8話 その名はレイチェル 下
《マーベリック》コクピット内、制御モニタ横のレディランプが点灯する。
アレックスはボタンを押す。
しばらくして起動音と共にハワード博士が組んだとされるOS、ハワーズ・オペレーティング・システム、通称HOSが表示された。黒の背景にSWSとバージョンの表記。
現在ネットに配信されているものより古い。そして表示される文。
『地球に神はいない。このシステムがその証明』
配信当時より物議をかもしだしているSWSの一文。
SWSは一文字でも手を加えるとその機能を停止するという曲者だ。
いくら解析しても、なぜバランサプログラムとして機能しているのかもわからないブラックボックス。
故にこの一文の削除すらできない。
コクピット内に警告音。
「ねぇ。何か表示されたけど」
「マニューバが無いって表示でしょう。無視していいわ」
アレックスはモニタの表示を見てふと気が付いた。
「マリー。僕、《マーベリック》がどこで造られたかわかっちゃった!」
アレックスは車内での二人の会話を一応は聞いていた。
「本当なの!?」
「……聞かせてくれ」
マリーとヒュージが驚いた。
アレックスは目を閉じ、ぴんと立てた人差し指を振る。
おそらくすまし顔をしているつもりだ。
「簡単な推理だよ、わとそんくん。この名探偵アレックスにかかれば造作もないよ!」
そう言ってモニタを指さす。
「ここに表示されている言語。これは英語! つまり《マーベリック》は英語圏で造られたに違いない!」
自信満々のその言葉にマリーは申し訳なさそうに反論する。
「……この機体、前の基地で初期起動を済ませてあって、言語選択もそこで行っているの」
当然、自国の言語を設定する。HOSは十二ヶ国語対応なのだ。
「ということは――」
「――決め手には、ならないわね」
マリーは言葉を選んで回答する。
「……そっかー」
「残念だったな、名探偵。着眼点は悪くないと思うぞ」
ヒュージはアレックスの考えをヒントに各部パーツの製造会社を洗ってみようと考えた。
「元気出して、名探偵!」
「すごく恥ずかしい!」
手で顔をおおい、縮こまる。機能があれば、耳まで赤くしたに違いない。
なぐさめの言葉が痛い。ヒュージに至っては絶対にからかっている。
そこでマリーが一つ手を叩いて場を収めた。
「続けましょう。ああ、データケーブルを持ってこないと」
アレックスはパネルを操作して警告を了解した。
機体の状態が開示される。軽度の損耗。電力不足。
「……僕持ってるよ」
まだ立ち直りきれておらず、力なく自分のポケットを叩く。
首のタオルを取り、コネクタカバーを開く。
「頼むぜ、名探偵」
「これ持ってて!」
コクピット外のヒュージに向かって心もち強めにタオルを投げつける。
そこへ、女声の電子音声が響いた。
「ハロー、人間。ご用件はなんでしょう」
「わぁ! なになに!?」
アレックスは慌ててコクピット内を見回す。
「レイ!? どうして起動しているの!」
機能停止させていたはずの人工知能が突如動き出したため、マリーは驚いた。
「その声はマリーですね? どうしてとは、心外です。あなたが会話機能を入れたのではありませんか。それにレイチェルは、この《マーベリック》になくてはならない存在なのですから」
「ただの対話型なんじゃなかったのか?」
ヒュージに疑いのまなざしで見られる。
「こんな機能はないはずよ」
マリーは愕然としている。それもそのはずだ。
レイと呼ばれたAI、レイチェルは勝手に起動し、勝手にしゃべっている。
彼女が設計したものとまるで違うシステムだ。
「マリー、あなたが不思議がるのも無理ありません。わたしはレイチェルであってレイチェルでない。あなたが設計し直した対話型AIの原型なのです。この機体に、もともと搭載されていたのですよ。会話機能を追加してくれたおかげで、ようやくお話できるようになりました」
マリーが再設計したレイチェルは、彼女の家にあった自立型AIを基に作ったものだ。
彼女が、人造人間の研究を目指した理由。幼少期の、彼女のたった一人の友人。
壊れてしまった、レイチェル。
「複雑な気持ちです、マリー。わたしの中に、もう一人のわたしを入れられる気分というのは、でもよいのです。おかげでレイチェルはこのように、饒舌に会話することができるのですから」
ヒュージとマリーは押し黙っている。
どう対応していいのか、考えあぐねているようだ。
「えっと、続き、やってみてもいいかな」
いつまでもこうしているわけにもいかないので、アレックスは二人に向かって話しかけた。
「続きとは、なんですか? 人間」
しかし、答えたのはレイチェルだった。
「僕はアレックス。続きっていうのは、《マーベリック》の動作テストだよ」
「アレックスですね。レイチェルは物覚えが良いので、もう覚えましたよ。しかし、メインシステムがロックされているのに、どうやって動かすのです?」
データケーブルを取り出して見せる。そこで、相手が音声だけなのに思い当たる。
「これ、って言ってもわかんないか」
制御モニタ搭載のカメラからキュイと音がした。
「それはデータケーブルですね」
「あ、それで見えるんだ。そうそう。これで僕と繋げるんだ」
「レイチェルと交わりたいというのですか!? なんて破廉恥な! レイチェルはそんな尻軽ではありません!」
