16.戦いの終わり1
スロラン軍はあの『光の巨人』作戦の日、完全に撤退した。だが戦争はそれで終わったわけではない。
両国が話し合い、まず戦闘の停止をするための休戦協定を結び、その後、戦争をやめるための取り決め――講和――をする。
言った言わないになると困るので、話し合いで合意した内容は文書にまとめ、条約を結ぶ。
休戦協定は『光の巨人』作戦の翌日にはすぐに結ばれ、そして講和条約は両国の王太子を中心に取り決められた。
領土の割譲、賠償など様々な項目で合意せねばならないが、スロランが飲める程度の、我が国としてはかなり低めの賠償金を提示した。彼らも長引く戦争で疲弊しきっているのだ。
講和条約が結ばれるまでの期間にスロランの国王は毒杯を飲んで自決した。
我が国がそれを求めたわけではない。息子である王太子も望んだわけではなかったが、フィリップ王太子殿下が軍を率い、スロラン軍に勝利したことを聞いた国王は激しく動揺したという。
そしてこの度の戦争の責任を取ると遺書を残して毒杯を飲んだ。
遺書の最後にはそれまで彼が固執してきたこととは真逆の言葉、「両国の融和を願う」と書かれていた。
我が国では宰相を中心に賠償をつり上げろという声があり、逆に反王妃派、王妃派の一部までもこれに反対の意を表した。長引く紛争に厭戦の念は強く、平和を求める世論は身分の上下を問わず、広がっていた。
それでも一部の貴族は強行に賠償を求め、また戦争終結がフィリップ様の功績になることを、王妃派は激しく嫌悪した。
王宮は大もめだったらしいのだが、スロラン王の自決で一気に潮目が変わり、交渉はフィリップ様に一任。無事条約締結にこぎ着けた。
「なんでですかね?」
アルヴィンに尋ねると、彼はこう答えた。
「スロラン王は自決という形で戦争の責任を取った。話し合いを長引かせると、我が国の側での戦争の原因や責任を求める声が上がってしまう。宰相はそれを避けたのだろう」
「なるほど」
「連中は旨い汁が吸いたいだけだからな。責務を果たすのは御免なのさ」
アルヴィンの口調は随分と皮肉めいていたが、無理もなかろう。
『光の巨人』作戦から一月後、両国の国境で講和条約は結ばれた。
全権を担う双方の王太子が文書に署名する。
戴冠がまだなので、スロランの王太子は王太子の身分である。
臨時に作られた大きな天幕の中で、二人は調印ののち、固い握手を結んだ。
立ち会ったのは、双方十名ずつという少人数だった。
「これからは隣国同士、手を取り合いましょう」
スロランの王太子はまだ十七歳とフィリップ様より一つ年上なだけの若い王子だ。
フィリップ様は戦場で誕生日を迎え、十六歳になった。
「はい、よろしく頼みます、フィリップ王太子殿下」
こちら側の大臣やら文官だのといった十名のメンバーの中に私と騎士団長、サーマス、護衛としてレファがいる。
というのもスロラン国の辺境伯が戦争継続派の面倒くさそうな奴だった。彼を黙らせるため、列席なしとし、同様にルミノー辺境伯キラーニーも立ち会いを取りやめ、外で待機している。
そしてアルヴィンもこの場にいなかった。
彼は二週間ほど前から「念のための布石を打ちに行く」と言い残し、数名の側近と共に姿を消した。
二人に給仕をしたノアはこの十名の中には含まれていないが、その場にいた者の一人だ。
調印を終え、両国の王太子が笑顔で天幕から出る。
スロランが国王の服喪中ということで、大規模な式典は後日となった。
王太子達はこのまま別れる。
外では、それぞれの国の兵が少し離れて王太子達を待っている。その数も三十名ほどずつ決められていた。戦争が終わった直後の両国の緊迫感がうかがえる。
その時だった。
言いようのない感覚に包まれ、私は無意識に抜刀した。
「リーディア?」
近くに立つサーマスが驚きの声を上げる。
私は、自分でも分からぬまま、それをたたき切った。
フィリップ様を目がけて飛んで来た一本の矢を。
「殿下」
サーマスがフィリップ様を後ろに庇い、セントラルの騎士団団長も剣を抜き、「近衛!」と団員に呼びかける。
だが。
「団長、犯人は……」
矢が放たれたのは、前方にいる味方であるはずの近衛隊からだった。
「ちっ」
小型の弓矢を片手に舌打ちしたのは、副団長だった。
「またお前か、ヴェネスカ!」
「副団長!」
「まったくお前のせいで何もかもめちゃくちゃだ。このままだとフィリップが国王になっちまう。邪魔なんだよ、お前ら全員」
「おのれ、血迷ったか、サディアス!」
団長が吠えるように副団長の名を叫び、彼の周囲にいる団員に命ずる。
「サディアスを捕らえよ!」
だが、騎士達はその命令に従うことはなかった。
「団長、サーマス、すまない」
と彼らは弓を構える。
「お前らもか」
私は吐き捨てた。
「すまない、リーディア、こうするしかないんだ」
団員達は小さな弓を構えていた。
その弓はスロランの一般兵が使う武器である。
この場の全員を始末することで、下手人をスロラン兵と偽装するつもりらしい。
スロラン側は?
