14.ゴーラン騎士団の蹄鉄
近所の青年は心底驚いた様子で「ひゅっ」と小さく笛のような悲鳴を上げた。
だから言ったのに……。
それを横目に私は来訪者に声を掛ける。
「はい、何かご用ですか?」
やってきたのは黒い騎士服の男性三名だ。
真ん中に立つ一行の隊長らしい騎士は熊みたいな大男だった。口調は乱暴だがどこか親しみやすい声色で、彼は問いかけてきた。
「主はいるかい?」
「私です」
答えると、彼は「あんたが?」と目を見張る。
「はい」
熊男は短く刈り込んだ濃茶色の頭をぽんと叩いた。
「こりゃ驚いた。あんたみたいな若ぇお嬢さんとはな」
もうすぐ二十七歳の私を『お嬢さん』と呼ぶ熊男は推定四十五歳というところだ。
「ご用件は?」
「ああ、暑くて馬がバテてるんだ。ちいと休ませてもらえないか?」
「構いませんよ。馬小屋は自由に使って下さい。ただ奥が牧草地になっていて、そっちに牝馬がいるので……」
「そんなら牝馬はそっちにやっていいかい?」
「はい、木陰もありますんでどうぞ」
牝馬と牡馬は一緒にすると喧嘩をすることがある。
もうちょっと正確に言うと牡馬が気に入った牝馬にモーションをかける。ものすごく気に入ると色々すっ飛ばして繁殖行動しようと試みる。
すると牝馬の方が反撃して喧嘩になる。
我が家の馬、オリビアはかなり美人な上に気が強いのでよく喧嘩になるのだ。
分けられるスペースがあるなら、牝馬と牡馬は離して休ませる。
「よろしければその間、あなた方も休憩なさって下さい」
声を掛けると熊男は青年を流し見た。
「そうしてもらえりゃあ助かるが、彼はいいのかい?」
がたいのいい男の視線に、青年はばつの悪そうな顔でちぢこまる。
「彼は近所の青年です。もう帰るところですからお気になさらず」
「ハ、ハイ……ソウデス」
蚊の鳴くような声で言うと、彼はさっと逃げ出した。
熊男は青年が出て行くのを見つめ、その後、私に問いかけた。
「あんたの旦那じゃねぇのか?」
「違います。助かりました」
殴って追い出す前に穏便に出て行ってくれて良かった。
「今、お水をお持ちしましょう。何人いらっしゃいますか?」
「十二名だ。おい、皆、入れ」
熊男は玄関に向かって怒鳴る。
「ういーす」
外で許可が下りるのを待っていた騎士達がゾロゾロと入ってくる。
総勢十名。二名足りないのは、馬の世話役だろう。
冷たい水が入ったコップを配ると彼らは旨そうに飲み干した。
今頃馬も水をもらっているところだろう。
ピッチャーにおかわりの水を持っていくと、一人の若い騎士がもじもじと話しかけてくる。
「あのさ、お姉さん」
「はい」
「いい匂いがするよね。何か作ってるの?」
「ああ、これはビーフシチューですよ」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
一瞬後で、
「ビーフシチュー……」
「いいな」
「いい匂いだな……」
「そろそろ昼だもんな」
「腹減った」
「食いたい……」
とさざ波のようなつぶやきが、漏れる。
仕事中に知らん家で飲み食いするのは上官がいい顔しないので、彼らの声は控えめだ。
そして怒られないように注意しながら、チラチラと熊男の顔色を伺った。
「よろしければ、召し上がります?」
私が熊男に尋ねたのは、社交辞令みたいなものだ。
返事は「いいや、結構」の一択だと思ったが、熊男は言った。
「いいのかい?」
少々戸惑ったのは事実だが、嫌ではない。
「もちろんですよ。素人の家庭料理ですが、たっぷり作ったんで、遠慮なさらず食べていってください」
昨日出来上がったビーフシチューは大成功で、本当に美味しかった。
「もうこれ、店に出せるんじゃないかな?」と一人悦に入ったが、昨日の昼晩そして今日の朝。
