12.幸福なキス1
私達のゴーランへの帰還はそれから三ヶ月後、フィリップ様の戴冠式を見届け、王都が落ち着きを取り戻した頃だった。
その間に多くの者の裁判が行われ、ある者は服役し、殺人などの重大な罪を犯した者は処刑された。
宰相や副団長も既にこの世にいない。
王妃は裁判を受けることなく、獄中で衰弱死した。
最後まで王を、フィリップ様を、アルヴィンを、この世の全てを呪いながら死んだという。これを聞いて私は悪人というのは自分が悪かったとは思わないものだなとむしろ感心した。
王妃の犯した凶悪な犯罪、王の突然の退位に衝撃を受けた者は多かったが、元々人気が高かった王子フィリップ様の戴冠は広く国民に歓迎された。
まだまだ問題は山積みだが、それでも我が国は少しずつ良い方向に動き出しているのだと思う。
想定よりは大きな混乱はなく、ギール家は解体された。
いや、アルヴィンが恐ろしい敏腕ぶりを発揮し、なんとかした。
多くの人々、それにフィリップ様からも「ぜび宰相に」と望まれたが、アルヴィンは絶対に首を縦に振らなかった。
私もアルヴィンには王都の宰相より、ゴーランの暮らしが似合っていると思う。
季節はもう春で、ゴーランが一番美しい季節だ。領民達も領主アルヴィンの帰りを待ちかねていることだろう。
私達はゴーランに帰ることにした。
フィリップ様からは「しばらく私を助けて欲しい」と引き留められたが、「このままここにいると宰相にされる」というアルヴィンの危機感は正しいと思う。
三カ月以上王都に滞在していたので、出立の準備も大わらわだ。ほとんどの兵が既にゴーランに帰還済みだが、アルヴィンの側近や直参の騎士など二百名あまりがまだ残っている。ノアやバンシーも一緒だ。
フィリップ様とノアは身分を超えた友情を育んでいるように見える。ノアはきっとフィリップ様の治世を支える者の一人となるだろう。
そんな慌ただしい時期だったが、アルヴィンは
「帰る前にどこかに一緒に出かけないか?」
と誘ってきた。
「そんな時間ありますか?」
「ずっと王宮に詰めていたから、少しはリーディアと恋人らしいことがしたい」
「はあ」
この三ヶ月というもの二人とも忙しく、二人で出かけることもなかった。
共にフィリップ様のお側にいることが多く、割に一緒にいたので気づかなかったが、そういえば二人だけの外出の機会は一度もない。
そして思い返すと我々はデートというものをしたことがない。
ゴーランに戻ってから……というのも無理だろう。
「残念だが、帰ってからも多分俺に休みはない」
はーっとアルヴィンはため息をつく。
「そうですねぇ」
ゴーランの家臣達は優秀なのでなんとか業務を回しているだろうが、領主アルヴィンの決済が必要な書類はたんまり溜まっていることだろう。
戻ってからも彼が仕事に追われるのは目に見えていた。
そう考えるとゴーラン領主アルヴィン・アストラテートとは気の毒な男である。
「いいですけど、出かけるってどこに?」
「どこでもいい。王都の中でも近くの森や湖でピクニックでも」
「うーん」
王都は広く、郊外まで行き散策し、帰ってくるとなると一日がかりである。遠乗りも楽しいだろうが、もうすぐ帰路につく我々は嫌ってほど馬に乗ることになり、森だの湖だのも道中で立ち寄れるはずだ。
「じゃあ観光名所はいくつか知ってますから、私が王都を案内しましょう」
「リーディアが?」
「ええ、これでもセントラルの元騎士ですから警備の関係で主要な建物は覚えてます」
一緒に建物の構造とか歴史的な意義は教え込まれたので、簡単な説明も出来る。
「リーディアが案内してくれるなら」
とリクエストされたのは、私が魔法使い養成所にいた頃に通っていた下町だった。
王都の中央からは少し離れた地域なので、魔法使い養成所以外にも何件か学校があり、大きな広場に面した市場もある賑やかなところだ。
ただし。
「ただの下町ですから観光名所って場所ではありませんよ」
「それでいい」
とアルヴィンは頷いた。
まあ考えてみれば、私も観光名所を見ても感心はするだろうがそれだけな気もする。
「といっても私が知っているのはあまり高級な場所ではありません。それでよろしければ。魔法使い養成所時代、下町にはよく遊びに行ってたんです。下町はごちゃごちゃしてますが市場は賑やかですし、食事も豪華ではありませんが王宮では食べられないものが食べられます」
「それは楽しそうだな」
私達が向かったのは、魔法使い養成所から十五分くらい歩いた場所にある市場だった。
多くの商店が軒を連ね、食料品から雑貨や家具までなんでも揃うマーケットとして知られている。
道具屋や武器屋で新しい武器や防具を見たり、本屋で本を買ったり、キッチン用品を売る店に寄ったりしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
少しお腹が空いた私はアルヴィンに言った。
「休憩がてら、食事にしませんか?」
「食事なら、リーディアが学生の頃通っていた店があれば行ってみたい」
一応アルヴィンは辺境伯様なのでもう少しちゃんとした食事処を選ぶつもりだったが、久しぶりに懐かしの味を楽しむことにしよう。
連れ立って行った場所は市場の一角にある大衆酒場で、最後に行ったのは十年近く前だが、今も同じ場所に店はあった。
安くて早くて旨い。市場が作る自衛団の派出所が近く、治安も良い。
