最終話・少しだけ素敵な日常
チチチ……と、どこかで小鳥が鳴いている。早朝の図書館に、一人の男が踏み入った。男は真っ直ぐに秘密部屋へと向かう。
「開館前から潜り込んでいたのか」
「誰にも邪魔されたくねぇかいね」
やってきたのは元彦、待ち受けていたのは光助だ。
「どんげですか? そっちは」
「ああ……。今のところはまだ、巡回などといった本格的な仕事は回されていない。もっとも、人手不足のようだからすぐに用件を言いつけられるだろうがね」
朝日のあたる席につき、言葉を交わす。光助の膝の上にはケリーが幸せそうに眠っている。
「それで、俺を呼びだした理由はなんだ?」
本題に切り込む。
「……今回の出来事を通して、おりゃも腹ァくくりましたわ」
ポリポリと頭をかきつつ、光助は宣言した。
「高校卒業したら、おりゃも組ん入るわ」
「……そうか」
意外、といえば意外だが、元彦はなんとなく予想していた。
「親父らんやり方は気にくわん。おりゃは、おりゃんやり方で、組を変えていこうて考えちょる」
薄く口を開け、かすかに微笑む。想いはどちらも同じだった。
「そうだな。……変えていこう、俺たちが」
うららかな日射しを受け、二人の若者は笑いあった。
「さて、そろそろ学校に行くかね。しばらくサボったかい取り返さにゃ」
「ハハ……。しっかりやれよ」
「お互いに」
ケリーを起こして移動させ、光助は立ち上がる。
「……彼らによろしくな。随分と、巻き込んでしまった」
「……」
『彼ら』。その中に、明石兄妹が含まれていることを光助は感じ取った。
「俺の罪は……重いな。何年償っても消えそうにない」
「そら、罪は消えませんわ」
去り際、もう一言だけ付け加える。
「時間は罪は消せんけど、罪を許してはくりゃる」
ギィ、と重い音を立てて扉が閉まり、元彦は一人になった。心なしか部屋中に爽やかな風が流れ、心地よい香りとともに元彦を囲む。
「……夏が、来たな」
「ありがとう、かず君。この間のお願い引き受けてくれて」
「いいってば。俺もじっとしてるのは苦手な性質だしな」
学校では、半袖に衣替えした直人達が会話している。
「それに、あの根暗トランプ野郎が頭下げて頼んできたんだ。これで貸し一つになるからな」
「誰が根暗だ、こら!」
「あ、丈二君、聞いてたの?」
「ここ俺の席だし。ってか何で隣の教室のお前がここに来てんだ! ネクラってのは誰のこだ!?」
「お前のことに決まってんだろ!」
またもやケンカだ。もはや直人も止める気にならず、二人を放って窓から空を見上げた。
(あれから、まだ二週間しか経ってないんだ)
本来なら全く無縁の領域に挑み、激動の渦に飲まれた日々。それは急激に戻ってきた日常とのギャップがあまりに大きく、まるで前世の出来ごとのように感じられた。
「あ……」
校門から、一人の女生徒が入ってきた。夏らしい、早朝にしては強めの日射しを受け、長い髪がキラキラと輝いて見える。
「おい直人。なにボーッとしてんだよ」
いつの間にかケンカを中断していた丈二が声をかけてくる。
「ああ、なんだ。結子か」
「へー。ナオって、平崎さんのこと狙ってンの?」
「あ、いや、そんな……」
「今さら隠すなっての!」
丈二が笑いながら直人の背を叩く。和仁も好奇の視線を向けてくる。
「しっかし……なんかよぉ〜。結子、前より表情が明るくなってねぇか?」
「言われてみりゃあ、何かそうだな」
男三人の視線に気付かず、結子は玄関へと入って行った。
「ナオ〜。お前、いつから好きになってたんだ? もしかして中学の時から?」
「じ……実は……そう」
直人は耳の先まで真っ赤に染め、蚊の鳴くような声で答える。
「同じ中学にいたんなら気付けよ……バカ」
「あ? 何か文句でもあんのかてめぇ」
再び火種が燃え上がった。
「大体、何でそんなにつっかかってくんだよ!」
「お前が余計なこと言うから――」
ケンカに巻き込まれないよう、直人はそっと教室を出て行く。あてもなく廊下をぶらついていると、行き交う生徒達の中に結子を見つけた。
「おはよう、積里君」
「おはよう」
朝日よりも爽やかな笑顔が、直人の心を包む。そしてバタバタと慌ただしく追いかけてくる足音。
「お〜い、どこ行ったんだよ、直人〜!」
「朝っぱらからうるさいぞ、ジョー」
――日常が戻ってきた。以前よりも、ほんの少しだけ素敵な”日常”が――。
【偏才〜ヘンサイ〜】 完。
【偏才〜ヘンサイ〜】最終話。
唐突に終わったような感じもしますが、これは初めから予定していた通りです。
大詰めまできて長々と細部を描写するのは蛇足だろう――と判断し、あえてぼかしたままの部分が多々あります。ぼかされた部分をどう解釈するか、それを醍醐味としていただければ幸いです。
最後まで読んでくださった方々へ。本当にありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。
徳山ノガタより




