16.野菜チップス
本格的な夏が到来すると、畑の野菜は驚きのスピードで成長を始めた。
トマトみたいな誰もが好きな野菜はいいんだが、ズッキーニやナス、ケールなど食感や匂いが独特なものは少年達も好まず、食べきれない。
こういう時は薄切りにして天日に干し、干し野菜にして保存する。野菜をスライスしながらふと思いついた。
「あ、野菜チップスを作ろう」――と。
野菜を薄切りにした後、オリーブオイルと塩胡椒で和え、焦がさないようにオーブンで焼く。
もらったレモンを搾ってかけると出来上がり。
これなら少年達もよく食べた。
一番人気は、意外にも生食不人気ナンバーワンのケールだった。チップスにすると、葉っぱがバリパリになり、あの癖のある苦みが後引く美味しさに変化する。
野菜チップスを食べながら、「あー、ビール飲みたいなー」と思った。
考え始めるといてもたってもいられなくなり、町にビールを買いに行くことにした。
持ち帰り用の樽詰めビールは市場でも買えるが酒場でも売っている。
たまにはいいだろうと、私は酒場に入った。
フースの町の酒場に入るのは初めてだ。
人のことを言えた義理ではないのだが、真っ昼間なのに店内には案外、客がいる。
この時間は比較的時間の融通が利く冒険者が多いようだ。
数名だが女性客もいて、女一人の私も悪目立ちしなくてすんだ。
片目にアイパッチをしたバーテンにオーダーする。
「ビールを一杯。持ち帰り用に小樽も一つ」
「へい」
酒をもらい、しばらくカウンターの隅でビールをちまちま飲みながら、客の話を聞いていた。
情報収集するのに酒場は最適な場所だ。
町の医者が老衰で亡くなって新しくやってきた若い男性の医者が甘いマスクの優男であるとか、領都の武闘大会で領主が優勝したとか。
話題のほとんどはフースの町やせいぜいゴーラン領内のことだ。
領主主催の武闘大会で領主が優勝するのはおかしな気がするが、理由を聞いて納得した。
国境近くの山にあるゴーラン騎士団の駐屯地をこの辺りでは砦と呼んでいる。
砦は山の上という大変へんぴな場所に建てられており、なんでそんな不便な場所にあるかというと、見張り台の役目を負っているからだ。
山の上なので冬はとにかく寒く、近くには小さな村が一つと娯楽もない。ゴーラン騎士団随一の不人気職場らしく、持ち回りで赴任することになっているが、皆それを回避したくてたまらない。
故に武闘大会の報償として赴任免除を望むらしい。
だが団長である領主は若かりし頃に一度負けただけで、ここ数年はずっと無敗だそうだ。
ゴーラン騎士団団長が剣の達人であるという噂は私も耳にした。
「騎士の剣の腕前」は「貴族令嬢の肖像画」並に盛っていることがあるのであまり鵜呑みに出来ないんだが、これは本当のことみたいだな。
領主の方もローテーションが狂うと大事なので毎回必死で優勝を死守するらしい。
本人達は大変なのだろうが、ゴーラン領は平和そうだ。
中央部に大きな動きがあれば、辺境も無関係ではいられない。
国を揺るがすような災害や政変がないという証なので、私はホッとした。
それより。
「…………」
酒場の客を見回し、気になることがあった。
咳き込んだり、包帯を巻いたりと、ちょっとした体の不調を抱えている者が多い。
そして最近やってきた若い医者。
二つを合わせると、私がかつて騎士団に所属していた頃の「とある事件」を思い起こさせるが、あれから数年経っている。ただの偶然だろう。
一杯飲み干し、次に向かったのはいつもの貸本屋だ。
「…………」
そこで見た光景に私は眉をひそめた。
ジェリーの助手はライアンという私より一、二歳年下の男性だが、片足が不自由だ。
チラリと聞いた話だと、かつてはダンジョンで技師の仕事をしていたが、足を痛めて引退し、貸本屋の助手になったそうだ。
走ったりは出来ないが、重たい本を抱えて歩ける程度の障害だったはずなのに、今日のライアンは動かしづらそうに足を引きずっていた。
「ああ、リーディアさん、こんにちは」
彼は私を見てにこやかに挨拶するが、それどころじゃない。
「ライアンさん、足、どうしたんですか?」
「ああ、これですか? 少し前から急に動かなくなってきてしまって……」
「いつからです?」
「えっ、そうですね、二ヶ月ほどでしょうか」
「医者にはかかってます?」
「はい、もちろんです。ロジャーという最近町にやってきた先生で、回復魔法が使えるんですよ」
「回復魔法が使える医者……」
頭によぎるのはかつて見た男の顔だ。
やっぱりあいつか?