この事態に動揺しながらも近衛兵は王太子の守りに入った。だが向こう側の辺境伯は自国の王太子を守るため近づこうとした部下の動きを止めた。
奴もグルか?
「殿下! ヴェネスカ卿!」
近衛より少し離れたところに待機していたキラーニーが騒ぎに気付いて駆け寄ろうとした。
その背に剣を向ける者がいる。
あれはキラーニーの従兄弟とかいう男。味方のはずだが、王妃派はそういう人物を懐柔するのが得意だ。
――アルヴィンの両親も信頼していた弟に殺された。
私はありったけの声で叫んだ。
「キラーニー伯、後ろだ!」
キラーニーはハッと背後を振り返り、一刀をすんでのところで避ける。
だが体勢を崩したキラーニーに白刃が迫る。
「レファ! 行け!」
「はい!」
レファは軽やかに飛んだ。
通常なら到底間に合わない。だが、その姿は美しい大鹿へと変化した。
レファは角で刃を受け止める。
ほうと息をついた私に向かって副団長は忌々しげに舌打ちした。
「化け物とつるんでたのか、気味が悪い。こっちは忙しいんだ。さっさと死ねよ」
「黙れ! 化け物はお前達だ。騎士の本分を失い、今、人の心まで失った。お前こそ、本物の化け物だ」
「ヴェネスカ、相変わらず反吐が出るような騎士ぶりだな。そのまま田舎で大人しくしておけば良かったものを。次の騎士団長である俺が自ら引導を渡してやるんだ、有り難く思え。打て」
副団長の号令で、矢が放たれる。
近距離からの攻撃だ。
私はあの時のように自分の体を盾にするしかない。
「フィリップ様!」
私がフィリップ様を庇おうと、彼の前に飛び出した時、
「ピッ」
鳴き声と共に、マントから一斉に緑の玉が飛び出した。
玉はその丸い体でどうやったのか矢を一本残らずたたき落とすと、またさっと私の側に戻ってくる。
「プーカ?」
「ピッ」
プーカ達は私を勇気付けるように鳴いた。
そうだ。
私はあの時と違う。
もう一人ではない。仲間がいる。
落ち着け、リーディア。
私のやるべきことをやれ。
魔力を練り上げ、空にどこからでも見えるような特大の光を放つ。
味方の軍は近くに待機している。
十分でいい。時間を稼げば必ず応援が来る!
私は剣を構え直した。
「サーマス! 団長! フィリップ様を絶対に守り抜くぞ! プーカ、私はいい、どうかフィリップ様とノアと出来ればスロランの王太子殿下を守ってくれ!」
これには副団長も焦り始める。
私がここまで大きな光弾を放てるとは思っていなかったようだ。
「マズいな、おい、誰か来る前にさっさとこいつらを殺るぞ」
彼らはあわてて矢をつがえる。
そして、それを放とうとした瞬間、風が走った。
「ぐわっ」
一気に十名以上の騎士が切り伏せられる。
「リーディア、無事か!」
「アルヴィン!」
一体何が起こったのか分からない位の早業で、アルヴィンが駆けつけた。






