167 甚大な被害
町に到着はしたものの、道には人影がない。雨が降っているわけでもないし、日没まではまだ時間がある。物音や人の話し声は微かに聞こえてくるので、町に人がいないと言うことではない。
「この町はどうしてしまったのでしょう?」
「強力な魔物がすぐそこまで来ているのではありませんか? 地方の町では、たまにそういうことがあるのです。」
私の疑問にディグニオが答える。
賊である場合もあるが、家の外に出れば外敵に襲われる危険が高い場合、扉や窓を固く閉ざして家に閉じこもるのだそうだ。
「とにかく小領主邸へ急ぎましょう。」
情報がなければ対処のしようもない。そして、私たちが情報を仕入れる相手は小領主だ。邸に到着し、形式的な挨拶を済ませると、小領主ミメフィヤはすぐに本題に入る。
「町の様子を見れば分かるように、状況はかなり良くない。魔物の群れの規模が大きすぎて、私の騎士だけでは対処しきれていないのだ。」
「報告ではトカゲの群れでしたよね? それほどの脅威とはならないと思うのですが、他にも出たのでしょうか?」
聞いていた種類の魔物ならば、退治はできなくても魔法で脅せば逃げて行くもののはずだ。騎士の数が足りなくて、畑が被害を受けてしまうというのは分かるが、町の人が外に出られないというほどではないはずだ。
疑問をぶつけると、ミメフィヤは「そのとおりです」と大きく頷く。
「数日前より魔虫も現れだしたのです。最初は一匹、二匹だったのが日増しに増えてきていまして、もう手が付けられないほどの数が町のすぐ近くに来ているのです。」
細かい場所は地図を見て示す必要もないと言う。街の東に行けば、魔虫がうろついているのが見えるはずだし、北の方ではトカゲと虫が縄張り争いを繰り広げている姿も確認できるという。
「では、明日の朝から退治を始めますね。今日のところは休ませてください。」
ハネシテゼがそう言うとミメフィヤは一瞬だけ不満そうに目元を歪めるが、すぐに笑顔で隠し去る。
もうすぐ日没のはずだし、常識的にはこんな時間から魔物退治を始めるものではない。今日のところはゆっくりと休んで疲れを落とし、明日の朝から全力で当たった方が良いだろう。
それくらいのことは小領主ミメフィヤも理解しているからこその対応なのだろう。夕食はきちんと、というよりもかなり奮発したもののように見えるし、湯浴みのための側仕えまで用意してくれた。
翌朝は、食事は手早く済ませて町の東へと向かう。
この町の騎士たちは昼夜区別なく交代で警戒に立っているらしく、かなり疲れているように見える。これでは退治どころではないというのも頷けるというものだ。
そんな騎士に魔物退治を手伝ってもらう必要はない。あとで焼却の手伝いはして貰うかもしれないが、それも昼以降で構わないだろう。
そして、確かに魔虫が何匹も徘徊しているのが見える。やたらと長い胴体は固そうな鱗に覆われ、無数の足と数本の尻尾が生えた気色の悪い種類の虫である。
「馬はこちらに置いていった方が良さそうですね。」
足を止めて攻撃に専念するならば馬はむしろ邪魔になる。馬を御しながら多数の魔物の相手をし続けるのは、それはそれで大変なのだ。
私たちが近づいていることに気付き、数匹がこちらに向かってくるが、そんなものは雷光一発で片が付く。次から次へとやってくるが、私たちにとってそれは脅威ではない。
魔虫を退治しながら畑の道を東へと進み、防風林の手前まで着いたときに、それが目に入った。
「あれでは畑が台無しではないか!」
「一体、あれは何をしているのですか?」
「おそらく、巣を作ってるのだと思います……」
畑の真ん中に土が高く盛られ、その周辺を数え切れないほどの魔虫がひしめき、蠢いていた。
「こうなってしまっていれば、畑の被害を考慮する必要もありません。遠慮せずやってしまいますよ!」
ハネシテゼはそう言うや防風林の向こうへ駆けていき、雷光を盛大に撒き散らす。魔力を撒いて魔物を集める必要すらないのだ。私たちもハネシテゼに続き、片っ端から魔虫を退治していく。
押し寄せてくる魔物を雷光で一挙に屠り、爆炎魔法を並べて死骸を集めて火を放っていれば、一時間も掛からずに魔虫の群れは一掃される。いくら数が多いと言っても、単一の群れに過ぎないのだ。
概ね焼き終わったら、後の処理は騎士たちに任せる。トカゲの方がまだ残っているし、私たちは向かった方が良いだろうという判断だ。
一度町に戻り、馬に乗って北側に向かうと、畑の東の方に魔虫が北西側でトカゲが徘徊していた。
「まだ虫も残っていたんですね。」
