105 収穫のはじまり
種を撒いてから一ヶ月もすると、畑は緑に覆われるようになってくる。魔力を撒いた区画では、葉が大きく育ってきているのがよく分かる。
種まき前に魔力を撒けなかった区画でも、後から魔力を撒いてみる実験はしてみている。魔力を撒く濃さや頻度を変えて幾つもの区画で試した結果、いくつかの傾向は掴むことができた。
作物によって程度の差があれど、後から魔力を撒いても成長の促進はできるようなので、私たちは相変わらず毎日畑に出ることになる。
父や母の機嫌は良くないが、農民たちの表情は明るい。毎日向かう場所は異なるが、農民たちは必ずと言って良いほど「今年はとても育ちが良い」と上機嫌に話す。
さらに一ヶ月も魔力を撒き続けていると、最も早くに収穫期を迎える葉物野菜である甘菜が甘い匂いを周囲に漂わせ始める。
「これはいつごろ収穫するのが良いのですか?」
畑に実る野菜のなかで、私が実際に収穫に携わったことがあるのはわずか数種類だ。畑で栽培されている甘菜は見たことはあるが、何がどうなったら収穫するのかということは全然知らない。
「ここらはあと二、三日後くらいだね。ほら、この辺が白いだろう? 全部緑になる頃が食べごろなんだけどね、その前から採り始めないと間に合わんのだよ。」
全体的に白っぽい色だったのが、段々と葉先から緑色が濃くなってきている。全部が緑色に変化するまではあと一週間ほどあるが、この甘菜は区画いっぱいに六千以上も並んでいる。食べごろになっても畑に放置していると、葉が固くなり甘みもなくなってしまうらしい。それなら少し早めに収穫しはじめた方が、美味しく食べられるということだ。
「では、馬車の用意は明後日で良いでしょうか?」
「馬車なんか使うのかね⁉」
農民たちは、例年なら荷車を押したり引いたりして収穫物を運んでいるらしい。だが、それで城まで運ぶのは大変だし、時間が掛かりすぎる。十四分の八が税ということは忘れてもらっては困る。
「そういえば、今年の税は高いんだったな。」
「あなたたちに残るのは十四分の六ですが、それでは困りますか?」
「確かに、この甘菜はいつもの倍以上の大きさになってるが……」
売った時の値段がどうなるかは、私にも農民にも分からない。一つ当たりの売値が昨年と変わらなければ、農民は生活が成り立たなくなってしまうだろう。
「どうしても足りないようでしたら、何らかの形で補填いたします。私はあなたたちを犠牲にするつもりはございませんので、心配はありません。」
この区画で甘菜を栽培すると決めたのは私だ。そのために農民に不都合を押し付けるような形になってはいけない。私の目標は、みんなが豊かになることだ。誰かを踏みつけにするなんてありえない。
花をつけている芋に最後の魔力を撒き、あちらこちらの区画を見てまわってみると、既に甘菜が収穫可能な状態になっている区画もあった。
「今すぐに馬車を動かせるかしら?」
「今日、これからですか? 往復だけで二時間は掛かりますよ?」
「一時間は収穫作業ができるでしょう? 少しでも収穫してしまいたいのです。」
「分かりました。一時間半ほどお待ちください。」
騎士の一人が馬で城に行ってもらい、私たちは青々とした甘菜を刈り取っていく。巨大な葉の塊の下側に私の手首ほどの太さの茎があるので、ナイフでそれを切る。
葉っぱの部分は一抱えほどもあり、私が持てるのは一つだけだ。そんな野菜が一つの区画に七千八百以上もある。百でも二百でも、収穫できるならしてしまいたいのだ。
馬車が何台やってこれるのか分からないので、とりあえずということで一列、百十二個を刈り取って畑の端に並べておく。
頑張って運んで並べるのは結構な重労働だ。農民は二区画から三区画に一人ほどしかいないのに大丈夫なのか不安になってしまう。
