とある世界の話
前世で主人公が死んでしまったあとの話。暗いし、本編には関係ないと思うので読まなくても大丈夫です。
いつもと変わらない朝。
いつものように二度寝を求める身体に鞭打って布団から這い出る。そして朝食を作り、テレビをつけ、それを見ながらそれを食べる。独り暮らしだから独りぼっちの朝。でももう慣れたものだ。それに平日は大学へ行けば友人に会える。勉強は憂鬱だけどそれは楽しみだ。今日は必修があるから真面目に出なきゃ。
朝食の苺ジャムが塗られたトースト咀嚼することで徐々に目が覚めて頭も働いていく。ニュースの内容も頭の中に入っていく。
芸能ニュースから一転、テレビにはとある住宅街が映された。殺人事件があったらしい。最近の世の中は物騒だなぁ。
他人事のようにそのニュースを見ていた私は、テレビに映された文字、ニュースキャスターの読み上げた名前に、手に持っていたトーストをテーブルに落としてしまった。
被害者の名前は、一番仲の良い友達のものだった。
犯人が捕まっていないと、淡々と事件の内容を述べていくニュースキャスター。その映像や言葉が頭をすり抜けていく。
同姓同名だ。きっと彼女は今日もいつもみたいに学校へ来て「おはよう」と言ってくれる。そう信じて、私は学校へ向かった。
彼女は来なかった。
ニュースを見ていた子は沢山いたようで、私の周りではその話題で持ちきりだった。そして今日大学に彼女が来なかったことから、被害者が彼女であると皆理解したみたいだった。
唐突な友人の死。漫画やドラマの中、自分には無縁のものだと思っていたそれに頭が追いつかない。勉強する気にもなれず、家でぼーっとしているとインターホンが鳴った。宅配だろうか。何か、頼んだっけかな。
そう思いながらスコープから外を覗けば少し前に別れた男が立っていた。
呼吸が止まる。
なんであの人がここにいるの。なんでこのタイミングで。嫌な予感がする。信じたくない。外れてほしい。
スコープ越しに男の両手に何も握られていないことを確認する。ここのアパートの壁はそこまで厚くない。叫べば誰かしら来るだろう。深呼吸をして、ゆっくりとチェーンをかけたままの扉を開けた。
「何……?」
「やっと、邪魔な人間が消えたからね。会いに来たよ」
「邪魔?」
「うん。あの女。君と僕を別れさせた女だよ」
あぁ、やっぱりこの人は狂ってる。
私は自分の意志で別れたのに。ちゃんと別れるときに「貴方の行動に耐えられない」と言ったはずなのに。
しかし少し話してみてわかった。きっと、彼女を殺害したのはこの人だ。この人が、彼女を。
恐怖で手が震える。狂った人間が目の前にいる。怖い。逃げ出したい。でも逃げたら何をされるかわからない。……大丈夫。この人は私を盲目的に愛してる。拒まずにいれば、大丈夫。
自分に言い聞かせて、笑顔を作ってチェーンを外す。
「……ごめんね。まさか今日来るなんて思わなかったから片付いてないの。適当に座っててくれる?」
「うん」
男が自室に上がる。私はズボンのポケットに入れてあった携帯のボイスレコーダーを起動し、録音ボタンを押した。そしてそれをポケットにいれて、男に出すための紅茶を用意した。
「紅茶好きだったよね?」
「君が淹れてくれるのは格段に美味しいからね」
「そっか。……ねぇ、さっきの話」
「ん」
「今朝ニュースでみたよ。本当に貴方がやったの?」
「本当だよ」
本当に、この男はどこまで狂っているんだろう。
「本当に?」
「本当さ。本当に僕があの女を殺したんだ」
狂った男は、愛した女に本当に甘い。
「そう。あ、ちょっと待っててくれる? アレ、捨てちゃったから買ってこなきゃ」
