125 南西へ
慌ただしく出発準備が整えられ、私たちは卒業式の前日に王都を出発した。最速でイグスエン領を目指すため、途中の魔物退治は極力しない方向だ。
途中で各地の小領主の邸に立ち寄り、食料の提供を受ける。彼らも余裕があるわけではないので諸手を挙げて歓迎されることはないが、王族の書状を出せば断られることもない。
「その、食糧支援はいつ頃到着する予定なのでしょう?」
「早ければ一週間程度かと思います。遅くとも二ヶ月以内に来るはずです。」
騎馬で四日で初めて問われた食料到着時期だが、実際のところは二週間程度になると思う。私たちのすぐ後に馬車が出ていれば最速で一週間もかからないが、恐らくそれはない。
馬車の準備にも時間がかかるし、雪解けの道は泥濘んでいて馬車の進む速さは何も期待できない。
王都からずっと南寄りに進んできたのだが、明日の五日目からは方向を大きく変えて西へと向かうことになる。直線的に進むよりも、雪を避けた方が馬の負担が少ないだろうという判断だ。
「ここまでは、比較的順調だな。」
「早すぎるくらいです。あと一週間はあると考えると、少し抑えた方が良いかもしれません。」
進む早さを上げ過ぎれば、馬が最後までもたない。馬が途中で倒れてしまえば、進む早さは激減するだろう。一刻も早くイグスエンへと向かいたいが、そのためには余裕をもって進まねばならないというのはなんとももどかしい。
馬に跨がり町を出ると畑を抜けて、道も何もない丘をひたすらに進む。西へ、西へと馬を走らせていると、丘の向こうに人らしき姿が見える。
「村の畑でしょうか? それとも町の畑でしょうか?」
呟いてみるが答えは返ってこない。この辺りの地理に明るい者はいないのだ。
ほぼ間違いなく農民が畑を耕しているのだが、肝心の町は丘の向こうに隠れていて見えない。家の群れを見つけるまで、畑を荒らさぬよう丘を進んでいく必要があった。
「町ですね。」
「では、馬の餌だけ分けてもらって、すぐに出ましょうか。町の中で馬を休ませれば、迷惑がかかりますからね。」
食べ物だけもらって直ぐに出ていく方が感じ悪いような気がするが、それは私の気のせいなのだろう。ジョノミディスもハネシテゼも小領主の邸に行くと、全く気にせずに飼料を受け取ってすぐに出発の準備を始める。
「もし、よろしければお願いがございます。」
出発するというのに、小領主は私たちの前にやってくる。
「何でしょう? わたしたちは、一刻も早くイグスエンに向かわねばならないのです。途中の町に手紙を届けるくらいならかまいませんが、それ以上は無理です。」
「実は、南の森に魔物が出て困っているのです。かなりの強さのようで、騎士を出したのですが逃げられてしまい……」
「通り道に出てきたら退治します。」
普段のハネシテゼからは想像もつかない答えが返された。いつも「魔物退治は徹底的に行ってください」という彼女が、目の前に出てこない限り何もしないなどと切り捨てるのは驚くべきことだ。
真っ直ぐに西へと進むが、案の定、魔物は出てこない。大きな魔物の気配さえない。
馬を走らせては休み、さらにまた歩かせていくと、長かった丘陵地帯は山岳地帯へと変わってくる。山を越える街道を進んでいくと、山間に開けた土地が見えてくる。
「領地としては、ここらからイグスエンなのか?」
「そうだな。イグスエンはあのように山間に町が連なっている領地だ。」
地図を見ながらフィエルが確認すると、ジョノミディスが答える。隣領のことはある程度は把握しているようで、見下ろす町からどう行けば領都に着くのか説明をする。
「あの町は無事そうですね。」
「ええ。とりあえず行って話を聞いてみましょう。」
山を下りて町に入ると、町の者たちはひどく不安そうな、いや、不審そうな目を向けてくる。ウンガス王国が攻めてきたという情報は入ってきているのだろう。
そんな住人の中を縫って進み小領主の邸に着くと、さらに不機嫌な顔で迎えられた。
「たったこれだけの騎士に何ができるって言うのだ。トェニアもミザリエルも落ちたって言うのに、百もいないじゃないか!」
「あら、数千の騎士を連れてきてはここの食料が持たないと思いますけれど。」
