170 迎撃の準備
「ウンガス軍の進行が確認されたそうだ。」
昼食後にイグスエン侯爵に呼び出され、私たちはその日が来たことを知らされた。
「今はどのあたりにいるのでしょう?」
「我が方の騎士たちは、其方らの勧めどおり、交戦はせずに道を荒らしながら退いている。今は領都から三日から四日程度のところだろうが、敵がここまで辿り着くのは十日以上はかかる見込みだ。」
「通ってくる道は分かりますか? 迎え撃つ場所を決めねばなりません。」
ハネシテゼの質問に、文官が地図を机の上に広げる。イグスエンの地図は何度か見たし、主要な街道は概ね覚えている。
ウンガスに通じる道はイグスエンでも最も南西の地域にあり、その道をそのまま進んでくると、西側のミュレキ街道を北上することになる。
途中で、領地の東側へ抜けて行くイゾフィン街道への分岐があるが、そちらは予め通行ができないようにしてあり、ウンガス軍はミュレキ街道を来るだろうということだ。
「敵が来る道が分かっていれば、罠を仕掛ければ良いのではないか?」
「敵もそれくらいは想定しているでしょう。イゾフィン街道への分岐が塞がれていることにも気付かないほど愚かではないと思います。」
イグスエンの街道の構成は、ウンガスの商人も知っているはずだし、大雑把に確認するくらいの事はしているはずだとハネシテゼは言う。
ミュレキ街道をそのまま進むしかできなくされていることに気付けば、その先に罠が仕掛けられていることくらいは普通は想像がつく。
「誰もが想像できる罠は、当然、対策してくるということですね。」
「それに、ウンガスがどれ程の情報を得ているか知らぬが、先発隊が既に敗北していることは想定しているだろう。少なくとも、連絡を出せぬほどの状況に陥っていることくらいは分かるはずだ。」
フィエルの言葉にイグスエン侯爵たちも険しい表情で頷く。つまり、敵は前回よりもはるかに慎重に行動するだろうし、警戒も厳しく行うはずだ。安易な作戦で臨めば、敗北するのは私たちになってしまうだろう。
「それでも敵はわたしの手の内を知りませんからね。緒戦は蹴散らしますよ。」
「前回の敵が逃げ延びている可能性があるのではありませんか?」
「ええ、だから手の内を増やしました。」
こともなげにハネシテゼはそう言う。平民たちを使って何かやらせているのは知っていたが、それが新たな〝手の内〟なのだろうか。詳細を教えてくれても良いと思うのだが、ハネシテゼは意味ありげに「見てのお楽しみです」と笑うばかりだ。
「ということは、出撃なさるのですね。」
「ええ、平民たちに大活躍してもらいます。」
なんと、ハネシテゼが連れていくのは平民の兵であって、騎士は一人も要らないと言う。
「ティアリッテ様とフィエルナズサ様は一緒に来ていただけますか? そうだ、ジョノミディス様にも同行していただきましょう。」
抑揚のない声で言うハネシテゼは少々怖い。一体、何を企んでいるのだろう。今更、私やフィエルに害を為すことはないだろうが、変なことに巻き込むのだけは止めてほしい。
地図を見ながらウンガスの通る道と通過する時間を予想し、迎撃の場所の候補を挙げていく。ハネシテゼの条件としては、敵ができるだけ身動きしづらいところということで、山の中ということになる。
「道を見下せて、登りやすい山はありますか?」
「ならばこの辺りか。」
「その条件なら、敵もここを抑えに来るのではありませんか? 我々の動きを察知したいと考えているはずです。」
「ですから、私たちが行く必要があるのです。」
その山が敵の騎士の手の中にあった場合、平民だけではどうすることもできない。それをどうにかするのが私たちの仕事なのだと言う。
いくらなんでも、領都を直接見ることもできない山の上に主力部隊を配置することもないだろうし、私たち四人で行けば制圧は可能だろうという読みだ。
