194 再びイグスエンへ
急いで遠征の準備を整えて、二日後に出発の時を迎える。昨夜から雪が降り続いているが、それを理由に出発を先延ばしにすることはない。
先発隊として私と一緒に行くのはザクスネロにモレミア侯爵、そして騎士が五十一だ。数が中途半端だが、準備や隊を分ける都合上そうなってしまった。
門を出て数時間はハネシテゼたちブェレンザッハ行きの部隊と一緒だが、昼前には別の道に分かれて進む。ブェレンザッハを経由してもイグスエンに行くことはできるのだが、船には乗れる上限があることや、途中で宿泊する町の負担を考えて別に行くことになったのだ。
馬を駆り、雪の道を進んでいくが、イグスエンに着くまで一週間以上かかる。途中で各地の領主や小領主の邸に泊めてもらうが、良い顔はされない。それでも小領主が下手に出るのはモレミア侯爵当人がいるからだろうか。
吹雪でも構わずに進み続け、十日目にイグスエンに入る。以前にも通った道でも、冬になり白に染まるとそれとは分かりづらい。それでも特徴的な形の山は見れば分かる。
「もうすぐで町に着きますね。」
「無事だと良いのですけれど……」
雪が積もってから既に何日も経過している。敵が本格的に動き出していてもおかしくはない。最悪の想像が頭から離れてくれないなか、町の無事な姿が雪の向こうに見えてきた。
「一体、どうしたのですか⁉」
小領主の邸に行くと、開口一番に問われた。
「ご無事でなによりです。戦いを終わらせにきました。」
「こんな時期にですか? もう雪がかなり積もってきています。敵もそう簡単に動けないでしょう。」
小領主は楽観的なことを言うが、既に敵の撃退は終わったとは言っていない。確認するまでもなく、未だ戦は継続しているということだ。
「ウンガスは雪解け前に国境の山脈を越えてきたのです。少々雪が降ったくらいで攻撃を諦めるとは思えません。」
「確かに……、そうであるが……」
私の説明に小領主は急に弱気になるが、それ以上の問答は必要ない。この町の蓄えや、得ている戦況について確認する方が優先だ。
「食糧を受けたらすぐに出発しますよ。」
ほとんど立ち話で話を終えると、私は振り返り指示を出す。が、それにモレミア侯爵は異を唱えた。
「お待ちください。いつ、どこで敵に出くわすかも分かりまさん。一度休み、体力を回復させねば満足に戦えません。」
敵の動きの情報もない状態でこれ以上の無理な進軍は危険すぎるという彼の主張は十分な説得力がある。私は先を急ぎたいのだが、モレミア侯爵に急ぎすぎだと諫められてしまった。
「今少し、殿下たちを信じましょう。」
「分かりました。」
無理な行軍をしたばかりに敗北してしまったのでは何の意味も無い。今日の残り時間は休憩にあてることにした。そして、それに伴って小領主に部屋の用意をお願いすることになる。といっても、客室にすべての騎士が入ることはできない。
これまでの道中そうしていたように、廊下でも構わないというと小領主は申し訳なさそうに頭を下げる。
雪と風を凌げるだけでも全然違う。野営では体力の回復はほとんど期待できない。贅沢な食事もないが、邸の一角を借りて一拍できるだけでも随分と回復できるものだ。
翌日も日の出前から出発して、領都を目指す。以前に来たときは街道を外れて山の中を進んだのだが、今回は街道をそのまま進んでいく。さすがにこの雪の中、敵が道もない山の中を動き回っていることもないだろう。
次の町ウェンディオでも小領主と同じようなやり取りが発生するが、これはどうにもならない。同じ説明を何度も繰り返すことは、過去にも経験がある。それも仕事だと思って諦めるしかない。
「領都までは、あと二日ですか。」
「焦ってもどうにもなりません。無事な町が二つあったのです、地理的に考えてもこの二つだけが無事ということもないでしょう。」
道もない山の中を行くという暴挙に出ない限り、イグスエン北東部に行くにはこの町か領都を通ることになる。領都はそう簡単に落とせるものではないし、北側は無事である可能性は高い。
「問題は敵がどう動くかですね。」
「領都を避けて、西の街道を北に進まれるのが最も厄介だな。」
モレミア侯爵の言葉に揃って首肯する。
敵が既にイグスエン北西部に入っていたら、私たちには止める手段がない。急いで向かっても、着く頃には多くの町が滅ぼされてしまっているだろう。
「何のために北西に? そちらに行く利点があるのですか?」
ザクスネロは首を傾げるが、理由なんて一つしかない。
「町を襲えば、食料が手に入るだろう。」
「敵も食料が潤沢にあるわけではないでしょうから、奪おうとしても不思議ではありません。」
ウンガス王国も不作が続いていると聞いている。それほど多くの食料は用意できていない可能性は高い。奪う前提であると考えるべきだろう。
問題は、行動を起こす時期だ。既に動き始めていても不思議ではないが、しばらく期間を置いて完全に油断したところを攻める作戦も考えられる。
