183 子ども三人旅
ブェレンザッハの領地運営に私たちが深く関わることは好まれない。イグスエンは侯爵という立場や情勢もあって、公爵家直系の私やフィエルに対して一歩引いているところがあったが、第一公爵の城内ではただの子どもの客人という扱いだ。
ジョノミディスの学友ということで、それなりに尊重はされているようだが、必要以上に持ちあげられることもない。
対人戦闘経験の無い騎士たちに注意事項を伝えることは受け入れられても、実演や指導となると「それは過剰だ」と断られてしまった。
実演に関してはジョノミディスが後でやって見せれば良いだけなので、私たちも食い下がることはなく、こちらはこちらでどうやって王都まで帰るかの相談をする。
馬や徽章、短剣など王の名で貸し与えられているため、これの返却はしないわけにいかないし、王都はここからエーギノミーアに帰る途中にある。
私たちが王都に立ち寄るのは何も問題ないが、一番困るのはジョノミディスの分だ。返却しないわけにはいかないが、今、ジョノミディスがブェレンザッハを離れるなんてできるはずもない。
本人が返却に出向かないのはかなり失礼に当たるはずだが、今の状況ではどうにもならない。秋になっても事態が収束していなければ、ジョノミディスは王都に向かうこともできない可能性もある。
結論として、私たちが預かっていくことになった。
「本当に商人と行くのですか?」
「わたしたちは道に詳しくもありませんし、慣れている者と一緒の方が楽だと思うのです。」
ハネシテゼはそう言うが、商人と同行するならば小領主邸に泊まるのも難しくなるのではないだろうか。小領主ならともかく、途中の伯爵や侯爵の城を素通りしていくのは問題があるような気がする。
私がそう言うと、フィエルも難しい顔で頷く。
「確かに公爵家の体面を考えると良くないな。だが、それを言うならば、護衛も付けずに私たちだけでというのもどうかと思うのだが……」
なかなかに難しい話である。だが、結局のところ商人と一緒にという話はなくなった。
体面の問題はおいておくにしても、途中で領主との情報交換をしないのは、後々大きな問題になりかねない。王都に着いたら、当然王族に報告は必要だし、その際に道中の様子を答えられないようでは困るだろう。
ブェレンザッハから離れて隣のビアジア伯爵のところまで行けば、騎士を貸してくれるかもしれない。
「帰りはどうするのです?」
「デォフナハに来ていただいて秋まで滞在してもらいます。食料生産向上について具体的な指導をすると言えば、彼らにも利があるでしょう?」
戦争のこともあり、食料生産は非常に大きな問題になっている。難民が流れ込んでくる可能性を考えると、食料の増産は喫緊の課題とも言える。
それは確かなのだが、一つだけ不安がある。
「そのようなことをハネシテゼ様が決めてしまって大丈夫なのでしょうか?」
私ならば間違いなく父に叱られる。他領の騎士を連れて帰り、しばらく滞在させるのは、父に相談しなければならない案件だ。
「説明は求められるでしょうけれど、きちんと理由を説明すれば納得してくれると思います。」
デォフナハでは二、三十人くらいなら面倒を見る余裕があるし、むしろ人手不足で困っているくらいなのだから、一時的にでも騎士が来てくれるのは助かるのだと言う。
一晩ゆっくり休みはするが、それ以上の長居は無用だ。翌朝にはブェレンザッハの領都を発ち、東へと向かう。ここから王都までは約二週間かかる予定だ。
そのころには甘菜の収穫は終わり、細瓜や赤茄子の収穫が始まっているかも知れない。今年も野菜が町や城に溢れかえっているのだろうか。
「昨年より酷いことになっていなければ良いのですけれど。昨年は野菜で町が埋め尽くされるかと思いました。」
畑を見ながらそろそろそんな時期なのだと思いながら歩いていると、ついついそんな言葉が口から出てくる。
「兄上たちもすぐに加減が分かるとは思えぬ。どうなっているか分からぬぞ。」
適正量は兄姉にも分からないはずだ。かなりの勢いで魔力を撒いていることが予想される。だがそう聞いてハネシテゼは首を傾げる。
