13.緑の魔女の蜂蜜採り
蜂蜜採りは働き蜂が蜜を求め外に出ている午前中に行うのが良い。
私は『緑の魔女達』に書いてあった「自分自身に煙を纏わせる」という呪文をかけた。
蜂は煙を吹きかけられると大人しくなる習性があり、それを利用した魔法だ。
ほとんどの蜂は煙を浴びただけで大人しくなったが、もう一つ重ねて魔法を使う。
これも本にあった「蜂蜜採りの時に歌う」という呪歌だ。
弱い麻痺と沈静の魔法の組み合わせである。
歌っている間のみ効き目があるという後に作用が残らない魔法で、辺境地の魔法使い達が蜂を傷つけないよう細心の注意を払っていたのがうかがい知れる。素朴でいたわりに満ちた魔法だ。
蜂に刺されることなく無事に蜂蜜採りを終えると、声を掛けられた。
「おい、手伝うことはあるか?」
振り返るとブラウニー達が三人揃っている。
分け前を狙っているようだ。
「じゃあベリーをもいでくれ」
ラズベリーにブラックベリー、ブルーベリー、ベリー類は初夏の今から収穫期が始まる。生で食べるのもいいが、蜂蜜漬けにするのも美味しい。
「分かった」
と一人がさっと姿を消した。
「母屋の掃除をしてくれないか?一階と二階の床掃除」
「分かった」
とまた一人、姿を消す。
残った新参者のブラウニーが心細そうに私を見上げる。
「僕は?」
「君は荷物を持つのを手伝ってくれ」
持ってきた二つのバスケットの中には蜂蜜がみっしり詰まった瓶がいくつも入っていてかなり重たい。
私は大きなバスケットを、ブラウニーは小さなバスケットを抱えての帰り道、ブラウニーが私に尋ねる。
「ねえ、蜂蜜で何を作るの?」
「そうだね、ハニートーストや、蜂蜜の飴、ヨーグルトに入れてもいいし、砂糖の代わりにジャムを作ってもいいね」
甘い物好きなブラウニーは目を輝かせる。
「ハニーマスタードのチキンソテーや蜂蜜に鶏肉や豚肉を漬け込んでローストしてもいい。貯蔵庫の在庫を見て考えよう。それから今日はピザを焼こうと思うんだ」
「ピザ?」
「青カビのチーズを載せたピザに蜂蜜を掛けて食べるのさ。美味しそうだろう?」
ブラウニーは楽しげに笑った。
「うん、それは美味しそうだね」
***
楽しく農業に従事する毎日だが、はたと気づいた。
そういえば私はここに料理をしにきたのだ。
私は初心に戻ってビーフシチューを作ることにした。
まずはフォンドボー作りである。
フォンドボーの作り方は鶏骨が牛骨になっただけで鶏のフォンとほぼ同じなのだが、骨の大きさが全然違うのでまったく別の料理に思える。
まずだしが良く取れるようにのこぎりで牛の骨を挽くところからフォンドボー作りは始まる。
「はー、疲れた」
牛骨の中でも、フォンドボーに最も適しているのは大腿骨だそうだ。かなり大きいので手こずってしまったがなんとか骨をカットし、よく洗ってオーブンでじっくり焼く。
加えて牛すじをフライパンで炒める。
牛すじというのは腱の部分の肉のことで、堅い上に少々匂いが強く焼いて食べるには適してないが、よく煮込むとコクが出て柔らかくなるそうだ。
次に玉葱、人参、セロリなどの香味野菜を炒め、大鍋で牛骨、牛すじと共に煮る。
煮込みの時、ローリエやタイムを加えると香りが良くなる。
鶏のフォンは五時間程度だが、牛骨は灰汁を取りながら十二時間以上弱火で煮込む。
フォンドボーが出来上がったら、いよいよビーフシチュー作りを作る。
まず小麦粉に同量のバターを入れて弱火で炒める。これがビーフシチューのルーになる。小麦粉が茶色になったら出来上がり。
そしてまた牛骨をのこぎりで切る。
「は?」と思い、レシピを二度見したが、間違いない。
もう一回牛骨をオーブンで焼き、牛すじをフライパンで炒めるのだ。
同様に香味野菜も炒めるが、ここからが違う。
牛骨、牛すじ、香味野菜、そしてトマトとトマトピューレを入れ、水と同量のフォンドボーで焦げないように弱火で常にかき混ぜながら、煮る。一日五時間くらい。
さらに毎日鶏のフォン、香味野菜を加えながら五日間、この作業を繰り返す。
五日間煮込むと、骨以外の部分は完全に溶けてなくなる。これを濾したものがデミグラスソースである。
デミグラスソースが出来たら、ようやく最終工程、具の作成に入る。
塩コショウし赤ワインに漬け込んだ牛肉を鍋で肉の両面に焼き色を付く程度、炒める。フライパンで人参、玉葱、じゃがいもを炒め、鍋に入れ、肉を漬け込んだ赤ワインの汁も入れ、鶏のフォンを加え、二時間ほど煮込む。
そこにデミグラスソースを入れて少し煮詰めるとビーフシチューの完成である。