「それで、領都へはどちらから? 北からの方が安全ではあると思うが。」
「西からにしましょう。北が無事ならば、私たちが行く必要がありません。」
「そうだな。次の町も無事だと良いのだが。」
「いいえ、ここから西へ行った先の町は既に滅ぼされています。」
次の町には敵が陣を張っているくらいの想定で進んでおけば良いのではないだろうか。いずれ、敵と戦うつもりでいるのだ。明日がその日であるかもしれないだろう。
「ここまで敵が来ていると?」
「可能性の話です。第二王子殿下が後退していれば、その分だけ敵が進んでいるものと思っておくべきです。」
後退していく背後からの攻撃だって十分に考えられる。警戒はしておくに越したことはないだろう。
そう言うと小領主は不安そうな表情を見せるが、その敵を倒すために私たちが来ているのだ。情報が少ないというだけで止まっているわけにはいかない。
町で待っていても、情報がやってくることはないだろう。悠長にしていれば敵の方が先に来てしまう。
翌日も雪道を進んでいくと、何か音が聞こえてくる。足を止めて確認してみるが、気のせいや勘違いではない。
「風の音ではないですね。」
雪は降ったり止んだりという天気だが、風は強くはない。空の雲の動きもぱっと見て分かるほどではない。
「……まさか、本当にこの先で戦っているのか?」
「他に理由が思い付きません。急ぎましょう。」
私は杖を振り、暴風で道に積もった雪を吹き飛ばす。その方が一歩ずつ雪に埋まりながら進むよりは早いはずだ。
「ティアリッテ様、それでは魔力が持ちません!」
「これくらいならば問題ありません。」
魔力が尽きるまでずっとそうして進むつもりはない。体力の消耗を抑え、少しでも早くするためには、魔力の消費はある程度までは目を瞑るというだけだ。
「交代いたします。一人一回ずつならば、負担になりません。」
数回繰り返したところで、騎士がそう言って前に出る。そこは意地を張るところでもないので、素直に彼らに任せることにする。
そうして進んでいくと、明らかに聞こえてくる音は大きくなってくる。
「どうしますか? このまま進めば見つかってしまいます。」
「できるだけ目立つように行きましょう。敵の注意をこちらに引きつけます。」
両軍とも、東からの援軍は予定していないだろう。予期しない部隊が突然現れたらそちらを気にしないわけにはいかない。
そこまでは敵味方ともに同じ条件だが、私が私であると示す方法はある。
右へ左へと曲がる道を進んでいくと、町の跡地付近で騎士たちがぶつかり合っているのが見えた。
だが、問題が一つある。
「どちらが敵でしょう?」
「分からぬ!」
おそらく、右の北側がバランキルの騎士だと思うのだが、先回りした敵に虚を突かれた可能性もある。迂闊に攻撃を仕掛ければ同士討ちになりかねない。
「中央に向かいます。ザクスネロ様、雷光を上に向けて放ちながら行きます。」
ここにきて戦いを傍観しているわけにはいかない。すぐに加勢した方が良いだろう。ならば、敵味方の識別を向こうにしてもらった方が早い。
爆炎をばら撒いて存在を強く主張し、上に向けて雷光を伸ばす。さらに雪を吹き飛ばしながら進んで防風林を抜けると、左手から騎士の一団がやってくる。
積もった雪をかき分けるように畑を進んでくるが、その速さは夏場から比べると話にならないほど遅い。はっきり言って体力の無駄だろう。
これならば、こちらから向かって行く必要もない。爆炎と雷光をさらに投げて威嚇しながら待っていれば良い。
敵が放った矢は風で吹き飛ばし、ゆっくり進んで敵が近づいてくるのを待つ。
近づいてくる騎士は約四十。私たちの倍以上の数だ。こちらの人数を見て数で押し切れると思って正面から来ているのだろうが、はっきり言って考えが甘すぎる。
私たちを取り囲むように広がって魔法を放ってくるが、決定的なほど距離を詰められはしない。私一人で火柱を二十以上も並べてやれば、数の差なんてないに等しい。
向かってきたウンガス騎士は慌てて横に動いていくが、防風林に隠れて回り込んだ王宮騎士たちが敵を側面から吹き飛ばしていく。
瞬く間に仲間が倒れれば、残った者たちも平静を保つのは難しい。こちらからも畳み掛ければ、数十秒で四十ほどのウンガス騎士は全て雪に倒れる。
「勝敗を決するのは作戦次第、とはこういうことか。これほど一方的に終わるとは思わなかったぞ。」
「わ、私はまだ何もしていないのだが……」
人を相手にするのは初めての者は少なからず出遅れており、ザクスネロもその一人だった。それくらい素早く勝ちを取りにいかなければ延々と持久戦をすることになってしまうのだから仕方がない。
「あちらは先ほどから変わっているように見えないでしょう? 正面から当たるだけでは、あのように膠着状態に陥ってしまうのです。戦場で迷っている暇はございません。」
両軍がぶつかり合っているところを示して言うと、改めてモレミア侯爵たちも頷いた。




