177 思いがけないもふもふ
ミュレキ街道を二日ほど南下していくと、最南西の町バッテオに着く。この町はミュレキ街道の南端であり、東へと続くイゾフィン街道の西端でもある。そして、ウンガス王国へと続く道はこの町から西へと伸びている。
バランキル王国とウンガス王国は南北に連なる険しい山脈に隔たれ、イグスエン南西のここかブェレンザッハ北西にしか行き来できる道がない。
山道の上から町を見下ろすと、いくつもの馬車が連なっているし、動き回る者たちがそこかしこにいる。
この町は無事である、ということはない。無残に崩れた建物はいくつも見えるし、何より、畑で働く農民が一人も見当たらない。
「こちらの騎士はどこにいるでしょう?」
「東側に到着していてもいい頃ではありますけれど……」
私たちは途中で交戦したり一度戻ったりと、ここに到着するまでに色々と時間がかかっているが、領都から南へ進んでいった騎士たちは特に障害はないはずだ。しかし、町の様子を見る限りでは交戦しているようではない。
「既に敗北しているということもないと思うのですが……」
「それは分からぬな。勝敗の行方は作戦次第だというのはティアだって分かっているだろう。敵の策が上回っていたら、私たちも敗れるのだ。」
作戦次第ではそこらの兵でも次々と騎士を打ち倒していくことができる。実際に、今回の戦いでは数百のウンガス騎士は三十人の兵に討たれている。それを考えれば、敵の罠に嵌まってバランキルの騎士が壊滅状態にあることは、可能性としては十分にありえる話だ。
「罠があるなら、こっちにもあるんじゃないのか? 普通に考えたらよ。まあ、この先に何かあるのかも知れねえけれど……」
ウンガス兵の一人が話に割り込んでくる。しかし、普通に後退してきたウンガス軍と認識されている可能性もあるため、一概に罠を張って待っていたことを否定できるわけでもない。
「ならば、兵だけで行けば、簡単にあの中に入れるのではないか?」
「無理です! 後退の理由を説明できなければ、敵前逃亡だと処刑されてしまいます!」
ウンガス兵の言うことには、ウンガス貴族はとかく高圧的で、命令に従わない平民を殺すことに何の躊躇もないらしい。
「命令に従わない者を裁くのは普通ではないか?」
兵たちの言い分に、フィエルが苦笑しながら答えるが「とにかく理不尽な命令が多すぎるんです!」と彼らは譲らない。
「兵も畑を耕せとか、それくらいなら分かるんだよ。酷い不作が続いてるなんて俺たちだって知ってるからな。畑を増やさなかったら飢え死にする奴らが出てくることくらい想像できる。」
国難ともいえるほどの不作はウンガスでも似たような状況らしく、兵も農民もなく必死に畑を耕して作物を育て、魔物を退治してと頑張っていたらしい。
今でこそエーギノミーアでは収穫の改善方法が分かり、私たちを中心にそれに取り組むことになっているが、それがなければ同じような状況になっていたのだろうと考えると、決して人ごとともいえない。
「俺たちが必死で広げた畑で採れた作物は、全て命令した貴族のものだなんて言うんだ。オカシイだろ? だけど、税率は七分の二じゃないのかと言った兵はその場で首を刎ねられた。」
それは酷い話である。平民の我儘を一々聞いてなどいられないという態度だったフィエルも「そんな命令はありえないだろう」と首を横に振るくらいだ。
「フィエル、そもそもとしてこのように平民が貴族に口答えしたら処刑するのがウンガス貴族のやり方なのでしょう。」
「なるほど、随分と愚昧なものだな。ウンガスの貴族は教育を受けていないのか?」
気に入らなければ処刑なんてやっていれば、その領や国は滅びる。そもそも、民そのものが貴族の財産の一部だろう。それを自分で減らしてどうするというのか。そんなことは学院に入学する前から教わることのはずだ。
心底呆れ果ててしまうような無教養で愚昧な者が上に立ってしまった結果がこの侵攻だということか。
「どうする? ティア。私にはそんな愚か者がどうしたら侵攻を諦めるかなんて想像もつかぬぞ。」
「私に聞かないでくださいませ。そんなこと分かるわけがないでしょう。」
たまには兵とも話をするものである。思わぬところから予想もしなかったウンガス情勢が見えてきた。だからといって、対策を思いつくわけではないのが苦しいが、そこは後でハネシテゼやイグスエン侯爵、さらにはブェレンザッハ公爵などにも相談するしかないだろう。
「話を戻して、命令違反で処刑されるというならば、後退命令が下ったことにすれば良いのではないか?」