食料の運搬がないからこそ、私たちはこの速さでイグスエンにまで来ることができたのだ。数を増やせば、途中の町の食料が足りなくなってしまうだろうと、騎士の数は最低限に抑えてある。
それが不服ならば、一ヶ月以上待つか、なんびゃく、何千人分の食料を差し出すことだ。
ハネシテゼがそう説明すると、小領主は悔しそうに顔を歪める。
「そんなことよりも、ここで得ている敵の情報を頂きたい。」
ジョノミディスが前に出てきてやっと、小領主は知っている情報について話をしてくれた。
「つまり、西側から攻撃されているということだな。」
「ええ。ウンガス王国の者たちはとにかく略奪を繰り返していると聞く、住人たちを何処かに逃すことができればと思うのだが……」
商人ならともかく、農民や職人は土地を離れづらいだろう。逃げた先に耕す畑もなくては、食べていくこともできなくなる。
「領都はまだ無事なのですか?」
「落ちたという話は聞いていない。」
少しは情報が得られ、私たちは町を出発すると、さらに南西へと続く街道を行く。街道といっても、山の中を曲がりながら進んでいくものだ。決して進みやすいものではない。
「そこの山の上まで登ってみましょう。地形の確認をしたいです。」
左手の山を指してハネシテゼが言う。道は山と山の間を縫うように進んでいっているし、頂上に向けた道は恐らくない。
それでも、やはりそちらに進んでいくようで、ハネシテゼは道から逸れて森へと入っていく。山の中はまだまだ雪が残っている。気をつけなければ滑り落ちたり、穴に嵌まってしまう危険性もある。
ハネシテゼは要所要所で小さな魔法を撃ち出して足場の確認をしていく。崩れそうなところは魔法で先に崩してしまうのだ。その結果、大きく回りこんでいく必要も出てくるが、崖から落ちてしまうよりはずっと良い。
山と言ってもそう高くはないし険しくもない。三時間ほど歩いて頂上付近に着くと、遠くにいくつかの町が見えた。
「あの山から煙が上がっていますね。村でもあるのでしょうか?」
「畑も作れぬところに村はないだろう。逃げた者か、敵兵のどちらかかと思います。」
ハネシテゼが遠くに見える山の中腹に煙らしきものを目敏く発見し、私たちの向かう先はそこになった。
「この南側の稜線に沿っていけば進みやすそうです。」
山頂から見ただけで目標地点までの道筋を決めて、ハネシテゼは再び進み始める。私はそれに着いていくだけだ。
何時間か歩き、陽が大きく傾いてきた頃に、煙の上がるところまでやってきた。
「敵ではなさそうです。いくらなんでも、赤子を抱えて攻めてくることはないでしょう。」
何人かの人が固まっているのを見つけ、ハネシテゼは安堵の息を漏らす。しかし、警戒を完全に解くわけではなく、慎重に彼らに近づいていく。
「そなたらはどこの者だ?」
お互いに顔が見え、声が届くあたりまできたところでジョノミディスが声を上げる。
「私はジョノミディス・ブェレンザッハ。王都の騎士を率いて敵を討つ任を帯びてやってきた。」
大声で名乗りを上げると、木々の向こうから何人もの歓声が上がる。思ったよりも人数がいるようである。その中から一人の青年が進み出てくる。
「ここにはエレシェトから逃げて来た五十名ほどがいます。食料の余裕もなく、歓迎することがかなわず申し訳ありません。」
「貴族はいないのか? そなたの名は?」
聞かれてもいないのに平民が貴族に対して名乗ることはない。ジョノミディスに問われて青年ははじめて名乗りを上げる。
その後、話を聞いてみたが、かなりひどい状況のようだ。
各地の小領主も、そう多くはないが騎士を抱えている。数を武器にされれば平民兵にも押し潰されてしまうのは分かるが、相手の損害だって相当なものになるはずだ。
なのにいくつもの町が破壊され、人が殺され、食料や財産が奪い尽くされる。
それは敵も貴族が数多くいるのだと思っていた。他の理由など、考えもしなかった。
「ウンガス王国は、サルのような顔をした巨大なオオカミを何十も従えているのです。」
その言葉を聞いたハネシテゼの怒りが周囲の木々を揺らした。