ヒュージはマリーの方を向いた。マリーはそっぽを向く。
その気持ちもわからなくはない。
「じゃあ、メインシステムのロックを解除してくれない? それなら接続しなくて済むよ」
「それはできません。レイチェルはあくまでこの機体のナビゲートシステムですから」
「そりゃそうか。それじゃ、接続してみるしかないかなぁ」
「……アレックスがどうしてもというなら、一回だけ。一回だけ接続させてあげてもいいです」
アレックスは、二人の方を向き、同意を得ようとした。
マリーはこちらを向いていない。ヒュージが頷く。
「お願い、レイチェル。接続させて」
レイチェルに懇願する。
「許可します。ああ、レイチェルはなんて押しに弱いAIなのでしょう。こうやって行きずりの方と……」
レイチェルがしみじみとつぶやく。もういろいろと気にしない方がよさそうだ。
「なら、早速試してみてくれるかしら。ユニバーサルコネクタは制御パネル下よ」
思考を切り替えたマリーが指示を出す。
「はーい」
ユニバーサルコネクタのふたを外し、差し込む。反対側を、自分の首に差す。
「どうかしら?」
「まだ接続してないよ」
「あら、ごめんなさい。焦ってしまったわ」
腹部ハッチを開けたまま、ハーネスを下ろす。一応の安全のためだ。
「じゃ、接続してみるね」
「気をつけろよ」
「わかってる」
「はじめてなので、優しくしてくださいね」
すこし黙っていてほしかった。
「善処します」
そういってアレックスは目を閉じ、意識をケーブル、そして機体へと送り出す。
脳からの電気信号が、増幅器無しで《マーベリック》に繋がる。
「……」
目をあける。右目しか、見えない。回路に破損があるようだ。
そこにあるのは、灰色のひざ、腕。
外部電源の経路をいじり、機体全体にも電力を流す。
コンテナ外の発電装置が悲鳴を上げたのが分かった。
なので、上半身のみに限定しなおす。
体中がチクチクする。何かのノイズだろうか。
腕を少し動かしてみる。動かしたいだけの動きをした。
「おっけー。接続できたよ。でも、回路がだいぶ死んでるね」
外部スピーカから、アレックスの声がする。
コクピットのアレックスは動かない。まるで腹話術だ。
レイチェルの反応はない。接続中は機能を停止するのだろうか。
「勝手に体まで動かすなよ。パーツが劣化してんだから、壊れるだろうが」
ヒュージがアレックスの目、《マーベリック》のデュアルアイを睨み付ける。
「ごめん、ごめん。動けないと気持ち悪くて。次どうしようか。って痛い!」
動かした関節から、嫌な音がした。
おそらく月日を経て凝固した電気粘性流体が、内部で形を変えた音だろう。
こぼれ出なければ問題ない。チクチクとした、全身の痛みが絶えない。
「え、痛い? え?」
思考がまとまらない。今のアレックスには、痛覚がある。
それは、機械化人間になったときに失ったものだ。
「だから動かすな、ってアレックス、お前今、痛いって言ったか?」
ヒュージも気付いたようだ。
「体は動かすなよ! 他に、他に何か感じるか?」
「どういうこと?」
「ちょっと待ってくれ、マリー。ああ、どうするか。よしアレックス、手で壁を触ってみろ。いいか、動かしていいのは腕だけだ」
話についていけないマリーは放っておく。今のヒュージはそれどころではない。
「匂いも感じる……。味? これは味かな。ああ、固いものを触っている感じがする……」
降着姿勢のまま、腕を伸ばし、コンテナの内壁を撫でる。
「すごい、すごいよコレ!」
アレックスのはしゃぎ声が響く。音量が大きい。感情の昂ぶりがヒュージ達にも伝わる。
「メインシステムへのアクセスはどうだ? やってみてくれ」
「うん!」
アレックスは意識を内側に。脊椎ユニットへ。しかし、弾かれる。
「PES、プロテクト。アクセスエラー。正規の手続きを踏んでください」
レイチェルの声が応える。防壁の向こうにレイチェルの存在を感じる。
今まで接続してきた電子機器では得たことのない感覚。
まるで生き物みたいだ。
自律型AIというものはこういう存在なのかとアレックスは思った。
「ダメみたい。防壁に弾かれちゃう」
「わかった。アレックス、一回降りろ。機体をチェックする」
「えー。せっかくいい気分だったのに」
アレックスが口をとがらせる。
「アレックス」
ヒュージが咎めた。彼の声に、興奮していた心が急速に冷え込む。
「わかったよ」
アレックスは《マーベリック》から意識を戻す。
「電源を落としてくれ。レイチェルがいると、話がこじれる」
「扱いが悪くありませんか?」
レイチェルは機能を再開したのか、しゃべり出す。
コクピット外の声も拾うようだ。当たり前といえば当たり前だが。
「それには同意するわ。それと、説明はしてくれるのよね?」
「ああ、こいつは面白い機体だ」
珍しく、ヒュージが興奮している。
「ついには無視ですよ」
いじけた声がコクピットにむなしく響く。
「まぁまぁ、そう気を落とさないで」
「レイチェルを気にかけてくれるのは、アレックスだけですね。さすが、関係を持っただけのことはあります」
アレックスは無言で、制御パネルを操作し、電源を落とした。
待機ではなく、本電源を落とす。コンテナ内に静寂が訪れる。
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