09.楡の木荘のモーニング
翌朝、目を覚ました私はドアの隙間に一枚の紙が差し込まれているのを見つけた。
――夕食までには戻る。
紙切れにはそれだけ書き記されていて、アルヴィンが眠っていたはずの隣の部屋を覗くとベッドは既に空だった。
身支度を調え、朝食の準備をしていると、いつもなら出勤のため騎士服を着ているレファが普段着のまま、キッチンにやってくる。
「リーディアさん」
「レファ、どうした?」
レファは誰にも聞こえないように私の耳元に顔を近づける。
「団長のご命令で、今日は私はここで警備となりました」
「面倒をかけてすまないね」
「いえ、何かあれば、リーディアさんの指示に従うようにと申し付けられています」
「そうか、アルヴィンは?」
「団長は騎士団本部です。夕方には戻るので、リーディアさんも南部に行く支度をするようにと」
アルヴィンはすぐに立つ気だな。
そこまでは予想が付いたが、レファの次の言葉に唖然とした。
「準備が出来次第、明日、騎兵二千と共に南部に向かうそうです」
「……はあ? 明日ぅ?」
思わずすっとんきょうな声が出た。
あわてて声を潜め、
「明日って……本気か?」
「はい。その後、かき集められる限りの物資を持って応援部隊が到着する予定です」
「随分早いな」
「早くしないとまずいそうです。『別に私はどうでもいいが、王太子殿下の不在が長いと、セントラル騎士団は内紛で壊滅するだろう。それではリーディアが悲しむ』と。団長はああみえてお優しいのです」
レファは得意気に言った。
私は苦笑した。
「『別に私はどうでもいい』で台無しだがな」
まあどちらかというとアルヴィンは優しい。
今後のことを考えると、中央軍が味方に付いた方がやりやすいが、そもそも中央軍は王妃派と反王妃派が入り混じり、敵か味方かはっきりしない。
味方としてはまったく頼りなく、放っておくという選択肢もあるが、アルヴィンは彼らも助ける方向で行くらしい。
ここから南部まで、馬を走らせて二日掛かる。時間が経てば経つほど中央軍は内部から瓦解し続ける。
中央軍が崩壊すれば南部平定がさらに遅れる。
それを見越しての行動だろう。
「……確かにああみえて優しいな」
朝食が出来たので、私はフィリップ様達のところに持っていこうとした。
トレイを見たノアが首をかしげる。
「リーディアさん、部屋で食べるお客さんがいるの?」
我が宿は原則食堂で食事をして貰うからだ。
「ああ、そうなんだ」
「じゃあ僕が持っていくよ」
とノアは申し出てくれる。
「いや、彼らは私の昔からの知り合いなんだ。ちょっと話もあるから私が行くよ」
「なら片付けをしておくね」
「ありがとう」
サーマスの部屋のドアを開ける。
「おい、起きろ、サーマス」
サーマスはまだ寝たりない様子で毛布の中で丸くなっていた。
「なんだよー寝かせてくれよーリーディア」
「さっさと起きろ、朝食だ。五分後に右隣の部屋に来い」
私は次にフィリップ様の部屋の扉をノックした。
「ヨアヒム、起きてますか?」
「リーディア? 入っていいよ」
フィリップ様は昨日の夜のパジャマ姿だ。
「ごめん、着替えがなかったんで……」
とお育ちのよい彼は恥じらっている。
「お召し物は洗濯しておりますよ。替わりの服を用意しますから少々お待ちを。まずは朝食をお召し上がり下さい。今、サーマスも参ります」
フィリップ様の服は汚れていたので、洗濯中だ。
フィリップ様の部屋は我が宿では一番良い部屋で、小さいものだが部屋にテーブルが備え付けてある。
ついでに言うと、椅子もちゃんと二脚ある。
部屋のテーブルの上に持ってきた朝食を並べる。
フィリップ様が食べたそうにうずうずしているご様子なので、
「先に食べましょう。すぐにサーマスは参ります」
と彼を促す。
「ありがとう、お腹空いてたんだ」
フィリップ様はさっそく席に着いた。
葡萄ジュースにソーセージ、ベーコンエッグ、豆と野菜それにカボチャが入った具だくさんスープに厚切りパンとヨーグルト。