「そうですね。それなりの地位の騎士もいるようでしたし、全部その騎士の責任にしてしまえば良いのです。」
進軍中に、前方部隊に大きな損害が出て、騎士も多く倒れてしまった。そのため、一度退却して後ろの部隊と合流し戦力を立て直すことになった。
それで納得できないようだったら、陣を守る方が有利なのだと付け加えれば良い。
罠を張って待ち構えることができるのは攻め手ではなくて守り手の方だ。だから砦を築くという判断になっているはずだし、そこに敵を誘き寄せて撃滅するというのは十分に考えられる作戦だ。
「そんなことを言ったらアンタたちが不利になるんじゃねえか?」
「別になりませんよ。何十人も相手にするような作戦が、たった二人に通じるわけがありませんよ。そうそう、攻撃してきたバランキル王国の騎士は数百はいる、と言っておいてください。」
こちらが二人、そして子どもであるということさえ漏れなければ、ハッキリ言ってウンガスの対策はほとんどが的外れのものになる。数百の騎士団を相手にするのと、たった二人を相手にするのではやり方は全く違うものになる。
後退命令を受けたという話は、兵たち全員が口裏を合わせる必要がある。話の辻褄が合わなければ彼ら全員が処刑されてしまうと脅しておけば変なことは言わないだろう。
夕方にウンガス兵と別れると、私たちは一度場所を移す。いくらなんでもウンガス兵たちを全面的に信用することはできないし、彼らも知らない所で隠れているくらいはするべきだ。
山の中を歩いていると、岩が大きく窪んでいるところを見つけ、そこで一晩を過ごすことになる。食事を摂り、毛布に包まって微睡んでいたら、近づく魔力の気配に目を覚ます。
「フィエル!」
「ああ!」
飛び起きて杖を構えると、木陰から姿を現したのは、白くてまるいモコモコした獣だった。これは見たことがある。たしか、二年生のときの合同演習のときに会った守り手と同じ種類の獣だ。
フィエルと軽く顔を見合わせ、軽く魔力を投げてやる。〝守り手〟ならば挨拶以外の選択肢はない。二つの魔力塊が飛んでいくと、すぐに十頭ほどが姿を現してぽんぽんと魔力塊を弾き合い、最後に投げ返してくる。
そして十匹すべてが一斉に私たちに魔力を投げてくるのも以前と同じだ。幸いと言うべきか、一つひとつの魔力塊はそれほど大きいわけでもないので、数が多いのが大変だが受け止めて投げ返せないわけでもない。
挨拶を終えると、白い獣はぞろぞろと岩の窪みに集まってきて体を横たえる。
「もしかして、ここはあなたたちの塒なのですか?」
問いかけても『デェェ』という鳴き声が返ってくるだけだ。残念ながら、それが肯定なのか否定なのかは分からない。私たちがもふもふに寄りかかるようにしても特に嫌がるようでもないので、そこで寝させてもらう。
まるで城のベッドのような柔らかさと暖かさのなかぐっすりと眠っていると、白いもふもふに揺り起こされた。慌てて飛び起きるが、真っ暗な周囲には特に何の気配も感じられない。
しかし、白い獣はみんな起き上がって闇の奥に目を向ける。何者かが近づいているかも分からないのに、明かりを点けて目立つようなこともできない。私も同じように闇の向こうに目を凝らしていると、木々の向こうに魔力の気配を感じた。
「この獣たちはかなり遠くまで気配を察知できるのだな。」
「白狐や黄豹は、遥か彼方から私たちの魔力を察知してきたくらいですからね。気配の察知は獣の方が得意なのでしょう。」
フィエルとそんな話をしている間にも、魔力の気配はこちらに近づいてくる。数はそれほど多くはないが、大きめの魔物ではないかと思う。
魔物の気配がすべて魔法の射程にはいったところで、小さな火球を幾つも飛ばして障害物の確認をする。木々の間を縫って雷光を奔らせることは可能だが、それには木の場所を知っていなければならない。
火の赤い光が周囲を照らしている時間は僅か数秒だ。しかし、その間にフィエルの放った雷光が悉く魔物を貫く。重い音を立てて魔物が倒れると、辺りは再び静寂に包まれる。
もう魔物の気配もない。正確に言えば小型の魔物の気配はあちこちにあるが、こちらに向かってくる様子がないのだから、今気にすることではない。こんなところで悠長に魔物退治なんてしていたら、ウンガス軍に見つかってしまう。
周囲を見回して、白い獣が窪みに戻っていき、私たちも再び眠りに就く。次に目を覚ましたのは、空の半分くらいから星が消えてからだった。




