですか!」
メイキヒューセは頬を膨らませてそう言うが、私には彼女が何を言っているのかよく分からない。貴族にとって体裁というのはとても大切だが、事情があり已むを得ない場合だってある。現にデォフナハ男爵が結婚したのは適齢期を過ぎて二十二歳のときと聞いている。
はやく子を産みたいというのは分からなくもないが、その点は私も先送りになってしまいそうである。
「ティアリッテ様は例の話はどの程度の確度と考えているのですか?」
「ほぼ間違いなくそうなると思っています。そのつもりで準備しておかなければ、間に合いませんもの。」
「計画や調整の話ではなくて、気持ちの問題をお聞きしたいのです。わたくしはずっと振り回されてばかりで、想像したこともないことにどのように気持ちを持てばいいのか分からないのです。」
メイキヒューセのその言葉を聞いて、やっとわかった。彼女は自信がないのだ。わけも分からぬまま巻き込まれることも多かったが、それでも私は結果を出して実績を積み上げてきている。恐らく彼女にはそれができていないのではないだろうか。
「私としては最善を尽くすことだけを考えるとしか言いようがありません。帰ってくるのが五年から七年後だなんて、ハネシテゼ陛下が言っているだけのことです。そんなことで悩む暇があるならば、何とかして三年で帰ってくるにはどうしたら良いかを考えた方が有益ではありませんか?」
私がそう言うと、メイキヒューセは大きく目を見張った。彼女は今までそのように考えたことはなかったのだろうか。
少なくとも私は、自分が振り回された被害者だとばかり言っていては何も先に進めないと思っている。だから、どんな経緯であろうとも関わることが決まったら全力で取り組むことにしている。
ウンガスの王として立てられるのは恐らくジョノミディスだが、メイキヒューセだって何の意見を言う権利もないわけではない。少なくとも私たちの中では対等に意見を言える立場を確保するつもりだ。
「ティアリッテ様はお強いのですね。」
「ハネシテゼ陛下ほどではありませんよ。」
「国王陛下と比較するなんて烏滸がましいですわ。」
メイキヒューセは笑いながら指摘するが、私にとってハネシテゼは長年越えるべき目標であった存在だ。いきなり意識するなと言われても、とても難しい。
ハネシテゼは私にとって家族に次いで近い存在の一人だったのだが、ずいぶんと遠くなってしまったものだと思う。




