23話 本物よりもうまい、偽物の飯
マリーが食堂に到着したころには、すでに人はまばらだった。
鼻孔をくすぐる香辛料の香り。
日系料理人が作ったであろう日本式、とろみのあるカレーが用意されていた。
最初こそ未体験の料理に各々面喰っていたが、味は良く合成食材独特の若干の磯臭さも消され、評判がいい。
カントリー・キャプテン(アメリカ南部の郷土カレー)も悪くはないが、マリーはこちらのほうが気に入っている。
セルフサービスとなっているカウンタで皿に盛りつけ、手ごろな席に着こうとしたとき、見知った顔を見つける。
「お疲れのようね、フィーネ」
そう言ってマリーは彼女、フィーネ・バスケス少佐の前に座る。
フィーネはうつむき、憔悴した面持ちでもそもそとカレーを口に運んでいたが、マリーの呼びかけで顔を上げた。
「ああ、マリー……。あなたもお疲れ様。話、聞いてくれる?」
「食事の間だけでよければ、どうぞ」
制限時間を設けないと、いつまでも話し込んでしまう。
バスケスの愚痴は長い。
バスケスは二九歳。独身。
マリーとは少々年が離れているが、基地内にいる数少ない若い女性職員同士ということで、ひざを突き合わせる機会が多い。
「……今回の襲撃、あのひげおやじが司令職を無視して戦線に出たせいで、わたしがどれだけ苦労したか!」
「お察しするわ。でも、そのおかげでわたしたちは助かった」
スプーンを口に運ぶ。
大急ぎで作られたカレーは、まだ具材の形が保たれたままだ。
マリーは煮込まれ、具が溶け始めの方が好きなので、少し残念だった。
「それよ! そうやって成果を上げてくるせいで、司令を責めるとわたしが悪者扱いされるの! ほんと嫌になる! わたしが事後処理までやっているっていうのに! いつのまにか《サーベラス》隊まで呼んで! あ、別にあなたたちのことを悪く言っているわけじゃないのよ? ただ、予算がね?」
「ふふ、わかっているわ」
語気は荒いが声量は控えめ。
たとえ憤慨していても、食事時のマナーはきちんと守る。
バスケスはそういう女性だ。
シュラウド絡みについては言及すまい。
最初に要請したのはマリーだ。
そしてそれを大急ぎで来させたのがユンカース。
この話題はこちらにまで飛び火しかねない。
「あなたはよくやってくれているわ。ううん。あなたじゃなきゃ、あの司令の秘書官は務まらないとおもう」
生煮えの、ニンジンがあった。
口から出すのもはばかられるので、そのままかみ砕く。
じわりと染み出すかすかな磯の味。海の味だ。
日本製の高級合成食材ならこの味はしない。
昨今の料理とは、いかにこの磯臭さを消すかに心血を注いでいるものだ。
おかしい。
いつもの料理人の出来栄えではない。
あとで誰が作ったのか聞いてみよう。
他意はないけれど。他意はない。マリーはそう心でくりかえした。
「……。やっぱりそう思う?」
「ええ。あなたが秘書官で、司令もこの基地の人間も皆、助かっているわ」
幾度となく繰り返された、儀式めいたフレーズだ。
この流れが出来上がれば話は収束する。
実際、バスケスが居なければ、この基地の運営は滞るだろう。
一度、風邪でバスケスが休んだ際、書類の束を抱きかかえてユンカースが泣きついてきたという。
彼女の自慢話の一つ。
一人休んだくらいで運営が滞る軍事基地。ここの環境は劣悪だ。
物資はあるが、人が足りない。世界中が今、同じような状況下にある。
「そうよね。あの人にはわたしがついていないとダメよね」
「ええ、まったくそのとおりよ」
「はぁ……。仕方ない。もうひと頑張りするわ」
バスケスがこの職を選んだ理由。それはユンカースに憧れたからだ。
彼は様々な戦地に赴き、人々を救ってきた。
そうして助けられた中の一人が、バスケスなのだ。
戦地での彼しか知らなかった彼女は、普段の彼を見てひどく落胆したそうだが、同時に自分が支えてあげないと、と強く思ったらしい。
庇護欲がそそられるのだそうだ。
それはマリーにもわからないでもない。
「それで、アプローチはうまくいっているの?」
味の薄いジャガイモを半分に割り、ルゥをからめて口に運ぶ。
「今度こそ、落として見せるって言っていたわよね?」
「あの《ブラックナイト》とかいうやつのせいで台無しよ……。いろいろプランをたてていたのに!」
バスケスは苦々しい顔で水を飲み干す。
「それは、災難だったわね」
「まぁ、そうでもないのだけどね」
バスケスの口調が変わった。この流れはまずい。
急がなければ。あと三口で食べ終わる。
「次の戦闘に備えるための、仮眠を取っている彼の肉食獣みたいな顔。正直、クるものがあったわ。近づいて起きさえしなければ、キスできたのに……」
自分の身を抱き、体を揺らすバスケス。あと一口だ。
「それに、パイロットスーツに包まれたあの体! もう五〇にも届こうって年齢なのに、鍛えられたあの体! はぁ、あの腕に抱かれたい……」
マリーは口の中のものを水で流し込み、席を立つ。
「あら、もう行っちゃうの?」
「ええ、まだやることがあるの」
本当は、特にやることなどない。
だが、ここで切り上げないと、延々と話が続く。
バスケスののろ気は愚痴よりもはるかに長い。
「そう、残念ね。それじゃ、また」
「またあいましょう」
次に会える保障などない時代でも、あいさつは変わらない。
それが良いことなのか、悪いことなのかわからない。
もしかしたら、土の中の人たちは知っているかもしれない。
マリーは第四格納庫に向かうため、食堂を出ようと席を立つ。
「そうだ。ねぇ、フィーネ。このカレーを作ったヤツ、誰かしら」
「さぁ? 事務方の誰かだとは思うけど。お気に召さなかった?」
問いに言葉で応えない。そのかわりにしかめ面をしてみせる。
バスケスが笑いながら手をひらひらと振った。
あとで探し出してやる。
安物の合成食材は調理がキモだ。
旨味は強いが磯の臭みもある。
本物の食材が入手困難な今、それをどう対処するかが料理人の腕にかかっている。
生半な腕で調理するくらいなら出来合いの合成食品でも食べていた方がマシというものだ。
去り際に、遠くの席にシモンたちが居るのを見つけた。
ずいぶんと楽しそうに騒いでいる。
あっちに混ざれば良かったかも、とマリーは思った。
明日中には、シュラウドから輸送車が来る手筈。
データをまとめておかないといけない。
腕時計を見る。今日は寝られないかもしれない。
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