学生の間では人気があった店だ。
早速席に着き、
「さて前菜は? 何かおすすめはあるか?」
アルヴィンにそう尋ねられる。
「ここの前菜と言えばカタツムリです」
「カタツムリを食べるのか?」
普段はあまり意識しないが、アルヴィンは高位貴族である。食べたことないらしくものすごく怪訝そうだ。
「庶民は食べます。美味しいですよ」
「じゃあそれで」
その後アルヴィンは壁に書かれたメニューを見て驚いたようだ。
「……野菜が高いな」
良き領主であるアルヴィンは価格調査で市場にもよく行くので、生鮮食品の相場を把握している。
「都会は野菜、高いですよ」
流通の関係で都会では野菜がかなり高い。そして鮮度が良くないので生野菜のサラダはあまり美味しくない。しかし王都は料理屋が多く競争が激しいせいで料理の質自体は高いので選べば美味しいものが食べられる。
「野菜のピクルスの盛り合わせが一番無難です。あー、カリカリベーコンが載ったポテトサラダは美味しかったな」
「じゃあ両方だ」
「それとラザニアも美味しかったですね」
「ラザニア?」
「ミートソース板状パスタミートソース板状パスタという具合に、ミートソースと卵入りの板状パスタを何層も重ねチーズを乗せて焼いた食べ物です」
「絶対旨いだろう、それは」
お次は肉を選ぶ。
「肉は……」
壁のメニューを眺めてアルヴィンは少し嬉しそうだ。
「熊のステーキがあるんだな」
王宮の食事では熊、出なかったからな。
「ありますが、おすすめしません」
「旨いじゃないか、熊肉。王都の人間は食べないのか?」
「鮮度が良くないんですよ。総じて獣肉は美味くないです」
王都は仕留めてから時間が経ってしまうせいか、あまり美味しくない。
鹿や熊の獣肉は豚や牛に比べて安いがマズい肉に分類されており、私も積極的には食べなかった。同じ値段出すなら違う肉が食べたい。
ゴーランでは鮮度が違うのか、猟師や肉屋の処理が上手いのか、美味である。
「おすすめは無難に豚や牛、鶏、山羊、羊、獣肉だと兎ですね。ここの子羊の骨付きロース肉のグリルは美味いですよ」
「どれ」とメニューを眺め、アルヴィンは眉根を寄せる。
「結構値が張るな。下町でこれか」
「都会は肉、高いんです」
ゴーランでも肉は高級品だが、王都では一桁違う。
「獣肉でも鹿のソーセージは安価で美味いですよ。よく食べました」
「メニューに魔肉がないな。あれこそ庶民の味だろう?」
「王都では魔肉は専門店でしか見たことないです」
魔肉はダンジョン内の魔獣から採れる肉だ。美味しいのからものすごくマズいのまで種類によって様々で、味が悪いものは安価である。
何なら解体屋でタダで貰える。
ゴーランでは食用の家畜の肉、森に住む鹿や熊などの獣肉、そして魔獣の肉まで多様な種類の肉類が売られている。
美味しくない魔物肉を食べると強くなれるという謎の言い伝えが信仰されており、好んでそうしたゲテモノ肉を食べる向こう見ずな冒険者までいる。
肉の流通が多い分、庶民でも手軽に食べられる。
そのせいか、ゴーランでは一般庶民でも体格が良い。
「では子羊肉のグリルと鹿のソーセージにしよう。それと」
「それと?」
「どのくらいマズいか興味がある」とアルヴィンは熊肉のステーキを頼んだ。
物好きな。
熊肉はどんな肉かというと熊であるとしか言い様がない肉である。強いて言うと馬肉にちょっと似ているかもしれない。ゴーラン地方ではクセが強く筋っぽいが野趣あふれる独特の味わいが好まれている獣肉なんだが、はてさて。
「酒は? 変わったのがあるな。あれは酒のメニューか?」
アルヴィンの視線の先にあるのは壁に書かれた酒コーナーのメニュー。
「ここのカクテルです」
「リーディアも飲んでいたのか?」
「もちろんです。せっかくなんで『魔法使い見習いの酒』からいきますか?」
諸々注文し、
「まずは一杯」
我々は互いにジョッキを上げて乾杯した。
アルヴィンは『魔法使い見習いの酒』を一口飲んで、「なんだこれ」と驚いてジョッキをのぞき込んだ。
「ベースは蜂蜜酒か? それにしては飲みやすいな」
蜂蜜酒はその名の通り蜂蜜を発酵させて作る酒だが、独特の苦みと甘みがあり、酒精も強いのが特徴だ。
「蜂蜜酒を林檎酒で割ったものになります」
アルコール分が強い蜂蜜酒を林檎酒で割ったのが、『魔法使い見習いの酒』だ。
見習いの名の通り、割ってある分飲みやすくなっている。
「林檎酒も酒精が入っているだろう?」
「あー、庶民が飲む林檎酒はあんまり酒精高くないんです」
林檎酒は発酵時間が長いほどアルコール分が高くなる。そこをケチった庶民用の林檎酒は、酒精が低くて飲みやすいのだ。
酒が飲めない未成年の頃は、林檎酒や梨から出来るペリー酒を水で薄めたアルコール分がほとんどない水割りや、果実のシロップジュースを飲んでいた。
「どちらもあまり美味しくなくて、早く大人になりたかったです」
そう言うと、アルヴィンは「ははは」と陽気に笑った。
「子供が考えることは同じだな。父達が旨そうに酒を飲むのを見て、俺も早く飲んでみたくて溜まらなかった」
「お待ちどう」
と次に来たのは前菜とサラダ。
ハーブとガーリックで味を付けオイル煮にしたカタツムリが登場するとアルヴィンは最初気味悪そうに見ていたが、食べてみると美味かったらしい。
「旨いな」と驚いている。
「美味しいんですよ、カタツムリ」
デート話続きます。






