再び隻眼の黒龍
「エルブンボウをわたしにですか?」
「そうだ。それと、もう一つ。走るぞ。遅れるなよ」
ご隠居様は、再び駆け出された。家宝のエルブンボウを赤の他人に譲るなど常識的にはあり得ない話で、普段なら「何か裏があるのでは」と勘ぐったりもするが、その時にそんな余裕はなかった。ご隠居様についていくだけで精一杯。わたしは手渡されたばかりのエルブンボウを握りしめ、懸命に走った。城内城外の騎士やその従者たちの奏でる重低音は、先刻よりも大きくなっていた。戦闘が苛烈さを増しているのだろう。
「ご隠居様、おそらく、城門付近では激しい戦闘が……」
「そんなものは後でいい」
ご隠居様は脇目も振らずに走られた。ご隠居様とわたしは、廊下を走り、階段を降り、中庭に出た。そこでは、ご隠居様の騎士たちが戦闘行為の真っ最中。怒号か悲鳴か断末魔か、大きな声が何重にも重なり轟々と響き渡っている。城壁の上では、弓兵が矢をつがえて射たり、数人がかりで大きな石を投げ落としたり、忙しそうだ。
わたしたちの姿を見止めた騎士の一人が、ご隠居様のもとにさっと駆け寄り、
「ご隠居様、敵は大軍です。城門が破られるのも時間の問題かと!」
「もう少しだ。もう少しだけでいい。耐えてくれ。ところで、明かりはないか?」
「明かりですか。すぐにお持ちします」
しばらくすると、騎士はトーチを手に、戻ってきた。ご隠居様はトーチを取られ、わたしの方に向き直られ、
「これから地下道に入るぞ。暗いから気をつけよ。特にお前はな」
さすがご隠居様。こういう時でも、わたしがドジっ子ということをお忘れにならない。
ご隠居様は、地下道の入り口の扉を開けられた。
「ご隠居様、これからどこへ?」
「ついて来れば分かる」
「騎士の皆さんが戦っておられるのに、何もしないというのは、何だか申し訳ないような……」
「お前は騎士ではない。とにかく、行くぞ」
ご隠居様は、右手にトーチを、左手でわたしの手を取られ、地下道を早足で進まれた。こんな時だけど、少し気恥ずかしい。なお、地下道で、わたしが転ぶたびに、ご隠居様に助け起こされたことは言うまでもない。
やがて、ご隠居様とわたしは、広々とした区画に出た。暗くてよく見えないが、確か、以前に来たことがある。そう、ここは、あの隻眼の黒龍と遇ったところ。
不意に、辺りが明るくなった。わたしは思わず目を閉じた。
「ハロー、元気だった?」
聞き覚えのある声だ。目を開けてみると、果して、その声の主は、隻眼の黒龍だった。




