180 休息
湯に浸かって身体の汚れを落とし、綺麗な衣服に着替えると身も軽くなるような気分だ。部屋の中は暖かで、焚かれた香が微かに鼻をくすぐるのが心地いい。
そして何より、久しぶりのベッドである。もふもふと一緒に寝るのも心地良かったが、やはり好きなだけ手足を伸ばして寝られるベッドは格別だ。
あまりの心地よさに眠ってしまい、使用人に起こされたときはもう夕食の時間だった。
「お休みになっていらっしゃいましたので伝えるのが遅くなりましたが、夕食はウジメドゥア公爵閣下も同席いたします。」
使用人から直前になったことを謝罪されるが、完全に眠ってしまったのは私の落ち度だ。とりあえず、部屋に入ったら公爵もいた、という状況だけは避けられたということで良しとしておこう。
廊下を歩いていると、やはり眠そうな顔をしたフィエルもやってくる。外を動き回っている間は気付かなかったが、疲労が溜まっていたということだろう。
「随分と眠そうですけれど、休めましたか?」
「ああ、ハネシテゼ様やジョノミディス様とも話をしたかったのだが、完全に眠ってしまっていた……」
私と同じようにフィエルもベッドの力に抗えず、湯浴みを終えてすぐに寝入ってしまったらしい。一度、気を引き締め直してから食堂に入る。
「お食事にお招きいただき、ありがとうございます。」
公爵もいるので跪いた方が良いかとも思ったが、席の配置を見てそこまでは必要ないと判断し、一礼するにとどめる。
入口から見て正面にイグスエン侯爵とその夫人。そのすぐ横にはウジメドゥア公爵、逆側はジョノミディスが座る。そして、イグスエン周辺領の領主やその代理と思しき者が列席している。
この場合は、私たちはどこに座れば良いのだろう? フィエルと二人並んで固まっていると、使用人が私たちの座るべき席へと案内してくれた。
私たちが座り、そう時間を置かずにハネシテゼともう一人、見覚えのない者が入室してくる。ハネシテゼの席は私の隣、見知らぬ者はさらにその隣だ。
「全員揃いましたので、始めましょう。」
イグスエン侯爵の合図とともに、杯に酒が注がれる。このような席では酒がでるものだが、私はあまり好きではない。一口も飲まないわけにはいかないので、軽く口をつけるがそれだけだ。
「それで、ウンガスの戦力はどれほどのものなのだ?」
伯爵が質問してくるが、そんな大雑把な質問で何を聞きたいのだろうか。フィエルと二人で顔を見合わせていると、ハネシテゼが面白くもなさそうに口を開いた。
「イグスエンや周辺領を攻め落とすことができる戦力だと思いますよ。大事なのは戦力をどう使うかです。敵に勝つのに十分な戦力などというものはございません。」
「そのようなことを聞きたいのではなく、もっと具体的に……」
「軍議は食事後に行えば良いでしょう。」
食事中の話題ではない、とハネシテゼは切って捨てる。伯爵相手にまるで容赦がないが、大丈夫なのか不安になるほどだ。
「では、どのような話題なら良いのだ?」
ウジメドゥア公爵の質問にハネシテゼは首を傾げて数秒考えて、「イグスエンの畑は今年は豊作になりますよ」と自信満々に笑みを浮かべる。
「何故、そのようなことが分かる?」
「畑に出れば分かります。農民たちはしっかりと言いつけを守って頑張って働いていますし、この調子でいけば実りは期待できるでしょう。」
播いた種は芽を出し、すくすくと育っているそうだ。領都周辺の畑は私たちも魔力を撒いているし、農民たちも頑張って小さな魔物を潰していっているらしい。
「農業生産力の向上はそんな簡単にできることなのか?」
「そうですね、やること自体はそう難しくはありませんね。」
「一番難しいのは、貴族の考え方を変えなければならないことですからね。」
はっきり言って、魔力を撒いて、魔物を退治するだけなのだ。それだけで収穫は劇的に向上する。問題は、畑に出る貴族がいないことなのだ。
「何にせよ、ウンガス軍がここまで来ていなかったのが幸いだな。敵が目の前にいては、農民たちも畑には出られまい。」
「一ヶ月ほど前は来ていましたよ。聞いていなかったのですか?」
随分と惚けたことを言うものだ。これまでの戦いについての説明はしていないのだろうか。