「どちらから行きますか?」
「二手に分かれましょう。ティアリッテ様、お一人であちらの虫退治できますか?」
「それほどの数がいるわけでもないですし、問題ありません。」
トカゲに向かうハネシテゼとフィエルも二手に分かれて挟み込むように攻撃を仕掛けるてはずだ。作戦が決まると、私たちは単独行動で敵に向かって行く。
尚、ディグニオたちには町に残ってもらう。ジョズニオとメリルニオはもちろん、ディグニオの現在の実力では、私たちの魔物退治の手伝いにならない。すべて倒した後の焼却で頑張ってもらいたい。
町沿いに東へと向かい、軽く魔力を撒いて寄ってきた虫を次々と仕留めていく。想定外のことは何も起こらないし、何の問題もなく魔虫は全滅する。
一番大変なのは死骸の焼却処理だ。防風林も町も近いため、延焼にはかなり気を付けて焼かなければ大参事になってしまいかねない。まかり間違って魔物と一緒に町を焼いたなんてことになったら、処刑の対象となってしまうだろう。
時間をかけて魔物を焼いていると、畑の向こう側にも煙が空高く昇っていくのが見えた。どうやら、向こうも上手くいったようだ。
魔法で炎を注ぎ足しながら焼いていれば、魔物の死骸が灰になるのに一時間も掛からない。一人で水を撒きながらだと大変だが、途中でディグニオたちが手伝いにやって来てからは楽になる。
「公爵家の魔力というのは凄まじいものですね。」
水を撒くだけで精いっぱいという様子のメリルニオは私と同じ十歳だ。ただし、男爵と聞いているから、家柄としてはハネシテゼとそう大きく変わらないはずだ。
「魔力は家柄だけで決まるものではありません。毎日厳しい訓練を続けていれば、向上していくものです。」
私やフィエルの魔力は現時点で兄たちを上回っているし、私たちと一緒に畑を回って魔力を撒いていた騎士は、上位の家柄を完全に上回る魔力を身に付けている。
そう説明してやるとジョズニオとメリルニオは互いに顔を見合わせる。
「私たちも訓練すれば伸びますか?」
「伸びると思いますよ。もちろん、僅か数日で劇的に向上することはありませんが、継続して努力していれば確実に伸びます。」
ハネシテゼのやり方で訓練して伸びなかった者はまだ見たことがない。父や母くらいの年齢になってしまったら無理かもしれないが、成人もしていない子どもが成長しないなんてありえないだろう。
ジョズニオとメリルニオはもちろん、ディグニオだってまだ魔力を伸ばしていける年齢だ。
私の言葉に目の色を変えて水を撒いていく姿に思わず笑ってしまうが、一生懸命に頑張るのは悪いことではない。
魔虫の死骸をすべて灰に変えると、北西のフィエルとハネシテゼに合流する。
「こちらももうすぐ終わりです。」
「一気に焼いてしまいましょう。フィエル、炎を代わりますよ。」
私が進み出ると、フィエルは素直に下がる。炎は私が、水撒きはフィエルが担当した方が効率が良い。時間があれば訓練も兼ねるためフィエルが炎を頑張ることもあるが、今は急ぎたいのだ。
フィエルが森に向かって盛大に水を撒き散らし、私とハネシテゼは火炎旋風でトカゲの死骸を包み込む。
凄まじい火の勢いにディグニオたちが声を上げて驚くが、ハネシテゼが「水を!」と叫び、慌てて周辺に水の玉を放っていく。
私とハネシテゼの全力の炎で燃やせば、一分ほどでトカゲは完全に原型を失う。みるみるうちに炭と化した死骸はぼろぼろと焼け崩れ、灰となっていく。
「もう良いでしょう。」
ハネシテゼが火炎の魔法を切り上げると私も終わらせる。焼いた跡にはフィエルが水をかけて完全に火を消せばそれで作業は完了だ。
「町に戻って昼食にしましょう。その後、周辺の畑に魔力を撒きます。このままではこの町の収穫は壊滅的なことになってしまいますよ。」
東側の畑は魔虫に滅茶苦茶にされてしまっているし、北側もかなり荒らされている。あれでは町民全員分の食料が得られないのは確定的だ。
魔物退治の報告とともに、畑の現状を伝えると、小領主ミメフィヤはまともに顔色を失くす。
そりゃあそうだろう。ウンガスの侵攻でイグスエン領自体が大変なことになっているのだ。領都からの支援なんて期待できる状況ではないのだ。
「町を維持する方法は一つしかありません。残っている畑の収穫を倍増させるのです。そのためには貴族も平民も一丸となって取り組む必要がありますよ。」
エーギノミーアでは、畑の面積当たりの収穫量を三倍程度まで引き上げることに成功している。そう伝えてやると、ミメフィヤは「ぜひ、その方法をご教授ください」と頭を下げるのだった。