「裏をかいて、私たちを待ち受けるために主力を敢えて置いているということはないですよね?」
「騎士団が大勢で登っていれば、そんなところにわざわざ近づきませんよ。むしろ、防御がお粗末になっている馬車を狙います。」
相手の守りが手薄なところを狙うのが、攻撃の基本だとハネシテゼは言う。
その数を見てからこちらの動きを変えたって構わない。相手の動きを見て、こちらも柔軟に動きをかえるというのは魔物退治でも同じだ。
納得がいったところで、できる限りの敵の動きを考え、それの対応方法を出して行く。敵も恐らく同じことをしているだろうが、敵の動きをどこまで想定できるかが勝敗の分かれ道だ。
先日の戦いで私たちが勝利できたのは、敵の動きが事前に想定した範囲に収まっていたからだ。決して、敵の保有戦力が私たちに劣っていたわけではない。逆に敵が想定外の動きを繰り返していれば、私たちが敗北していた可能性も十分にある。
今回の敵がどれほどの戦力なのかはまだ分からない。情報収集や作戦立案の手を抜くわけにはいかない。
「一つ良いか?」
「何でしょうか?」
地図を睨みながら必死に頭を働かせていると、フィエルが難しい顔で手を挙げる。
「敵が攻めてこなかったら、どう対応するのが正解でしょう?」
「攻めてこずに一体何をするのです?」
侵攻してきたのに攻めてこないと言うのは意味が良く分からない。フィエルの言葉が何を意味しているのか、すぐには分からず首を傾げた。
しかし、フィエルは大真面目な顔で地図を指して答える。
「この辺りに砦を築く。」
「……それは嫌な手を考えますね。」
それは思いも寄らなかったのか、ハネシテゼは目を見開き、イグスエン侯爵は頭を抱える。
確かに言われてみれば、敵の行動としてありえなくはない。私たちが罠を張って待ち構えているなど分かり切ったようなことだ。ならば、急いでそこに攻めていくことはせずに、侵攻の拠点を造ってしまった方が今後の戦いを有利に進めることができる可能性が高い。
「敵の目的が分からないというのは、本当に嫌なものだな。」
現在の情報ではその可能性も考慮に入れる必要がある、とイグスエン侯爵が唸るように言う。苦々しい表情で奥歯を噛みしめ、その苛立ちはありありと伝わってくる。
「進んできているならば、ここでわたしたちが迎え撃ちます。騎士たちは敵の後ろに回り込む形で領都を南下していってください。その上で、偵察を先に出し、どこに攻撃を仕掛けるか決めましょう。」
ウンガスが拠点設営をしようとしているならば、私たちは空振りに終わるだろう。その時は騎士に頑張ってもらうしかない。
逆に、全軍を進めてきていればそれが一番好都合だ。私たちが先頭を抑え、山の中で動きが止まったところを騎士たちが背後から叩けば良い。
もし、両方であるならばこれが一番厄介である。騎士は拠点設営の妨害と撃退を優先する。進行してきている部隊の背後を取るのは難しい。それは自ら挟撃してくれと言っているようなものだ。
「もうちょっと情報が欲しいですけれど……」
「無理ですね。明朝には発たないと、作戦地域に到着できません。」
私の呟きは簡単に否定されてしまった。その理由は明白で、情報を待っていたら時間がなくなってしまうというだけのことだ。
私たちが山の上に着いた時に、既に敵が通過してしまっていては意味がない。騎士たちも私たちも大急ぎで出発の準備をしなければ、作戦は完全に失敗してしまう。
時間と情報の両方があればかなり優位に立てると思うのだが、それはもはや望めない。歯がゆい思いばかりが膨れ上がるが、どうすることもできない。
万が一のことを考えると、領都にも十分な戦力を残しておかなければならないし、今回の作戦はかなり厳しい綱渡りになるだろうと予想された。




