11.妖精の道1
「殿下!」
私はあわててフィリップ様に駆け寄り、床に崩れ落ちた彼を抱きとめる。
フィリップ様は私の腕の中で、苦しげに呻いた。
「リーディア、苦しい……吐きそうだ」
「吐けるなら全部吐いて下さい!」
「うん……」
嘔吐しやすいようにフィリップ様の顔を下に向けると、彼は途端に激しく吐き出した。
「レファ! 大丈夫か?」
レファはケロッとしている。
「大丈夫ですよ」
「おい、妖精! 何を食べさせた?」
サーマスが激しく詰問するが、ノームは平然としている。
「毒消しですよ」
「だが殿下がこんなに苦しんでるじゃないか」
彼は額に汗の球を浮かべて吐き続けている。
「リーディア、どうかしたか?」
騒動の最中にやってきたのは、アルヴィンだ。
「アルヴィン! 丁度良かった。急いで医者を呼んできて下さい!」
アルヴィンは眉をひそめた。
「医者? どうした?」
「王子様が毒消しの実を食べたんですよ」
一大事なのに、レファはどこか暢気そうな口調でアルヴィンに答えた。
「あの赤いやつか」
とアルヴィンはレファに尋ね、
「赤いのです」
それで通じるのか、レファは頷いた。
「ではそのまま吐かせておけ」
「アルヴィン! 早く医者を」
「リーディア、大丈夫だ。悪いものを全て吐き出せば、治る」
アルヴィンはそう断言した。
「だが殿下はこんなに苦しんで……」
「森の奥で見つかる赤い実は、吐いて治す実なんだ。この辺りでは昔から毒きのこを食べたり、体内に毒素が溜まってしまった時に使う。滅多にお目にかかれない貴重品だぞ。良かったな」
「じゃあ、殿下が苦しんでいるのは……」
「それだけ体内にどっぷり毒を溜め込んでいたせいだろう」
フィリップ様は進軍中、何度も暗殺されかけたという。
その時に毒も盛られていたかもしれない。
フィリップ様にはお毒味役もついていて、毒には注意を払っている。それでも遅効性の毒などは防ぎようがないのが現状だ。
よく分からないが、ノームはフィリップ様を助けてくれたらしい。
「ありがとう、ノーム」
私は吐き続けるフィリップ様を膝に抱えたまま、かなり複雑な気持ちで、ノームに礼を言う。
「いえ、リーディアさん、私らからほんの気持ちです。あの、その人も実を食べた方が良いですよ」
ノームはサーマスを指さす。
「えっ、俺?」
「はい、その人も体に毒が溜まっています」
ノームは断言し、「そうだな」と鑑定の能力を持つアルヴィンも太鼓判を押した。
赤い実を食べたサーマスもゲロゲロとバケツを抱えて吐き出した。
「何かお礼をしないとね」
そう言うと、ノームは目を煌めかせた。
もじもじとノームが恥じらいなから望んだのは、意外なことだった。
「あのう、リーディアさん方は南部に行くとか」
「よく知っているのね、南部に行くよ」
「私らも連れて行って貰えませんか?」
とノームは同行を申し出て来たのだ。
「どうしてだ?」
とアルヴィンが尋ねる。
「南部は長い戦争ですっかり森が焼けてしまいました」
いつの間にか他のノーム達も集まっている。彼らは真剣な表情で人間達を見つめた。
「私らは森の魔素がないといずれ弱って死んでしまいます」
怪我を負ったり弱ったノームをこちらに連れてきて療養させたいというのが、彼らの願いだった。
「それは全然構わないが、危険じゃないのか?」
「おっしゃる通りノームは戦いが苦手ですので、リーディアさんに同行させて頂きたいのです。ご迷惑はお掛けしません。妖精の道を使ってサッと行って、仲間を助けたらサッと帰りますから……」
ノームは聞き慣れない単語を口にした。
「妖精の道?」
「妖精が使う秘密のトンネルだ。転移魔法陣のように遠く離れた二つの地点をトンネルで繋いで少しの時間で移動する方法だという」
アルヴィンが教えてくれた。
転移魔法陣は膨大な魔力を使うもので、とびきり便利だが大量輸送には使えない。
ゴーランから南部までの長距離はアルヴィンレベルの魔法使いも一回に数名が限度。しかも消費が激しく、丸一日まったく使い物にならなくなる。
「そんな便利なものが……」
「よろしければリーディアさんもご一緒下さい。あっという間ですから」
「えっ、人間も使えるのか?」
「私らと一緒でしたら使えます」
アルヴィンが身を乗り出しノームに尋ねる。
「どのくらいの人間が同行出来る?」
「どれほどでも。ただ、私らを傷付けると道が閉ざされてしまいます。そうなってはどこに行くのか誰も分からない。あるいは出られなくなることも」
「つまり、お前達を傷付けないとすれば、千人でも二千人でも……五千人でも、妖精の道を使って移動出来るということか……」
