17.辺境のトイレにはスライムが住んでいる
トイレ事情が出てきます。お食事中の方は注意。
今から数年前、まだ私がセントラルの魔法騎士だった頃、遠征中に怪我人が出て人手が足りず、近くの町の医者に応援を頼んだことがあった。
そいつがギルバート・マラコイだ。
だがこの男、初歩の回復魔法が使えるだけで、医者としての最低限の知識もなかった。
一言で言うとヤブ医者で、よくよく調べると彼の患者の中には間違った処置をされて手遅れになりそうだった者が結構いた。
初級の回復魔法は便利だが決して万能ではなく、骨折を伴うような大きな怪我や難しい病気を一回の魔法で癒やす力はない。使い方には相応の知識がいるのだ。
魔蜂のようにかえって治療の妨げになる場合さえある。
セントラル騎士団の告発により、ギルバート・マラコイは医者を辞め、町を出て行く羽目になったが、罪には問われなかった。
我が国では医療行為を行うのに資格は必要ない。
経験不足ではあるが故意に患者を傷つけた訳ではない上、ギルバートは美貌の持ち主で町の権力者の妻に気に入られていた。
彼らの嘆願が通り、それ以上の追求は出来なかったのだ。
最近この町にやってきたロジャーの話はギルバート・マラコイを彷彿とさせた。
いずれバレるが、バレたら立ち去り、次の町で同じことを繰り返す。大迷惑なのに、罪には問えない。
しかしここゴーラン領で医者を名乗るには所定の試験を合格するか、領内の医者二名の推薦状が必要だ。
ロジャーの腕前では試験に合格出来まい。だとすれば推薦状で医者になる方法しかないが、彼に対して推薦状を書く医者がいるだろうか?
この予測はどんぴしゃで、一枚は本物の医者が書いたものだったが、この医者の娘とロジャーは恋仲で、医者はロジャーの腕前には疑問があったが娘の頼みで推薦状を渡してしまったそうだ。もう一枚はそれを真似て作った偽造品だ。
これが決め手でロジャーは逮捕された。
よく似た手口を使う奴もいるものだなと思っていたら、ロジャーはギルバート・マラコイ本人だった。彼の年齢は私より年上で今年三十歳。
顔だけはいい男なので、若作りして女性を騙していたらしい。
幸いにしてフースの町は冒険者が多いので、町にもう一つ大きな病院がある。ロジャーに雑な治療をされていた患者もそちらで引き取ってくれるというから、一安心だ。
今回の件はジェリーから騎士団に通報したのだが、その際私の名前は出さないでもらった。
「アンタさん、それでいいんかい?」
何度も聞かれたが、面倒に巻き込まれるのはごめんである。
「静かに暮らしたいんで、そうしてもらえると助かります」
と頼んだ。
「だがうちのライアンの治療費だけは受け取ってくれ」
ジェリーはそこだけは譲らない。
とはいえ、私は初級の回復魔法を使えるだけで医者ではない。魔法使い養成所で必要な知識を、騎士団で実践を積んだのでそこそこのことは出来るが、本業ではないので金銭を受け取るのは若干抵抗があった。
そこで我が家の風呂を直すの手伝って貰うことにした。
実は我が家には私が普段使っている家族用の小さな浴室と、もう一つ五人くらいいっぺんに入れそうな大きな風呂があった。
この家にまだ大勢の人がいた頃に使われていたようだが、大きな風呂というのは水を入れるにもそれを湧かすのも風呂掃除も大変なのでここ数年放置されていたようだ。
壁のタイルが剥がれ落ちていて修繕しないと使い物にならない。
最近は人が立ち寄ったり泊まったりすることも増えたので、直せるなら使いたかった。
大風呂の修理をジェリー達に頼むと二つ返事で引き受けてくれた。
ライアンは元ダンジョンの技師で、ダンジョン内の魔物の数や種類、ダンジョン内の地図などを作るのが役目だそうだ。業務の一環で、ダンジョン内の施設の補修もする。
「ダンジョン内の施設って何ですか?」
