03.フースの町の貸本屋1
備蓄が尽きてきたので、私は馬のオリビアと五キロ離れた町に買い出しに出かけることにした。
フースの町は我が国の最も西に位置する国境の町だ。
これより先は山に入るので、小さな村や集落しかない。
大体辺境地の大きな町は、街道からちょっと外れたところにあり、外敵の侵入を防ぐための壁に囲まれているものだが、フースの町は街道沿いにあった。街道沿いなので、壁はない。
西の隣国と我が国の関係が長らく落ち着いているせいだろう。
田舎町ながらなかなか栄えており、食料品が買える市場の他に、洋服や靴、雑貨の店もあり、大抵のものはここで揃う。
豆やナッツなどの乾物を扱う店に珈琲豆が並んでいたのは驚いた。
珈琲は外国からの輸入品で非常に高価なため、王都でも一般の店にはほとんど置いてないのだ。
早速買い求めると、
「えっ、買うのかい?」
と店主に驚かれた。
役場に偉い人が来た時用に置いてあるだけでそれ以外では滅多に売れないらしい。
確かにただいま無職の引退騎士には高い買い物なのだが、私の好物なのだ。このくらいの贅沢は許してもらおう。
珈琲豆を買うと、店主は豆を焙煎してくれた。
鍋を火に掛け、豆を丁寧に煎っている。
じーっと見ていると、
「煎りむらが出来ないようにまんべんなく煎るんだ」
店主はコツを教えてくれた。
焙煎のやり方によって味も変わるらしい。
そのうち私も生豆を買って自分で煎ってみたい。
学校や教会、役場、騎士団の詰め所、そして冒険者ギルドがあり、冒険者が使う町だからだろうか、宿屋や料理屋が数軒、病院や武器屋、道具屋に鍛冶屋なんかも充実している。
「おや、ここは――?」
買い出しの途中、とある店の軒先で私は立ち止まった。
一見ただの二階建ての民家のようだが、フースの町ではメインストリートに当たる街道沿いに面している。
なにより本屋を示す、開いた本の形の看板が掛かっていた。
やっぱり、本屋だろう。
調べたいことや読みたい本があったので、私は中に入ることにした。
店内に入った私は周りを見回し、思わず呟いた。
「ここ、本屋だよなぁ……」
中は小金持ちの邸宅という感じだ。
しばしどう見ても玄関ホールという場所に立ちすくんでいたが、店員がやって来る気配はなく、私は次の部屋に続くドアを開けた。
部屋には壁一面にずらりと本が並んでいて、大きな書架がいくつもある。
まごうことなく本屋だった。そしてなかなかの品揃えである。
「いらっしゃい」
声をかけられて振り返ると、カウンターの向こうに初老の男がひっそりと座っていた。
「見覚えがない人だね。会員になりに来たのかい?」
「会員?」
「ここは貸本屋なんだ」
「貸本屋?」
最初は気さくに話しかけてきた男性だったが、話しているうちにだんだん怪訝そうな表情になっていく。
「貸本屋を知らないのか? 本屋だよ」
「本屋は知っていますが、貸本屋というのは?」
「貸本屋を知らないのかい? この辺りは本屋と言えば貸本屋なんだよ」
「ああ、そうなんですか」
「……アンタ、見かけないけど、田舎から来たのかい?」
すっかり不審者を見る目つきで男性は尋ねてきた。
「いえ、王都です」
「王都か。あそこにも貸本屋はたくさんあるはずだがね。本を読みに貸本屋に行ったことはなかったのかい?」
「本は王立図書館で読んでいました。買う時は本屋が行商に来るのでそこから買ったり、出入りの商人に注文したり……」
素性がバレそうなことは誤魔化すつもりでいたのに、驚きのあまり私は素直に答えてしまった。
男は感心した様子で私を見る。
「王立図書館に入れたのか、そりゃ貸本屋には行かないな」
王立図書館は貴族と王宮の官吏、あとは紹介状を持つ者しか入館が許されない国で一番大きな図書館だ。
王宮魔法騎士は図書館に出入り自由だったので、本が読みたければ王立図書館に行けばよかった。
