23.ゴーラン騎士団の春と夏2~アルヴィン~
領主館の中庭でしばらく剣を合わせた後、休憩に入った二人だが、数分もせずに「もう少しやろう」とまた木剣を掴もうとするアルヴィンにデニスはあわてて声を掛けた。
「あのアルヴィン様、好みのタイプの女性は?」
話している間は訓練をしなくて済むので、なんとか時間稼ぎがしたいデニスである。
この一言にはさすがのアルヴィンも面食らった。
「唐突な質問だな」
確かにそうなのだが、デニスが以前から聞きたいと思っていたことだ。良い機会だからぜひ知りたい。
「今年のアルヴィン様はロビシアの町の祭りでバラの花のくじを引きました」
「それがどうしたか?」
「その話が色々なところに伝わったらしく、アルヴィン様の好みのタイプを聞かれることが増えました」
アルヴィンは眉をひそめる。
アルヴィンの母は美人で名高かった人なので、その息子のアルヴィンも顔立ちそのものは整っている。
だが父親に似た目つきのきつさの方に目が向くので、彼がそこそこの美男子であることはあまり知られていない。
「領主の妻は単純に私の好みで選んでいいものではなかろう? 第一、今はまだ私は結婚するべきではない」
「もちろん分かっておりますが、聞かれるんですよ。美人だとか胸が大きいとか何かありませんか?」
「まあ、それは、そうであるにこしたことはない」
アルヴィンはもごもごと肯定する。
「じゃあアルヴィン様の好みは美人で胸が大きい人ですか?」
「いや、それは願望であって、好みではない。そうだな……」
しばしの沈黙の後、アルヴィンは言った
「私が恋人に求めるのは、話があうことだ」
「はあ」
それを聞いてデニスは考えた。
控えめに思えるアルヴィンの条件だが、アルヴィンの興味は領地をいかに富ませるかと戦闘である。
どちらか一方ならギリギリなんとかなりそうだが、両方は……。
「いますかね、そんな人」
「いないから私は独身なのだと思う」
デニスはアルヴィンの答えに深く納得した。
「それはそうですね」
「では、鍛錬の続きをしよう。時間が惜しい」
***
ゴーラン領都ルツでは初夏に、騎馬戦、剣術などの腕を競い合う年に一度の武闘大会が開かれる。
領内の騎士や冒険者達、腕自慢がこぞって集まる大きな大会である。
領主はこの武闘大会を必ず観戦し、時には自ら大会に参加することもあった。
良い戦いをすれば領主の目にとまり、取り立てられる。
さらに大会で優勝した者には領主から何でも一つ願い事を叶えてもらえる。もちろん犯罪行為は却下だし、領の不利益になることも認められないが、通常なら受け入れてもらえない願い事も考慮してもらえる。
大抵は騎士団の希望の隊に入隊したいとか、想いあっている娘の両親に結婚を口添えして欲しいだのという良識的な願いだったが、八年前の大会から状況は一変した。
それまでも決して不真面目な気持ちで大会に臨む者はいなかったが、今では参加の騎士全員が必死に勝ちを狙ってくる。
八年前――。
その年の決勝戦は、十九歳の若き領主アルヴィンと六番隊隊長サミュエル・ドネリーの一騎打ちで、この時アルヴィンはサミュエルに敗れた。
サミュエルは報償に、「砦勤務の赴任免除を」と願い出て、サミュエルの隊はその年の砦勤務を回避した。
砦というのは、ゴーラン領と隣国の国境沿いの山の上にある騎士団の駐屯地だ。
国境地帯が一望出来るため、最も重要な拠点の一つなのだが、山の上で冬は寒い上に近所には村とも呼べない寂れた集落だけという場所柄、ゴーラン騎士団では誰もが恐れる不人気赴任地だった。
騎士団でローテーションを組み、一年単位の赴任形式でなんとか回している。
八年前といえば、その数年前に領主が暗殺され領内では混乱が続いていたものの新領主であるアルヴィンを中心に立て直しが完了した頃だ。
ゴタゴタの最中であればサミュエルも大人しく砦勤務を引き受けただろうが、軽口の一つも叩ける余裕が出来ていた。
サミュエルは騎士の中でも人並み外れた体格の持ち主で、厳つい顔も相まってついたあだ名は「熊」だった。
見た目もだが、サミュエルは熊のように素早く、熊のように獰猛に戦い、野生の勘に優れている。騎士団一の武芸者と名高い男だった。
当時、剣の技だけでいえばアルヴィンも騎士団で一、二を争うレベルにまで育っていたが、三十七歳と肉体的なピークは少々過ぎたものの、積み重ねた武人としての経験値がまったく違う。
戦いを制したのはサミュエルであった。
サミュエルの活躍を見て翌年から俄然張り切り出す騎士団員だったが、アルヴィンはその後無敗を守っている。
急な調整はめちゃくちゃに大変だったのだ。
仕方ないから『辛い』と誰もやりたがらない冬の当番は自ら隊長役を果たした。
砦で過ごした一冬は良い勉強になったが、二度とごめんである。
今年、サミュエルが隊長を務める隊に八年ぶりに砦勤務が回ってきた。
騎士団に隊は十六組あるが、団長の直属や特殊任務を負っている隊もあり、大体ローションは十年に一度ほどである。
隊により隊員の数や構成員は大きく異なり、サミュエルの六番隊は騎兵二百名の部隊だ。
砦の任期は夏の初めから翌年の夏の終わりまで。
夏の間、国境近くではよく山賊が出没する。
だから夏の間は二隊が交代で、見回りを行う。
