138 前夜
責任者でもない者と話をしていても埒が明かないと、私たちは広間へと向かう。騎士と文官を集め、現場にいる者や取りまとめている者に直接聞いた方が早いという判断だ。
その一方で、ジョノミディスは病に伏せっているという先代領主のところへ一人で赴く。何人も連れ立って病人のところに行くものでもない。
「わたしはハネシテゼ・ツァール・デォフナハ。国王陛下の命により、イグスエンの助けに来たのですが、この城の状況があまりにも想定からかけ離れているので、皆さんに色々と確認したいと思ってお集まりいただきました。」
全員はまだだろうが、かなりの人数が揃ってきたところでハネシテゼが人を集めた趣旨を説明する。壇上に立っているのが子どもだけということに怪訝そうな顔をしている者たちも多いが、一々気にしていても話が進まない。
「皆さんご承知の通り、このイグスエン領はウンガス王国からの侵攻を受けています。ウンガスの兵はもう街の目の前に陣を張っており、その数は一万数千にもなります。」
集まった文官や騎士はその数にどよめく。今までその数の報告を受けたことがないのだろうか、その動揺は激しい。自分たちの安全を口にする者も多いが、そんなもの保証されるはずもない。
「お静かに願います!」
騒めきが収まらない広場に、ハネシテゼが一喝して場を鎮める。とにかく今は話を進めなければならないのだ。一刻を争うのだと彼らにも理解してもらわねば、手遅れになってしまう。
「このまま狼狽えているだけでは、明日の今頃にはこの領都は破壊され、皆さんも皆殺しにされてしまうでしょう。」
「それは大袈裟だ! 領主の守りをそう簡単に破れるはずがない!」
「領主が不在なのですから、簡単に破れますよ。」
ハネシテゼの言葉を否定する騎士もいるが、守りの石の効力については領主一族直系である私たちの方が詳しい。
守りの石には魔力を籠めなければ効果が得られないし、攻撃を受ければ蓄えた魔力を消費していく。下級騎士が一人や二人ならば一ヶ月は平気だろうが、数百人の騎士の一斉攻撃を受ければ、あっという間に魔力は尽きてしまうだろう。
「本来は領主が守りの石に張り付く必要があるのです。城の守りはジョノミディス様にお願いするとして、街の防壁は恐らく四人が必要です。」
つまり、私たちだけでは人数が足りない。これは、魔力量の多い者から選ぶしかない。この際、家柄や役職、文官も騎士といったこともどうでも良い。最も魔力の高いものを選別していく。
ただし、親子兄弟は別々箇所を担当することはなく、一箇所を複数人で担当することになる。これは、血縁的に近い方が、魔力を籠める作業を引き継ぎやすいという理由による。
「では、私はフィエルと同じところを担当するのですね。」
「そうなのですが、エーギノミーアのお二人はどちらか一人は攻撃担当です。公爵直系の格の違いを見せてあげてください。」
「攻撃、ですか?」
「壁の上を通れるのは、魔力を籠めた本人とそれに極めて親しい者だけです。ティアリッテ様とフィエルナズサ様は双子の姉弟なのですから、ほぼ間違いなく通れると思います。」
敵の攻撃を守りの石で防ぎながら、その隙を突いて攻撃するのが都市防衛の基本らしい。私はそんな話は聞いたことがないが、ハネシテゼによれば成人済みである兄姉は聞いているはずだという。
予備も含めて守りの石の人員選定が終わったら、諸々の確認をしていく。城に残っている騎士の正確な人数、騎馬として用いることのできる馬の数、食料の備蓄量など、把握しておかねばならないことは山ほどある。
「街の市民を、全員城壁の中に入れることはできると思いますか?」
「いくら何でも無理があります。正確な数は記憶していませんが、街の人口は六万近くはあったはずです。それ全てをとなると用を足すこともできなくなるでしょうし、治安の維持が不可能です。」