そこにない本や手に入れたい本は騎士団に出入りする本屋か商会に頼めば手に入れてもらえる。
稀に王都の本屋に行くことはあったが、貸本屋に来たのはこれが初めてだ。
男性の説明によると貸本屋は有料の図書館のようなものらしい。会費を払って会員になればここの本を読むことが出来るようになるそうだ。
「二階の部屋も好きに使っていい」
そういえば玄関に階段があった。あの上が本を読むための部屋になっているらしい。
一人部屋もあれば、数人で使える会議室のような部屋もあるという。
「会員同士の交流も盛んで、詩の朗読会とか本の感想を言い合う読書感想会なんていう集まりもある」
「へー」
「貸出料を出せば貸し出しも出来る」
「ああ、それはありがたい」
「ただ、貸出料は結構掛かるぞ。返却の時に返金するが、なくしても破損しても弁償してもらう」
それはそんなものだろう。私は納得した。
「町に住んでいないので会員の交流会には参加出来なそうなんですが、会員になれますか?」
「交流会の参加は任意だからそりゃかまわんさ。金さえ払ってくれれば誰だって会員になれる」
「あの、ちなみにこの町に図書館は?」
男性は首を横に振る。
「ないね。役場の談話室と子供達の学校に読み物コーナーが少しあるくらいだ」
本はかなり高価なので庶民には手が出ない。だが貸本屋なら所有は出来ないが、たくさんの本を比較的安価に読むことが出来る。
残念ながら我が国は識字率がそう高くないので、読み書き出来る者はそれなりの知識人だけだ。
貸本屋はそうした人々の交流の場所も兼ねているらしい。
私は貸本屋の会員になった。
ちなみに本はリクエストすれば可能な限り仕入れてくれるそうだ。さらに買いたい本があれば取り寄せてくれるらしいから、機会があれば利用したい。
貸本屋の主はジェリーと名乗った。
「ところで、アンタさん、どんな本を読みに来たんだ?」
「読みたいのは料理の本ですが、それより調べたいことがあって」
「なんだ?」
「小麦の収穫についての本です」
「小麦の収穫?」
「はい、いつ収穫すればいいのか、どうやって収穫すればいいかとかそういうことが書いてある本があれば読みたいです」
「…………」
ジュリーは沈黙した。
しばらくして彼は、「そんな本はない」と首を横に振った。
「ないんですか?」
「ないね。少なくともうちにはない。小麦の収穫なんてあれだ。小麦が黄色になったらだよ。そんなのわざわざ本で読むようなもんじゃないだろう」
「そうなんですか?」
「ああ、農家なら誰だって知っている」
ところが私は農家ではないので全く知らないのだ。
「そもそもなんで小麦を収穫したいんだ?」
「買った家に小麦が植えられていたんで時期が来れば刈り取りたいなーと思いまして」
小麦の収穫は晩春から夏と聞いている。あと一、二ヶ月もすれば収穫時期なはずだ。
「買った家?」
何か引っかかったのか、ジェリーが尋ねてきた。
「ええ、ここから五キロほど離れたところにある農家を最近買ったんです」
「ああ、アンタさんが『楡の木』を買ったんか」
「ニレの木?」
「あの家は大きな楡の木があるだろう、だから『楡の木』と呼ばれていた」
ジュリーは少々感慨深げだ。
彼はあの家の前の住人を知っているのだろう。
「そうなんですか……」
「リーディアさん、だったか? アンタ、木こりやきのこを採りのためにあの家を買ったのかい?」
木こりやきのこ採りとは?
質問の意味が分からない。
私は一体何を聞かれているのか?
「いえ、どっちもする気はないです」
若干引きながら、私は答えた。
近世の本屋さんは大体貸本屋さんだったそうです。ディズニー映画『美女と野獣』に出てきたのも貸本屋さん。もし中世の田舎町に本屋があるなら貸本屋だろうなと考えて書きました。