ざっくりと時系列に沿って、倒した敵を数え上げながら説明すると、領主たちは揃って疑うような目を向けてくる。
「一万数千の兵に、数千の騎士が攻め込んできていたのは確かだ。王宮騎士団もそう言っているのだ、嘘ではあるまい。」
イグスエン侯爵がそう言うと、周囲の者たちは揃って低い声を漏らす。だが、ひとつ聞くべきことを思い出した。
「ウンガスにはどれほどの騎士がいるものなのでしょう? ストリニウス殿下もありえない数だとおっしゃっていましたけれど……」
「騎士の数は分からぬな。ウンガスの国土はバランキル王国の倍ほどの広さがあるらしいとは聞いているが、貴族の人数までは把握しておらぬ。」
情報があるのは国境近くに土地を持つ領主や王族くらいで、全体的な情報はないらしい。何かあって使節が行くにしてもウンガス王都までで、さらに西側へいくことなどない。
「つまり、ウンガスに残存戦力があるかは分からないということですね。」
「そうなるな。その数を聞くとこれ以上はないと思いたいが……」
そう言ってウジメドゥア公爵も溜息を吐く。
だんだんと食事の話題として適さないものになってきたので、何かなかったかと必死に頭を巡らせて考える。
戦いの話は避けるとして、それ以外の話題は畑の収穫の改善か、白いもふもふ……
「そういえばハネシテゼ様。あの金の獣の話はお聞きになったのですか?」
「イグスエン侯爵閣下は存じなかったようですが、他の方にはお聞きしていませんでしたね。」
「金の獣? なんだそれは?」
ウジメドゥア公爵たちも興味を持ったようで詳しい話を求めてくる。イグスエン侯爵が知らないというならば、どこかの地方の伝承くらいしか期待できないが、誰も知らないと決めつけるのも早計だ。
山で出会った強大な魔力を持つ獣のことを話すが、周囲の者たちは揃って「聞いたことがない」と首を横に振る。
残念ながら、近づいてはならない存在、といった話も特に聞き覚えがないようで、「決して近づいてはいけない」と念を押してその話は終わった。
食事を終えると、部屋を移動して今後について話し合うことになる。
まずは、地図を指して、私たちがイグスエンに到着して以降に発見した敵の場所と数を挙げていくところからはじまる。これまでの情報を整理しなければ、今後の話などできはしない。
「山の中を進み、やっと到着した領都には既に敵が迫っていて、城に入ったら残存戦力がないと言われましたからね。本当にどうしようかと思いましたよ。」
口に出すわけにはいかないが、イグスエンは見捨てて逃げようかと思ってしまったくらいだ。結果的には上手くいったが、何かが少し違っていたら敗けていた可能性もある。
「それで、どうやって勝利したのだ?」
「基本は奇策、奇襲を重ねていっただけです。数ではこちらが完全に劣っていましたから。」
防壁という圧倒的な優位性を活かし、奇襲を繰り返して敵を削っていくというのが私たちのとった基本戦術だ。それ以外にやりようがないくらいに戦力が不足していたのだ。
最終的に敵を撃破したのは、ブェレンザッハからの援軍が到着してからだ。ウンガスがブェレンザッハにも攻め込んできたということで、公爵と騎士は短い滞在で帰っていったが、敵を蹴散らすことができたのは彼らの力あってのことだ。
その後の魔物退治の話は省略され、ウンガスの第二陣が来てからの話を三度繰り返す。
「なんという面倒なやつらだ!」
ウンガスが侵攻してきた理由は、魔物を御する力を手に入れて図に乗っているからだと私たちは結論付けている。その話をすれば、公爵以下、揃って憤慨するのも当然だろう。
おそらく、エーギノミーアに帰ってから父や兄に話したら、同じように憤慨するだろうと思う。
「そういえば、わたしたちももう帰って良いでしょうか?」
一通りの話が終わると、ハネシテゼは思いだしたように言う。今、口にするべき話題ではないように思いもしたが、イグスエン侯爵は真面目な顔で私たちに頭を下げる。
「そうだな。長々と引き留めてしまった。其方らの尽力に感謝するぞ。」
他の諸侯の前でそのように礼を言われるとも思っていなかった。
さすがに明日、すぐにというわけにはいかないが、作戦がまとまるだろう二、三日後に出発するということで話が進む。




