171 金色のもふもふ
領都を出て三日目、私たちは目的地付近に到着していた。
私たちと一緒に来ているのは平民の兵たちばかりだ。今回は騎士は一人も連れて来ていない。
当初の予定では山の上に登って敵の進軍状況を確認することになっていたのだが、既に敵の列は眼下の道に伸びてきている。
「ジノとフィエルは急いで上に行って、この山の敵が潜んでいないかを確認してきてください。兵は荷物を置いて攻撃用意です。」
ハネシテゼの指示でジョノミディスとフィエルは馬で山頂を目指し急ぎ登っていく。敵の騎士が近辺にいないのは確かなのだが、山の上の方までは分からない。
上の索敵は二人に任せ、私は兵の一部と周辺に潜む敵がいないかを確認する。騎士は魔力の気配ですぐに分かるのだが、魔力を持たない兵に関しては人数を動員して探すしかない。
そうしている間にハネシテゼの指示で兵士たちは背負っていた荷物を降ろし、巨大な弓を木に括り付ける。平民に何をさせているのかと思えば、数人がかりでなければ引けない弓で、敵の攻撃想定範囲の外から長距離攻撃を仕掛けるということらしい。
しかも、それで飛ばすのは矢ではない。風の魔法で簡単に防がれてしまうものでは、遠距離攻撃する意味がない。風で簡単には吹き飛ばせない重量物を飛ばすのだ。
「周辺に潜んでいる形跡はありませんね。フィエルたちも何ごとも起きていなさそうです。」
「近くに敵がいないなら、さっさと攻撃に入りましょうか。そろそろ来たようですし。」
敵の列の先頭は、私たちの下を既に通り過ぎているが、おそらくそこには騎士はいない。
敵から見れば、左手は急斜面が続き、右側はとても人や馬が通れそうにないゴツゴツした岩場が百歩以上も続く。その奥に木々に覆われた山だ。
その山に私たちが潜んでいるのだが、ここから敵に直接突撃をかけることはまず無理だ。岩場を越えようとしたところを狙い撃ちにされてしまうだろう。
つまり、この地形では、敵は右手側からの攻撃は考えない。警戒するなら左側の急斜面の上だ。
兵たちが五人がかりで弦を引き、ハネシテゼの合図で一斉に手を離す。大きく弧を描き壺が飛んでいき、敵の列を飛び越えて向こう側の急斜面に激突して砕ける。
着弾の音はこちらまで聞こえてくるくらいだ。ウンガスの者たちは大声を上げて騒ぎ出すが、何が起きたのか理解している者はないだろう。
「飛びすぎですね。次はほんの少し先ほどよりも弱めでお願いします。」
次弾を番え放つと今度は列のすぐ側に着弾する。敵の騒ぎが増すが、ウンガス軍にはこちらを攻撃する手段などない。
巨大弓は連射が全くできない。攻撃の間隔は三十秒ほども空く。それでも壺を放てば敵は逃げることすらできず、次々と倒れていく。
「壺に何か仕掛けがあるのですか?」
倒れていく人数が多すぎるように見える。壺は一抱えもあるが、それが命中し、あるいは破片にあたり倒れるのは一個で二十人にもならないだろう。
まだ八個しか撃っていないのに、倒れている騎士や兵は既に数百になろうかというくらいに、大量に這いつくばっている。
「毒のある魔物を粉々にして入れてありますからね。三十も兵がいれば、作戦次第で数百の騎士も倒せるのですよ。」
ハネシテゼは胸を張ってそう言うが、それは逆に私たちも裏をかかれたら簡単に負けてしまうということではないだろうか。
私が呆然としている間にも、壺は放たれていく。括りつけた弓を一度解き、別の木に括り直して撃ちこむ場所を変え、さらに敵を撃滅していく。
次々に壺を放っていくと、騒ぎは段々と小さくなっていく。私たちの下の道では、騒げるほど元気な者がいなくなっているのだ。遠く、千歩以上も向こう側では大騒ぎになっているが、まだ退却は始まっていない。
ウンガス軍は山の道を細長く何千歩にも亘る長さで列を作っているのだ。未だに後方の者たちは攻撃を受けたことを知らない可能性すらある。
そして、通り過ぎて行った先頭集団は、どんどん先に進んでいってしまっているように見える。
「あちらは良いのですか?」
「後ででも大丈夫でしょう。すぐに戦闘に入れるよう武装しているようでしたから。」
