第四十三話・開かれた扉
チク、チク……と、時計の針が自分の働きを主張している。必要最低限の家庭用品しか置かれていない鉄の部屋に、その音が響く。
(あと、三十分か)
「ボス」こと風三元彦は、さっきから何度も時計に目をやっている。
(光助、丈二、結子。それに栄和仁と積里直人、か)
光助以外は、今日初めて出会う人間ばかりである。電話越しに会話をしたことはあるが、顔はまだ知らない。
(明石……字一と、みどり。あの兄妹が私を憎むのは当然だろうな。私は……私のやったことは、少なくとも彼らにとっては悪行だ)
ソファに深く腰掛け、二年前の事件について想いを巡らせる。考えれば考えるほど後悔の念が募り、いつしか元彦は寝転がり、動かなくなっていた。
三十分後。インターフォンの音で、元彦は目を覚ました。
(来たか)
身をおこし、鉄のドアへ歩いて行く。
鍵を開け、ドアを引き、廊下の奥のドアに進み、また鍵を開ける。それらの動作を、元彦はゆっくりと、一つ一つ心に刻みつけるように行った。引き返そう、という思いが途中で何度も込み上げてきたが、それらを強引に抑えつけながら歩を進め、ついに最後のドアの前に立った。
「こんな所があったなんて……」
「今、足音がしなかった?」
鉄のドア越しに若い声が聞こえてくる。生きた人間の肉声を聞き、元彦の額に汗が流れた。
(この向こうに……)
ポケットから鍵を取り出す。そして、ドアにある二つの鍵穴のうち、上の鍵穴にそれを差し込んだ。
二年間ほど一度も使用されなかったにも関わらず、それはちゃんと機能した。ガチャリという重い音をたて、ついにその扉が開かれた。
「ボス、久しぶりやね」
「光助……。背が伸びたな」
いた。光助と、その後ろに四人の男女。そして猫のケリーが。
「は、初めまして」
丈二が進み出てあいさつをする。その目には、静かな驚きの色が浮かんでいた。他の者たちも同じだ。
「ボス。そん格好はなんね」
「ああ、これか」
元彦は黒いコートで全身を覆い、フードとサングラスで顔を隠していたのだ。丈二たちはその格好に驚いていた。
「久々に人と会うのでな。いきなり素顔をさらすのは気がひける」
「そりゃあ別んいいけん、グラサンはやめちくり。親父を思い出すわ」
「ああ、すまない」
元彦はサングラスを外し、その眼を一同に向けた。
「あの、初めまして」
「君が、立国丈二か」
「えっ? そうですけど……」
元彦はコートの中から手を伸ばし、後ろのメンバーたちを一人一人指さしていく。
「結子、直人。そして、まだ一度も声を聞いたことがない、君が和仁だな」
「わかるんですか!?」
思わず結子が声をあげる。光助の話によると、「ボス」は自分たちの顔を知らないはずである。
「ますますカンが鋭くなったっちゃねぇですけ?」
「そのようだな。一度声を聞いた人間は、気配だけで見分けられる」
そう言いながら、元彦は自分の生活スペースへ一同を案内して行く。
「はぁ……本当に、こんな所に人が住んでるんだ」
「食べ物とかどうしてるんですか?」
「デパートに配達してもらっている。当然、本当の素性は明かしていないがな」
丈二や和仁はこの部屋に興味津々らしく、しばらくそんなやりとりを元彦と繰り返していた。しかし、結子はそれどころではない、というように本題を切り出した。
「それで、みどり達のことなんですけど」
この一言で、緊迫した空気が室内に満ちた。
「明石みどり……か。結子。君から相談を受けた時に、もう少し詳しく聞いておけばよかったな。そうしたら別の道があったかもしれない」
「ボス。そんげなこつ言うてん今更どんげもならんど」
「ああ……そうだな」
(そういえば)
ふと、直人は思った。
(ボスさんは、平崎さんにどんなアドバイスをしたんだろう? 今の組織に入るように勧めたのはボスさんらしいけど、それだけなのかな)
「私の行ってきたことが正しいのかどうか、それをずっと迷っていた。この部屋に籠ってからも、少し時間があるとそのことばかり考えてきた。だが、どうやら……」
元彦は和仁に視線を送る。
「少なくとも、君にとっては迷惑だったようだな」
「あ……いや、そんな」
面と向かってそう言われると、和仁もあまり強く出られないようだ。
「無関係の人間を巻き込んでしまった以上、私もいつまでも逃げ回っているわけにもいかないな」
「お?」
「明石字一と、一度話をつける必要がある。光助の話によるといずれ向こうの方からやって来るそうだが、こちらから出向こうかと思っている」
ハッキリと、そう言いきった。この部屋を出るつもりらしい。
「けん、大丈夫ですけ? こん部屋を出っと、そん……」
「鳴峰組に見つかる、か。しかし、そんなことも言っていられない状況だろう」
「……」
そんな方向に話がまとまってきたとき、遠くでドアの動く音がした。
「? 配達の人ですか?」
丈二が間の抜けた声を出した時、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「見つけたぞ。風三元彦」
「明石……字一」
「みどり!」
しかし、それだけではなかった。明石兄妹と俊。その後ろには多くの人影が控えていた。