「だから、収穫期が異なる作物を植えようとするのではありませんか?」
なるほど。それで麦の中に野菜の列が伸びていくのか。麦と野菜と芋のように組み合わせれば収穫の時期がずれるから、一人で三区画を見ることができるのか。
納得したところで私は麦畑に魔力を撒きに行く。一時間ほど作業をしていたが、馬車はまだ見えてこない。
周辺の畑の麦はまだまだ伸びている最中だ。農民たちは口々に「今年の収穫は期待できる」と言っているし、私も頑張って魔力を撒いて行きたいと思う。
時折振り返りながら魔力を撒いていると、十分ほどしてやっと馬車がやってきた。
急ぎ戻ると、来た馬車は二台だった。ならば、もう一列ほどは刈っても載せられるだろう。
馬に水をやり、私は急ぎ畑に入る。
一生懸命に刈り取り作業をしていると、馬車から声をかけられた。
「お嬢様。なんというはしたない……。キャデリウーシェ様に一体何と報告すればよいのでしょう。」
やってきたのは徴税担当文官だ。母の直属の部下で、私は徴税について彼女に色々と教わっている。つまり、彼女は私の教師役のひとりである。
「私が畑の作業をするのは、そんなにいけないのでしょうか?」
「そのように地に這いつくばっての作業などするものではございません。」
公爵家令嬢としては相応しくない、ということらしい。
馬車が着くと数人の下人が荷台から下りて、畑に並べた甘菜を次々に馬車へと積み込んでいく。
私も手伝おうとしたら、ミネユレィエに「黙って見ているのがお嬢様の仕事です」と叱られてしまう。
背筋を伸ばして見ていると四人の下人はテキパキと作業を進めていく。見る間に百十二個の積み込みが終わり、一台目の馬車が城に向けて出発する。その後も刈り取りと運搬を手分けして行い、二台目の馬車にも次々と甘菜が積み込まれていく。
四人の手際の良さに私は目を丸くして見ているしかない。あの中に私が混じったら邪魔になるだけだろう。
ミネユレィエはその間に周辺の畑の様子を見てまわっている。芋や麦、豆など色々な作物を植えた畑があるが、それらの実りはまだ先だ。だが、葉や茎が大きく青々と育っていることは分かるだろう。
馬車が到着して一時間足らずで二台目も積み込みを終えて城へと帰っていく。
「私はもう少し畑に魔力を撒いてから戻ります。」
「あまり遅くならないようお願いします。」
日が長くなってくると、必然的に私が戻る時間は遅くなる。街の門の開閉が決まった時刻ではなく、日の出と日の入りに合わせているからだ。
馬の体力を考えると、早めに戻った方が良いのは確かなのだが、私としては少しでも多く魔力を撒きたい。領都周辺の畑しか見ることができていない。
だが、領内の畑はここだけではない。むしろ、私たちが見ている畑はほんの一部分に過ぎない。
他の畑の収穫は、昨年と変わらないことが予想される。もしかしたら、より悪化しているかもしれない。それを考えると、少しでも収穫を増やしておきたいのだ。
翌日からは収穫作業で大忙しになった。
領都周辺の畑には六万近くの区画がある。それを考えると、甘菜を植えた畑の数はとても少ない。しかし、いくら少ないといっても十や二十という数ではなく、百区画を超えている。
土の違いか、撒いた魔力量の差なのか、それぞれの区画で微妙に収穫時期にズレがあるが、それでも一ヶ月も二ヶ月も違うわけではない。
予定では、甘菜の収穫が終わるころには大菜の収穫が始まり、細瓜や甘茄子などの収穫期が続くことになっている。甘菜の収穫に手間取ってしまうと、他の野菜の収穫にまで大きく影響してしまうのだ。
あらかじめ多めに荷車を確保してあっても、城で受け入れる側が大変だ。乾燥野菜を作るための道具や人員も揃えてあるが、毎日大量に運び込まれてくる野菜に作業が追い付かないくらいだ。