我が家に来て器用に壁にタイルを貼るライアンに尋ねると、
「階段や縄梯子や吊り橋などのことです。これらは冒険者ギルドが設置するんですよ」
と教えてくれた。
「へー」
「規模が大きい改修や設営では大工仕事が出来る冒険者を雇いますが、簡単な修繕くらいなら見回りのついでに僕らがやるんです。ダンジョン内の何でも屋ってところですね」
世の中いろんな職業があるものだな。
ダンジョンには縁がなかったので、こうした仕事があるのも知らなかった。
ダンジョンがあるゴーラン領ならではといえば、この地のトイレにはスライムが住んでいる。
最初は「聞き間違いか?」と思ったが、あの魔物のスライムが各ご家庭のトイレに本当に住んでいる。
スライムはダンジョンに生息するゼリー・粘液状の魔物のことだ。動きは鈍く、攻撃力生命力共に高くないが繁殖力は旺盛。下級魔物の代名詞のような存在だ。
彼らは何でも食らうため、ダンジョン内の掃除屋としても有名だった。
その習性を利用してゴーラン地方ではトイレにスライムを飼うらしい。
スライムは弱い魔物なので従属させる必要はなく、餌さえあれば十年近く生きる。
王都でも、私の生家の周辺でも魔物を飼うなんていう習慣はなかったのでものすごく驚いたが、百年ほど前までは王国のどこでも見られる普通の光景だったそうだ。
ゴーラン地方は上水はあっても下水はあまりないので、資料から見ると「下水が整っていない遅れた地域」となるのだが、実際はその逆でスライムが汚物を食べてくれるので、下水は必要ないらしい。
ゴーランではどの町のトイレも綺麗だ。
そうと聞くと今度はスライムが増えすぎたりしないのかと心配になったが、ダンジョン外は魔素が少ないため、多くのエネルギーを必要とする増殖や繁殖はよほど条件が整わない限り出来ない。
むしろ魔素の代わりに食べる餌がないとすぐに死んでしまうので、町のモンスター屋にはダンジョンから採ってきたスライムが瓶に入って売っている。
もちろん我が家にも住んでおり、私が引っ越してきた時、一ヶ月くらい食事をしてなかったスライムはちょっと干からびかけていた。
あわてて野菜くずと馬糞と牛糞をあげ、今は我が家のトイレで元気に暮らしている。
ダンジョンでは凶暴なスライムもダンジョン外では大人しく、自分より大きな生物に戦いを挑んだりしない。
ただ稀に子猫や妖精のような小さく弱い生き物を襲うことがあるので、私は我が家のスライムをテイムし、「攻撃されない限り生き物を襲わない」と制約をかけた。
襲われなくなって安心したのか、ブラウニー達はよくトイレ下に潜り込み、スライムの様子を見に行っている。
どうでもいいが、妖精ってトイレはどうしているのだろう?
ある日、灰色のブラウニーに声をかけられた。
「ねえ、リーディア、これ」
と彼の小さな手のひらに水色をした水滴みたいなのが載っている。
「何かな?」
「スライムが出したんだ。『スライムの涙』」
「ああ、これが『スライムの涙』か」
スライムはごくごく稀に水色の水滴のような物質を分泌する。
『スライムの涙』と呼ばれ、畑や森にまけば肥料に、生き物が飲めば滋養薬になるという。
「リーディアのスライムだから、リーディアが飲みなよ」
「えー」
『スライムの涙』なんて呼ばれているが、どう考えてもスライムの排泄物。しかも原料はちょっと言いたくないアレ。
非常に貴重なもので魔法薬の原料として珍重されているらしいが、飲みたくない。
人として。
躊躇していると、灰色のブラウニーが、
「じゃあ、僕、これ、もらっていい?」
と言い出した。
「いいよ。でも何に使うんだい?」
「森にまくんだよ。そうしたら森が喜んで、いいきのこや木の実がたくさん生えてくるんだ」
ブラウニーはにっこり笑い、私もにっこり笑う。
「ああ、そりゃあ、いいね」
「楽しみだね」
今から秋が待ち遠しい。