街の住人全てが善良なわけでもないし、密集状態で不安や不満が高まれば暴動を引き起こす可能性もある。内側から崩壊してしまったのでは本末転倒だ。
そう言われると私たちには反論の用意もない。しかし、ハネシテゼはそこに拘るつもりもないようで「ならば仕方がありません」とその話を終わらせる。
「しばらくは、主要な道は通行に制限をかけます。馬で中央を全速力で走ることが常にできる状態でなければ困ります。情報伝達の一秒の差が戦局を左右することもあるのだと肝に銘じてください。」
道路の規制は、朝になってから文官たちが市中に触れ回ることになる。夜は暗くなれば寝てしまうのが普通だし、今、触れ回っても意味がない。
確認することを聞き、やるべきことを伝えていると、先代領主に挨拶に行っていたジョノミディスがやってくる。
「随分かかりましたね。」
「ああ、色々聞いてきたのと、城の守りの石に魔力を補充していて少し時間がかかってしまった。」
守りの石はとても重要だし、先にやってしまったので良いと思う。こちらの状況を説明し、ジョノミディスには街の防壁の守りの石の場所を各担当に伝えてもらう。他の者は一度解散だ。
「では、ジョノミディス様はこれから暫くは領主の部屋に籠もっていただくことになります。戦いが終わるまで、あるいはイグスエン侯爵閣下がお戻りになるまで室外に出てはいけません。何が何でも守りの石を維持するのが領主代行の仕事です。」
私とフィエルは、最も攻撃が激しいと予想される南の担当だ。予備として三人の兄弟騎士がついているが、あまり期待しないことにしている。
今から行って、守りの石の状態を確認しなければならないし、敵の様子も見ておきたい。
「わたしはこれから討って出ます。ティアリッテとフィエルナズサはどうなさいますか?」
「これからですか? こんな夜では馬も進めないのではありませんか?」
「青鬣狼の背に乗せてもらおうと思うのです。」
ハネシテゼはまたメチャクチャなことを言い出した。青鬣狼の大きさは馬ほどもあるし、乗れないことはないだろうが馬と同じようにはいかないだろう。
城の入口を出て、横手の馬房に向かうとその近辺で騎士たちが野営を張っていた。城の中で寝ていても良いような気がするが、何かあった時にすぐに出られるようにということらしい。
そして、青鬣狼も城の庭の隅で欠伸をしている。暗闇の中で爛々と輝く目がとても怖いが、彼らは寝る気もないのだろうか。私たちが近づくと、三頭は揃って立ち上がってこちらに寄ってくる。
「これから敵の寝込みを襲おうと思っているのですが、協力していただけますか? よろしければ背に乗せてほしいのです。」
ハネシテゼがそう言うと、青鬣狼は私たちの前で地面に伏せる。まるで乗れと言っているかのようである。
恐る恐るその背によじ登り、しがみついてみると予想以上に毛がふかふかしていてとても温かい。服も着ずにこの寒空の下で寝るのだから暖かな毛皮を持っているのは当たり前なのだろうが、実際に触ってみると見た目以上にもふもふなのだ。
ハネシテゼの方を見ると背のかなり前の方に座り、胴というよりも首に跨るように鬣にしがみついている。私も真似をしてみると、意外とお尻の収まりがよく安定して座れることがわかった。
私たちの騎乗姿勢が安定すると青鬣狼は立ち上がり歩きだす。乗り手の様子を見ながら速度を上げていくが、すぐに城門へと着いてしまう。
「すみません、これより街の防壁の守りの石を見に行かねばなりません。しばらく門を開けていただけますか?」
守りの石の担当者は全員が今すぐに確認に行く。私たちの後ろからも騎馬がやってくるが、私たちが乗っているのは青鬣狼だ。
門衛は怯えながら頷くが、この青鬣狼は見境なく人に襲いかかったりなどしない。
戸惑いながらも門扉を開けてくれたのは、入るときに見せた王の書状の効果だろうか。ここでまた問答を繰り返さなくても良いのはありがたいことである。




