それぞれの事情
わたしは空中から、遠ざかるお城を見ながら、
「ご隠居様を助けなきゃ。あの状況では、そんなに持ちこたえられないわ」
「分かってるけど、まずは脱出せよというのがご隠居様の最後のご命令だから」
「脱出なら、もう、できてるじゃないの」
「そうだけどね。ご隠居様の意図も考えると、難しい問題があってね」
「何だか分からないけど、とりあえず、どこかに降りてよ。同じ姿勢のままで、疲れてきたわ」
「了解」
隻眼の黒龍は、湖のほとり、お城とは反対側の湖畔に着地した。せっかくの純白シルクがずぶ濡れになって、寒気がする。黒龍はそれを見て、近くの木を何本か根元から折り、口から火を吹き、勢いよく燃やした。
「ありがとう、暖かくなった。助かったわ」
わたしは火に当たり、服が少し乾いたところで、
「どんな難問か知らないけど、ご隠居様を放ってはおけないわ」
「それがね、そう簡単にいかない事情があるんだ」
黒龍の説明によれば、ご隠居様は、ずいぶん早くから、御曹司がお城に攻めてくることを予期されていたという。ご隠居様と御曹司の関係は、諸々の経緯から、和解不可能な程度にまで悪化していた。ご隠居様は、意に沿わない結婚から生まれた御曹司に愛情を抱かれず、御曹司は、母の死の原因を、ご隠居様が母に冷たかったことに求められた。
ご隠居様は御曹司に爵位と官位を譲られたが、エルブンボウと黒龍マスターの地位を譲られなかった。御曹司にとっては、「弓術の腕が未熟なうちは譲れない」という理由は嫌がらせにしか聞こえず、また、御曹司の脳内における切実な問題としては、半人前のように見られるのは非常に具合が悪いということがあった。御曹司は、内心的には、「エルブンボウと黒龍マスターの地位を手にするため、手段を選んでいられない」というところまで追い込まれていたのだという。
御曹司が例の根も葉もないうわさ話を信じていたかどうかはともかく、わたしがこのお城でご隠居様に特に目をかけられたことが最後の引き金となった可能性はある。ただ、本質的には、昔からあったご隠居様と御曹司の矛盾・対立・反目が、とうとう爆発したということらしい。
説明をきいてみると、割とよくある父と子の宿命的な対立のようだが、
「御曹司をやっつけてはいけないの?」
「そこが難しいところなんだよな~」
黒龍によれば、ご隠居様はエリザベスのいない世界に未練はなく、御曹司との戦いで討死することを望まれているという。「侯爵家は息子の好きにさせてやればいい、世捨て人がいつまでも生きていてはいけない」と、おっしゃったそうだ。ご隠居様は、心情的には、エリザベスがいなくなった時、人生に幕を下ろされたのかもしれない。