今日するでしょ? と微笑むと男は厭らしい笑みを浮かべた。虫唾が走る。
大丈夫。あと少しだけ。あと少しだけ、頑張れ私。笑え。震えるな。大丈夫、大丈夫。
「僕が行くよ?」
「いいえ。私に準備させて?」
「じゃあお言葉にあまえて」
男に待っているよう告げて、自室をあとにする。持ち物はポーチに入った財布と携帯だけ。外に出てから少しだけ歩いて、アパートから見えない位置に行き、携帯の音量を最低限にして、耳元で録音したものを再生する。少しぐぐもっているけれど、ちゃんと録音されていた。証拠としては信憑性の薄いものだけれど、ないよりはマシだろう。少なくともあの部屋に警察を招くことくらいはできると信じたい。
私は震える体を喝を入れ走り出す。早く、早く。あの狂った男をどうにかしなければ。
一番近くの交番で警察官の男の人に事情を説明し、録音を聞かせる。するとその人はもう数人警察官を呼び、私のアパートまで来てくれた。男は狂っている上に浅はかだった。警察官を連れて帰宅した私を見て叫んだのだ。どうしてと。やっと邪魔者がいなくなったのに。僕が殺したのに。どうして。そう、叫んだ。警察官の一人が暴れる男を抑え、事件の真偽を尋ねると、叫びながら自白もした。事件の詳細を語ってくれた。
警察官に取り押さえられた男は一通り叫ぶと私を見上げて口を開いた。愛しているのに。そんな狂った男を見て、私も口を開く。
「私は貴方のことなんて愛していない」
男は絶叫した。ただでさえ狂っていたのに、さらに狂ったみたいだ。男の絶叫の中には私を詰る言葉があったけれど、どうでもよかった。警察官には事情聴取をされた。しかし私はほとんど何も知らないのですぐに開放される。
再び一人になった部屋で力なくへたり込んだ。
彼女はあの男に殺された。男に邪魔だと判断されて。彼女は何も悪くないのに。無関係なのに。私と関わらなければ彼女は死なないで済んだんだろう。でも私と仲良くしてしまったせいで、殺されてしまった。私の、私のせいじゃないか。
もうすぐ誕生日をむかえる彼女のために用意したプレゼントが視界に入る。自らの手でラッピングを施したそれを手に取り、抱え込んだ。頬を涙が伝う。呼吸ができない。
私のせいで彼女は死んだのだ。
「……ごめん。……ごめん、なさい」
自分の声とは思えないほど弱りきった声で、何度も謝罪の言葉を述べる。何度も、何度も、何度も。彼女はどこにもいないのに。届くはずのない謝罪をひたすら口にし続けた。
次の日、私は彼女の両親と会った。頭を下げ、謝罪する私に彼女の両親は優しい言葉をかける。君が謝ることではない。君も被害者のようなものだろう。一人娘を亡くし、弱り切っているはずなのに。辛いはずなのに。彼らは私を詰ることも、責めることもしなかった。彼等からかけられる優しい言葉が私の心を責め立てる。いっそ詰って、責め立ててくれたほうが楽だったかもしれない。
葬式が執り行われた。最期に見た彼女は今にも目を覚ましそうで、涙が出た。彼女はもう目覚めない。私と一緒に勉強しない。話しかけてくれない。一緒に笑いあうこともできない。彼女はもう、目を覚まさない。
ご両親にお墓の場所を教えてもらい、一人でそこを訪れた。幸いなことに誰もいない。墓石の前で、そっと膝をつく。涙が止まらない。口を開けば謝罪の言葉しか出ない。彼女は私と仲良くしたせいで殺された。私を恨んでいるだろうか。死ぬ間際に私と関わったことを後悔しただろうか。もしそうなら枕元にでも立って私を責め立ててほしい。私の周りは誰一人として私を責めなかった。皆が皆、優しく私を労る。大変だったね、と。それが酷く辛い。だから、どうか、彼女だけは私を恨み、責め立てていてほしい。