大変と言えば大変だが、鍋をかき混ぜる合間に、別の料理を作ったり、本を読んだり、掃除や片付けをしたりと、なかなか有意義に過ごせた。
キャロットラペや野菜を酢に漬けたピクルスや田舎風パテ、ラタトゥイユ。保存の利く料理を作れたのが良かった。
副菜作りは面倒くさいイメージがあったが、もう一品欲しい時や彩りに使え、かえって料理の手間が減る。
三ヶ月以上書く気になれなかった家族への手紙も書くことが出来た。
王都を出た時に一度、王都近くの町で両親と兄に退役を知らせる手紙を北に行くという旅の商人に託したきりだ。
旅の商人は手間賃を渡すと手紙を運んでくれる。
彼らは自分の目的地まで行くとそこで出会った別の商人に手紙を託す。運が良ければ受取人に届く。
騎士に許された軍用の輸送網を使えば確実だが、私はそうはしなかった。
ここに住んでからは場所を知られるのが嫌で手紙を出す気になれなかったが、ジェリーが自分の郵便物に混ぜて発送元を分からなくしてくれるというので、お言葉に甘えて手紙を書いた。
冒険者は私以上に『訳あり』な人間が多いのだろう。ジェリーは私に前職を尋ねてこない。
手紙には勝手をして申し訳ないと謝り、居場所は言えないが、穏やかに暮らしていると書いた。
……という内容の手紙を送った直後、今、私は猛烈にイラッとしている。
「なあなあリーディアさん」
と声を掛けてくるのは、近所の農家の甥っ子に当たる若者である。
せいぜい家庭内で消費する程度の収穫しかない我が家とは違い、彼らは本業の農家であるため、自分のところで作った野菜を売っている。
今日は家畜に食べさせるコーンを届けに来たのだ。我が家でもコーンは育ててるが、人間と妖精が食べる分が精一杯だ。
だがこの男、用があってもなくても我が家にくる。
「リーディアさん、いくつだっけ? 俺よりかなり上だよね」
そういうこの男は二十三歳と聞いた。
叔母さんに当たる農家のおかみさんが「王都に出て行った夫の兄の息子が職にあぶれたとかでこっちで面倒見てくれてって。二十三歳なのにふらふらして仕事出来なくて」と耳にたこができるくらい愚痴られたので彼の事情はよく分かっている。
田舎なのでプライバシーなどはない。
いや、考えてみれば都会にもそんなものは別になかった。王宮の人間は噂好きだ。
「まあ年上だね。ほら、もうお帰りください。油売っているとまた叔母さんに叱られますよ」
割とはっきり断っているんだが、ご近所なので「早く出て行け」とまでは言えない。
特に「お裾分け」なんていって野菜を持って来られると邪険に出来ない。
彼は玄関から入ってすぐの食堂に居座っている。私は料理したいがキッチンまで彼がついてくるのが嫌でここを動けない。
せっかくなんだから役に立つ農業話でも披露してくれたらいいのに、町の冒険者の馬鹿騒ぎや王都での自分の生活など、彼の話はどれもこれも非常につまらない。
酒場で乱闘したなんて、犯罪以外なにものでもないことを得意げに語られても返事のしようがない。迷惑だっただろうなと店に同情するだけだ。
武勇伝以上に声高に繰り返されるのが、私が『かなり年上』であること。本当にどうでもいい。
「リーディアさんさぁ、さっさと結婚した方がいいよ」
そんな助言もいらない。
「はあ、いい人がいたらね。私は仕事があるんで、さあ、お帰りください」
「いや、『いい人』ならいるじゃん」
「は? どこに?」
だらしなく座っていた青年が立ち上がり、小鼻を膨らませて私に近づいてくる。
「俺、リーディアさんのこと気に入ってるんだよね。アンタ、オバサンだけど美人だし、結婚してやってもいいぜ」
「…………」
「ここを即金で買ったらしいじゃん。金持ってるんでしょう?」
冗談じゃない。
いかに私が行き遅れでも、こんなの夫にするのはごめんこうむる。
というかもう、これ、殴って帰ってもらってもいいよな。
拳を握りしめた時、馬の足音が聞こえた。
私は「おや」と思い、耳をそばだてた。
集団で来てるな。
よく調教されて足並みが揃っている。こりゃ、軍隊だな。
国境に近いこの街道を騎士団の馬が通り過ぎるのは良くあることだが、家の近くで速度が落ちた。
「誰か来るんでお帰りを」
私は近所の青年に言ったが、彼は薄ら笑いで返してきた。
「またまたリーディアさん、はぐらかそうったってそうはいかないよ。一人で寂しいでしょう、特に夜なんか……」
だがバタンと扉が開いて、野太い声で問いかけられた。
「誰かいるかい?」