「お兄様やお姉様は昨年は畑に関わっていないのですか?」
「兄も姉も何度か畑に出ていますし、どのような仕事をするのかも分かっているはずです。ただし、兄たちは魔物退治が主担当で、畑は私とティアの担当だったのです。」
加減が分からないこと以上に、食糧の供出を約束しているのも大きい。周辺の領地にもエーギノミーアの力を示すために、限界まで生産量を増やそうとしていてもおかしくはない。
時間と気持ちの余裕ができると、変な想像ばかりが膨らんでしまう。急に不安になったりもするが、父や母が何も対策を考えていないこともないだろう。
昼前に着いた町は素通りして次の町へと急いで向かうことにする。何が何でも急がなければならない旅ではないが、あまり時間を掛け過ぎるのも問題だ。
できるだけ早く帰りたいと思うのは、三人とも同じである。陽が落ちる直前に次の町に駆け込み、小領主邸で一泊する。
数日かけて街道を進み、ブェレンザッハを出てすぐのところで船に乗せてもらう。お金を持っていない私たちが船に乗せてもらえるかは分からなかったが、思ったよりも快く乗せてくれたのだ。
「彼らに何か見返りがあるのでしょうか?」
「魔物が出たときに便利だからですよ。」
あまりにも簡単に船に乗れたことに疑問を口にすると、ハネシテゼは周囲を見回しながら答える。
船には私たち以外の商人も客として乗っている。彼らは当然、魔物対策として護衛の者たちを連れているのだが、弓矢と槍で戦う彼らよりも、魔法で一掃できる貴族の方が心強いのは確かだろう。
貴族が同乗することで居心地の悪い思いはするかも知れないが、大人しく平身低頭に振る舞っていれば危険は少ないということだ。
船旅はとても暇だ。馬に乗っているより楽なのは確かなのだが、とにかく暇だ。
魔物退治で期待されているとはいっても、そう何度も襲撃してくるわけでもない。一日一回襲撃されれば多いくらいだ。
それでも運が良いのか悪いのか、魔物の姿があると叫んでいるのが聞こえてきた。
「魔物はどこですか?」
甲板に出てそう聞くのは、魔物の気配は結構あちこちにあるからだ。実のところ、水の中に潜んでいる魔物の数は少なくない。
全て退治していってやりたい気もするが、それは船の運行を妨げることになるということで我慢しているのだ。
「あれだ。水が撥ねているだろう? あれが段々近づいている。」
確かに魔物である。しかも、結構大きい。
「ティアリッテ様にフィエルナズサ様は水中の魔物を退治したことがございますか?」
「そういえばないですね。どのようにするのでしょう?」
「水の中に雷光や炎は届かないので、水魔法を使います。」
ハネシテゼが杖を振ると、水の槍が幾つも魔物のいる辺りに突き刺さる。盛大に水飛沫が上がり、魔物の咆哮も上がる。
「まあ、これくらいでは死なないですよね。」
傷を負った魔物は怒って頭を水上に出してくるが、そんなことで別にハネシテゼが慌てたりすることはない。船員や商人は驚きか恐怖といった類の声を上げるが、自ら姿を現した敵に恐れる必要はどこにもないのだ。
魔物は雷光で撃たれて水に流れていく。
「もうちょっと近づいてからやった方が良かったですね。あれでは死骸の処分ができません……」
珍しく「失敗してしまった」としょげた表情を見せるが、船員や商人の評価はそうではないようだ。
彼らの恐怖の目は私たちに向くようになっている。
私たちは民を虐げたり殺戮する趣味はないというのに、まったく失礼なことである。
「貴族が魔物や悪人を退治するのは当然ではないか。其方らは処刑されるような悪事を働いているのか?」
実際のところ、本当に彼らが犯罪者でも、この地の領主に無断で私たちがこの場で勝手に民を裁くことは許されない。
襲いかかってきたならばともかく、過去の犯罪は叱責することはできてもそれ以上の手出しは無用とされる。他領の犯罪者の量刑をどうするかは、私たちに決定権はないのだ。
だが、そのような貴族の常識は知らないのか、商人たちは激しく首を横に振って否定するのだった。