良くある朝食だが、フィリップ様は目玉焼きを頬張って目を丸くする。
「この卵、すごく美味しいよ、リーディア」
「ありがとうございます、うちの鶏の産みたての卵なんですよ」
「産みたてなの? だからかな、とっても味が濃いよ。パンのバターもすごくいい匂いだ」
「バターも自家製なんですよ」
「牛も飼ってるの?」
「ええ、可愛い仔牛もいますよ」
話しているうちに、サーマスがやって来た。
デロデロの騎士服は脱いだようで、置いておいたアルヴィンの服に着替えている。
足はアルヴィンの方が長いらしく、裾をたくし上げている。
数日風呂に入っていないため全体的に汚いが、洗面器に水は用意してやったので、辛うじて顔と手だけは洗ったようだ。
「殿下、リーディア」
と言うので、私は彼をたしなめた。
「馬鹿モノ。ヨアヒムと呼べ」
「そうだな、ヨアヒム様、おはようございます。へぇ、旨そうだな、頂きます」
彼もろくに食べていないようで、挨拶もそこそこに朝食をがっつき始めた。
「うん、美味い。この宿、いい料理人が居るんだなぁ」
「そりゃどうも、私が作った」
「は? 嘘だろう? リーディアが?」
「こんなことで嘘をついてどうする? 本当だ」
「だけどリーディアが料理なんて……」
とショックを受けられた。
まあ、王都にいる時は料理なんてまったくしてなかったから、この反応は無理もない。
食後に温かい紅茶とクッキーを出す。
フィリップ様はクッキーをかじると、たちまち笑顔になった。
「美味しい! これもリーディアが作ったのかい?」
「ええ。お口に合いましたか?」
「うん。王宮の菓子よりずっと美味しい」
「そう言われると嬉しいですね。ありがとうございます」
「あのリーディアが……」
サーマスが呻いたので、
「文句を言うなら食うな」
と言い返すと、あわてて首を横に振る。
「文句はない。美味いよ、本当に」
サーマスは紅茶のカップを置くと、私に言った。
「話さないといけないことは色々あるんだが、まず言いたい。なんでリーディアは退団なんかしたんだ? 俺にだって事後報告だったろう?」
「いや、その話は今、一番どうでもいいだろう」
「どうでも良くなんかない。さっさと一人で退団を決めちまって、あっという間に行方をくらませて。実家にも戻ってないって聞いて、俺達、どれだけ心配したか……」
切々となじられた。
サーマスは同じ歳なこともあり、仲が良かったのだ。
「退団は団長がお認めになった。魔法騎士としてはもう働けない。妥当な選択だ」
「でも俺はリーディアの仲間だっただろう? なんで……。団長だってショックを受けてた」
「団長が?」
「団長がリーディアの退団を認めたのは、リーディアに縁談を用意するつもりだったからなんだ。結婚するならどうせ退団になるだろう?」
「…………」
「団長もリーディアのことはすごく心配してて、俺とか他のリーディアと仲良かった男を叙爵して結婚させる用意をしていた。俺も打診受けて、その気だったのに……」
「ふぅん……」
感極まっていたサーマスが口を尖らせて私に言う。
「何だよ、その言い方は」
「いや、私はそんなことまったく望んでなかったからな。王都に居ても多分、断ったぞ」
サーマスはショックを受けた様子だった。
「俺と結婚するのはそんなに嫌か?」
「そういう問題じゃない。私はあの事件を正しく裁いて欲しかった、それだけだ。他のことは何も望んではいない」
「それが出来ないから、団長は……」
「サーマス、それが出来ないのがおかしいんだ」
サーマスは黙り込んだ。
「…………」
「王都の中にいる時は分からなかった。分からなかったから逃げるしかなかった。ゴーランに来て、私はようやく理解出来た。ギール家の横暴が許される王都はおかしい。南部のこともそうだ。陛下は中央貴族の利権を優先し、南部の民を虐げている」
サーマスはあわてる。
「おい、言っていいことと悪いことがあるだろう!」
「王が間違っているなら、それをお諫めするのが臣の忠義というものだ」