既に任期が始まり一ヶ月、サミュエルの隊は砦で暮らしている。一ヶ月目といえば、砦のド田舎加減にうんざりしてきた頃だ。
武闘大会の出場は任意で、サミュエルは八年前のあの時以来出場してこなかった。
なのに、今年は参加を表明している。
「今年こそあの熊に負けるわけにはいかない」
アルヴィンはサミュエルの砦勤務辞退を阻止しようと今日も稽古に余念がない。
だがデニスとしては取り越し苦労じゃないかなとにらんでいる。
そこでこう言ってみた。
「ですがアルヴィン様、今年は事情が違います。サミュエル隊長も勤務辞退はしないでしょう」
隣国スロランの世情不安にかこつけて人身売買が横行していた。
スロラン国と隣り合っているのは南部で、このゴーラン地方はスロランと直接国境を接していないのだが、山越えを厭わねば案外に近く、なんとか歩いて行ける距離である。
組織は南部の道を抜けるが、その道はかなり険しく、子供達はかごに入れて人さらいが運ぶらしい。
子供が歩いて山越え出来る夏は、ゴーランを通るルートを使う。その方がたくさんの子供を売り飛ばすことが出来るからだ。
この人さらい達に対処するため、馬の扱いが上手く、荒っぽい仕事が得手のサミュエル隊が今年の夏の砦勤務に抜擢された。
こうした事情はサミュエルも承知だ。
サミュエルは自分の隊が適任という任務を断るような人物ではない。
情に厚くあの厳つい顔で子供好きなので人さらい達のことは人一倍憎んでいる。
それはこの重要な任務を任せた団長のアルヴィンの方がよく分かっているはずだ。
「もちろん彼のことは信頼している。だがあの男は何をしでかすか分からんからな。私が優勝出来ればそれが一番だ」
「はあ、まあそれはそうですね……」
アストラテート一族の中では、アルヴィンが一番の剣豪だ。
辺境伯は辺境の騎士団を指揮する立場だ。
このゴーラン領を束ねる武家の男児として鍛えられた上、領主になってからこっち、何度も暗殺されかかったので、あらゆるパターンの実戦を積んでいる。
デニスではサミュエルに勝てる気がしないので、ここはアルヴィンに頑張って貰うしかない。
大会当日。
八年前の再来が期待されていたが、サミュエルは四十五歳。対するアルヴィンは二十七歳。
十九歳の時はもう少し線の細いところがあったが、サミュエル程ではないにせよ、体格が良くなった。
精神面でも成長しており、落ち着いて周りをよく見ている。
前回は接戦になり焦ったところを一気に崩したが。
アルヴィンの戦いぶりを見ながら、サミュエルは頭をかく。
「どうも、つけいる隙はなさそうだなぁ」
その年の武闘大会は例年通り領主アルヴィンの優勝で幕を閉じた。
***
「残念だったな、サミュエル。勝たせてもらったぞ」
八年前の雪辱を果たしたアルヴィンは得意満面で負けたサミュエルに声を掛けたが、サミュエルはそれほど悔しそうではない。
「腕を上げましたな、アルヴィン様」
淡々とした表情でアルヴィンを褒めた。
アルヴィンは眉を上げる。
「なんだ余裕だな」
「余裕なんざありませんよ。完敗です」
サミュエル隊の若手騎士は砦勤務継続を悲しんだが、サミュエル個人はそうでもない。
激務だがいい経験になるし、やりがいのある仕事である。
デニスの読み通り、万一アルヴィンに勝てても、サミュエルは今年の砦勤務を続けるつもりだった。
今人さらいの組織に対し、ゴーラン騎士団に出来るのは、水際での摘発しかなかった。
それならサミュエルの隊が一番の適役だ。
アルヴィンに対しても自分の弟子のような気分なので、その成長は素直に嬉しかった。
「しばらく見ない間にフースの町も賑やかになって驚きました」
既に砦に赴任しているサミュエルは話題を変える。
「ああ、あの辺りはダンジョンもある上、隣国との行き来も盛んだからな」
「そうですね」
相づちを打ちながら、サミュエルの脳裏によぎるのは、そのフースの町から五キロほど離れた農家のことだ。
料理上手の、「訳あり」女性が一人で暮らしている。
四十歳を過ぎたサミュエルから見れば十分に若いが、一般的にはそれほど若くない二十代半ばの独身女性だ。
一、二回休憩に寄らせてもらったが、世慣れているように見えて世間知らずなおかしな印象を受けた。
魔法が使え、少々武芸をたしなんでいるようだが、歴戦の猛者サミュエルの目から見れば、どちらも大した腕前ではない。
若い女性の一人暮らしなので、サミュエルは「気ぃ付けてやらんと」と思っている。
出来れば隊の若手と恋に落ちてくれればいいなとうっすら考えているが、積極的にお節介を焼くつもりはない。
その女性――リーディアに結婚願望はまったくなさそうだからだ。
彼女は辛い経験をし、『何か』から逃げてきたのだろう。
ゆったりとした田舎の一人暮らしを楽しんでいるようだ。
「……?」
アルヴィンは怪訝そうな顔でこっちを見ている。
そういえば彼女とアルヴィンは……。
「同じ歳くらいか」
サミュエルはなんとはなしに呟いた。
「なんだ?」
と聞き返されたが、サミュエルは長い付き合いなので、アルヴィンが女性嫌いなのを知っている。
わざわざ話題にすることではないので、
「何でもありません」
と軽く手を振って煙に巻いた。