武装している敵が領内をうろうろしているのは良くないように思うのだが、ハネシテゼはまるで気にするそぶりも無い。
「荷車を牽きもせず、すぐに戦えるような格好で歩いているということは、彼らは野営の準備もないのですよ?」
そう言われてようやく分かった。山の道を抜けて着いた廃墟でも、ゆっくり休める場所はない。すぐに回収できる食糧等は既に回収済みだし、手に入れられるのは血や泥で汚れたり、焼けた布の切れ端くらいだろう
その状況で体力の回復など期待できるはずもない。一晩、ほとんど食事もできず睡眠もほとんどとれなかったら、戦う体力がどれ程残っているか分からない。
つまり、彼らに対しての作戦は『勝手に弱るまで待つ』という結論になる。
壺を全て撃ち尽くしたら、巨大弓は木から外して撤退の準備に入る。その時にフィエルとジョノミディスが慌てて戻ってきた。
「ティア、ハネシテゼ様、魔物が来る。」
「上には何もいなかった。来るのは下からだ。」
フィエルたちが指す先を見ると、岩場を越えて山の側にやってくる集団が確かにある。兵たちは顔色を変えるが、慌てる必要もないだろう。
「落ち着いて作業を進めてください。あれの相手は私たちがしますから大丈夫ですよ。」
ハネシテゼは優しく言うが、兵たちは大急ぎで巨大弓を木から外し、私たちは撤退に入る。森の中では魔物退治はやりづらいし、少しひらけたところに出たい。
「あちらの尾根を少し上に行きましょう。」
周囲より木々の密度が低いところを見つけ、そこを目指して進むことにする。魔物の吼え声は遠くに聞こえるが、まだ気配を感じられる距離にまで来ていない。
尾根の上は思った以上に木が少なく、岩がゴツゴツとしている場所だった。歩きづらいし馬には大変だが、魔物退治にはちょうど良い。
魔力を撒いてやれば魔物はすぐにこちらに向かってくる。あとはそれを片っ端から退治していくだけだ。
よくもまあ、こんなに魔物を引き連れているものだなと思う。もともと山にいた魔物も含まれているのかもしれないが、数百の魔物が押し寄せてくるのだ。その数には少々呆れてしまう。
「兵士! 全員一か所に集まっていなさい!」
突如としてハネシテゼが鋭い声で命令する。一体何ごとかと思った次の瞬間、吐き気がする程の巨大な気配を感じた。
「何ですか⁉ これは!」
フィエルやジョノミディスも悲鳴のような声を上げて表情を歪める。魔物たちも硬直するほどの圧倒的な魔力の主が北から近付いているのだ。
木々の間から姿を現したそれは、全身が金色に輝く毛に覆われた獣だった。体の大きさは馬より少々大きい程度なのだが、あふれ出る魔力の気配は黄豹や白狐すら問題にならないほど強い。
頭の両側から生えた透き通るような白い角は、形こそ魔物のようにも見えるが、その美しさは魔物とは比べ物にならない。
そして、吸い込まれそうな深い青色の瞳に睨まれたら、呼吸をするのもままならないほどの圧を感じる。
見た目はもこもこと可愛らしい容貌なのに、近寄って撫でたいとはまるで思えない。むしろ、今すぐこの場から逃げ出したい気分である。
だが、馬たちは逃げることすら諦め、その場に伏してしまう。
「あなたたちも伏せていなさい。わたしが良いと言うまで顔を上げないように。」
ハネシテゼの言葉に、兵たちは恐る恐る、震える体をゆっくりと動かして身を低くしていく。
「わたしたちは挨拶をしましょう……」
そう言ってハネシテゼが魔力塊を投げ、私たちもそれに倣う。かなり強めの魔力を放ったつもりであったが、金の獣は鼻先で受け止め、軽くつついて簡単に押し返してくる。
それを受け止めたら、こんどは金の獣が魔力を飛ばす番だ。私たち四人に向けて恐ろしいほどの魔力塊が放たれ、ついでとばかりに魔物たちにも幾つか飛んでいく。
しかし、もはや魔物の方など気にしていられる余裕はない。全身の神経と魔力を集中して魔力塊を受け止め、くるりと一回転して投げ返す。
たったそれだけで眩暈がするほどに体力を消耗するが、ここで気を失ってしまうわけにはいかない。