さすがに食べ飽きてきた。
彼らは実にちょうどいいタイミングにやってきたのだ。
「じゃあご馳走になろう」
熊男がそう言った瞬間、
「うおーっ、やったー!」
男達の雄叫びが食堂に響き渡る。
「うるせえ! 静かにしろ!」
騎士達は熊男に秒で怒られた。
ビーフシチューに、それだけだと栄養偏りそうだからそらまめやピーマン、レタス、トマトなど畑で採れた野菜のサラダ。それに自家製ライ麦パンを添えて出す。
ライ麦パンのお味は普通である。
普通というのはなんと素晴らしいことだろうか。
変な匂いもせず、ボソボソでもなく、粘土みたいでもないのだ。
それにしても肉体労働の騎士職らしい、気持ちの良い食いっぷりだ。
あっというまに皿が空になり、一人の騎士がおずおずと、
「あの、おかわりってあります?」
とおかわりをねだってきた。
「ああ、まだありますよ」と答えると、
「俺も」
「あの、俺も」
「すみません、俺も」
と大合唱になった。
ついこの間、見たな、この光景。
「あー、おわかりは一人一杯ずつありますよ。召し上がる人は挙手願います」
全員が挙手した。
熊男、あんたもか。
かわいそうなので馬番の二人の分は避けて、おかわりをよそった。
だが付け合わせのパンがもうない。
ライ麦パンは日持ちがするのでまとめて焼いたのに、ない。
仕方ないから馬番二人の分はピザを焼いてあげよう。これならすぐに出来る。
厨房にこもってピザを焼いていると、
「あのう、姉さん」
と食堂から声を掛けられた。
「何か?」
「いい匂いするんですが……何作ってるんですか?」
「ピザですよ。パンの代わりだから具がないやつ」
「ピザ」
「焼きたて」
「うまそう」
とまたざわめきが巻き起こる。
「ちょっとでいいんで、俺も食べたいです」
「うん、俺も」
「余分に作ってもらえませんか?」
「お願いします」
「はあ、構いませんが……」
結論から言うと「ちょっと」ではすまなかった。
追加で焼いたチーズにサラミ、トマトを載せたピザをもりもり食べて、ついでにうちの蜂蜜漬けベリーをかけたヨーグルトを食い尽くした後、彼らはようやく満足したようだ。
「どうもすまない。こんなに食べさせてもらって」
出立前、熊男が恥ずかしそうに謝ってきた。
「いえいえ、美味しく食べて貰えて何よりです。お気になさらず」
備蓄はすっかり空になったが、あんなに美味しそうに食べてもらえれば本望だ。
「これを」
と熊男は銀貨二枚くれた。
「よろしいんで?」
「もちろんだ、食費の足しにしてくれ。それと礼と言っちゃあ何だが、これも受け取ってくれ」
と彼が取り出したのは、馬のひずめに付ける蹄鉄だ。
少し歪んでいるので新品ではなく摩耗した中古品と見たが、それは黒く塗られていた。
「これは?」
「ああ、知らねぇか。この蹄鉄はゴーラン騎士団のもんだ。俺達がよく立ち寄るという証で、この辺りの悪党や粋がった若いのには多少の効果がある。なるべく目のつくところに飾ってくれ。まあお守り程度のものだが、ないよりましなはずだ」
「はい、ありがとうございます」
さっきのやりとりを見て、心配してくれたようだ。
これであの青年も引いてくれるならそれに越したことはない。
「あのー」
我々を見ていた若い騎士が声を掛けてきた。
「じゃあ、俺達、またここに来ていいんですか?」
「ええ、いらしてください」
「やった!」
「本当に?」
若い騎士達がはしゃぐ。
「おい、調子に乗るな」
と熊男は一喝し、振り返って私に言った。
「でもいい味だ。料理屋でもすればいいのに」
「いえ、素人料理ですから、お金を頂けるものでは……」
「十分に旨いと思うがね」
「ありがとうございます」
「邪魔したな」
と騎士達は去って行った。