アルヴィンは考え込む。
やがて顔を上げると、アルヴィンは後方を振り返る。
「ヘルマン、聞いたな。計画変更だ、文を出す。紙をくれ」
「はっ」
アルヴィンに紙束を差し出したのは、茶色の髪をした壮年の騎士だ。
デニスに歳を取らせてキリッとさせた印象の男である。
「彼はヘルマン・アストラテート。ゴーラン騎士団の副団長だ。父の従兄弟に当たる」
アルヴィンは受け取った紙を手にキッチンの椅子に腰掛けると、文をしたためながら、彼を紹介した。
ヘルマンは私に一礼した。
「ヘルマン・アストラテートです。リーディア嬢には息子もお世話になっているとか」
「ムスコ?」
「デニスです」
「あ、彼のお父上でしたか。いえ、デニス卿にはこちらこそお世話になっています」
「よし、書けたぞ。届けてくれ」
とアルヴィンは十通近い手紙をヘルマンに渡す。
「はっ、では失礼します」
「ああ、頼む」
「アルヴィン?あの手紙は?」
「騎士団宛て、家令宛て、近隣の町の町長宛て、それに冒険者ギルド宛てだな」
「はあ……?」
「リーディア、計画変更だ。殿下、お話は出来ますか?」
アルヴィンはとてつもなく楽しそうだ。
フィリップ様はアルヴィンの問いかけに力強く頷いた。
「うん。もちろんだ」
「お加減は?」
私は心配したが、フィリップ様は意外と晴れ晴れした顔をしている。
「吐いてしまったらすっきりした。ずっと頭が重かったんだけど、気分爽快だよ」
「ではこちらに」
と何故かアルヴィンはフィリップ様にキッチンの椅子をすすめる。
私は驚いて二人に尋ねた。
「えっ、ここで良いのですか?」
王太子殿下と辺境伯の重要な打ち合わせをこんなところで済ませる気か?
「リーディア抜きに話は出来ないよ」
「私もリーディアにいて欲しい」
と何故か異口同音に言われた。
まあいい、片付けものを済ませたら、私も向こうの話に混じろう。
使った調味料を戸棚に戻し、使った食器をたらいに漬けたり、昼食の片付けをしていると、サーマスがススッと私に近づき、耳打ちしてきた。
「リーディア、あの男は誰だ?」
「男?」
「あのやたら顔のいい長髪のやつだよ」
憎々しげにそう言うサーマスの視線は同じくキッチンで片付け中のレファに向かっている。
「レファは女性だぞ」
「えっ」
サーマスは絶句する。
「そうかぁ、おんなかぁ」
勘違いが恥ずかしいのか、頭を掻いた。
「分かったらさっさとフィリップ様のお側にいろ」
「そうか、まあ、後で聞きたいことがあるからよろしくな」
サーマスは上機嫌でフィリップ様のところに戻っていく。
「洗い物は僕がやっておくよ」
「やっておく」
とノアとパンケーキを食べてほくほく顔のブラウニーが申し出てくれたので、彼らに後を任せて私もテーブルにつく。
「さて、揃ったな」
とアルヴィンは話し出した。
「中央軍に潜ませている間者から報告が来た。王太子殿下が行方不明となり、中央軍は現在南部辺境伯領ルミノー北部で進軍を止め、待機しているそうだ。諸々掴んだ情報を総合すると……」
アルヴィンは眉をしかめた。
「中央軍が思った以上に信用ならない」
内容は、危機的な中央軍の状況だった。
「中央軍は表向きは王太子殿下の派閥だが、内部に多くの王妃派が潜んでいる。ギール家に自ら忠誠を誓う者、脅迫された者と様々だが、想定より数が多い。例えばワッカ伯爵軍だが……」
とアルヴィンが例に出したのは、南部辺境伯領に隣接する領土を治める伯爵家だ。南部と繋がりが深く、王太子殿下を支持する派閥である。
「伯爵の弟が従軍してるが、彼は賭博で借金を抱えている。……どこの賭博で作った借金かは諸君らもお分かりだろう」
「ギール家か……」
サーマスの呟きにアルヴィンが首肯する。
「こういう状況では数で圧倒するのが一番だ。だがかき集めてもゴーランが用意出来るのは、騎兵二千が限界だ。それ以上だと召集に時間が掛かるし、向かったところで補給路が確保出来ない。既に中央軍では内紛が始まっている。騎士団長が軍を統率しているようだが、彼も王太子殿下行方不明の責任を追及されている身だ。長くは持たんだろう」
「団長……」
サーマスは悲痛に呻く。
「騎士団長が更迭されれば、全軍が王妃派に寝返りかねない。そうなれば五千五百対二千と我々が数で不利だ。殿下が陣に戻られても、中央軍の掌握が不可能になる」
と、ここまでしかめっ面で話すアルヴィンだったが、フィリップ様にニヤリと笑いかけた。
「だが王太子殿下は運がよろしい。ノームが妖精の道を使わせてくれるそうだ」