いや、詮索よりライアンの足を治すのが先だ。
左右を見回すと店内に客の姿はない。好都合だ。
「ライアンさん、その足、私が治していいですか?」
「え、リーディアさんがですか?」
ライアンは目を丸くする。
「はい、少しだけですが回復魔法が使えるんです」
ライアンは肩を落とす。
「僕、その先生から回復魔法をかけてもらっているんですよ。でも僕は魔法の効きが悪いそうで、せっかくリーディアさんに回復魔法をかけてもらっても無駄になってしまうかもしれません」
彼は恐縮して断ってきた。
確かに魔法の効き目が弱い人はいる。
だがライアンの場合はおそらく違う。
「そう言わずに、駄目で元々。試しにやってみませんか?」
強く説得するとライアンは了承する。
「では、お願いします」
私はライアンの足に手を当てた。患部は足の膝関節の少し上だ。
人によって感じ方は違うんだが、私の場合、具合の良くない場所は冷たく黒いもやがかかって見える。
「これ、魔蜂にやられましたね」
私の問いにライアンは頷いた。
「はい、ダンジョン内で襲われました」
魔蜂はダンジョンに生息する蜂だ。致死性の毒を持っていて早く毒消しで治療しないと命に関わる。
昔はよくその毒で人が亡くなったそうだが、魔蜂の蜜から採れる毒消しが普及するようになり、対処さえ誤らねば怖くない。
今は毒以上に恐れられているのが、魔蜂の毒の中に含まれる麻痺の効果だ。これは死ぬことはないんだが、症状が長引くのが特徴だ。
「魔蜂に刺されてから一年経ってます?」
「はい」
「じゃあ大丈夫かな? 前の先生はしびれ取りの薬を処方していたんじゃないですか?」
ライアンは目を見張る。
「リーディアさん、よくご存じですね」
「前に魔蜂に刺された症例を診たことがあります。中級以上の強い回復魔法なら一発で治りますが、初級の回復魔法をかけるのはかえって危険なんです」
「えっ、そうだったんですか?」
「魔蜂の分泌液には魔法の作用を高める効果があって、刺されて一年間は初級の回復魔法や回復効果のある魔法薬を使うと逆に麻痺状態が悪化することがあるんです。だから最初の一年はしびれ取りで麻痺が広がらないようにして二年目から根治を目指して積極治療を開始します」
ライアンの場合は治療の途中でしびれ取りの薬を飲まなくなったため、麻痺がひどくなってしまった。
「ああ、老先生からもそう説明されました。ですが……」
「が?」
「ロジャー先生は回復魔法なら何でも治せるからと」
ちっ、ド素人めが!
思わず私は顔をしかめた。
いかん、これから回復魔法をかけるというのに、心が乱れてしまった。
まず抗麻痺の魔法をかけてしびれを取りのぞき、次に回復魔法をかけた。
初級の回復魔法では抗麻痺の効果は薄い。だから魔蜂治療では抗麻痺の魔法と回復魔法は必ずセットにして使うのが基本だ。
「はい、終わりましたよ」
「驚いた。すごく良くなりましたよ」
ライアンは何度も足を曲げ伸ばししている。
「自在に動くし、羽が生えたみたいに軽くなりました。治りましたよ! リーディアさん! ありがとうございます!」
思わずという感じで手を握られ、礼を言われたが、私はあわてて否定した。
「治ってません。少量ですがまだ体内に毒が残っている状態です。あと十回くらい治療しないと治りません」
「そうなんですか?」
「はい、私の力では一発では無理です」
と私が答えたその時、
「うおーい」
と外から声が聞こえてきた。
「ライアンー、ゆっくりでええからこっち来てドアを開けとくれ」
ジェリーが帰ってきたようだ。
「はい、ただいま」
ライアンがスタスタと玄関に駆け寄り、ドアを開けると両手一杯に本を抱えたジェリーが立っていた。
「ああ、こりゃ大変だ」
ライアンがジェリーの手から本を受け取る。
ジェリーはライアンを驚いたように見つめた。
「ライアン、足が……」
ライアンは嬉しそうに頷く。
「はい。リーディアさんに治してもらいました」
「良かった……、本当に良かった。このまま歩けなくなるのかとわしは心配で……」
ジェリーは泣き出してしまう。ライアンはそんなジェリーの背中を優しく撫でている。
「大丈夫ですよ、おじさん」
「あのー、お話中申し訳ないですが、私の腕前では完治にあと十回はかかります」
これは怪我する前からなんだが、私は回復魔法の使い手としてはあまり才能がないのだ。
「逆に十回リーディアさんに治療してもらえれば治るのか?」
とジェリーに聞かれた。
「そうですね。前の先生がしっかりしびれを取り除いてくれてましたから、そのくらいで完治すると思いますよ」
「リーディアさん、金なら払う。どうか甥っ子の足を治してくれ」
深々ジェリーに頭を下げられた。
ああ、ライアンはジェリーの甥か。そりゃ心配だったろう。
「いえいえ、お代は結構……いや、一つお願いが」
「なんだ? 何でも言ってくれ」
「ヤブ医者を一人牢屋にぶち込みたいんですが、お手伝いいただけますか?」






