06.アルヴィン5
「何しに来たんですか?」
一週間後にアルヴィンがリーディアを訪ねると様子が変わっていた。
ついにアルヴィンの正体がばれたらしい。
リーディアはフースの町の役場に出入りしていた。あそこには領主の肖像画も飾ってある。
十分予測出来ていたことだったので驚きはないが、思った以上にリーディアはよそよそしいというか、面倒くさいと言わんばかりの態度だった。
媚びへつらわれるよりは大分良く、何よりリーディアらしい。
しつこく「然るべき貴族のご令嬢」とやらとの結婚を勧められたが断った。
アルヴィンの事情はなかなか複雑で、王妃派はもちろん、ゴーラン領の繁栄を妬む者達は数知れない。
そんなアルヴィンの妻子には命の危険すらある。貴族なら当然するはずの結婚をアルヴィンとその周囲が諦めたのは、盤石な体制を整えてからでなければ結婚できなかったからだ。
アルヴィン自身も恋愛というものをどうにも苦手にしていた。
妻や子に対する愛が優しかった叔父を狂わせたのではないか。そう思うと、恋に落ちるのが怖かった。
若くして継いだ領主の地位は重く、結婚よりも領の経営が優先というのもアルヴィンにはむしろ都合が良かった。
アルヴィンはもうリーディア以外と結婚するつもりはない。リーディアにふられたら、彼女に言ったように後継者を育てて自分は独身でいるつもりだ。
「…………」
リーディアは実に疑り深そうな目でこっちを見る。
そういうところも好きなのだから、かなり重症だなとアルヴィンは一人、笑った。
***
その日は楡の木荘に泊まり、翌日は朝食を食べてすぐに楡の木荘を発ち、領都に戻るべくアルヴィンとデニスは馬を走らせていた。
領都まではかなり遠く、良い軍馬を補助魔法の能力強化で「持たせて」丸一日掛かる。
上機嫌で馬を駆るアルヴィンだが、併走するデニスの表情は暗い。
「……………………」
普段穏やかなデニスが塞ぎ込む理由は楡の木荘を出る前にアルヴィンが手短に告げた「結婚は無理だったが、恋人として付き合うのは了承してくれた」という言葉だ。
デニスはアルヴィンの一つ下で、領内では名のある家の女性を紹介され結婚し、子供一人。政略結婚に分類されるだろうが、それなりに交流を重ね恋人となり仲を深めた結果である。
つまり恋愛に関してデニスはアルヴィンの先輩だ。
そんなデニスはアルヴィンから「リーディアと恋人になった」と聞き、危機感を覚えた。
遠距離でお互い多忙な男女。一番別れるパターンである。
一歩進んだと見せかけて、実は後退。
破局する未来しか見えない。
デニスはアルヴィンの右腕となるべく幼少から共に育った幼なじみでもある。長い付き合いなので、アルヴィンが意外と奥手なこともよく分かっている。
だがアルヴィンは恋愛に浮かれていても愚かな人間ではない。アルヴィンならその程度のことはとっくに理解しているだろう。
なのになんでもっと強引に結婚に持ち込まなかったんだろう?
「何か聞きたいことがあるみたいだな」
適当な小川を見つけ、馬に水を飲ませてやりながら、アルヴィン達も昼食を取る。食事は楡の木荘でリーディアが持たせてくれたサンドイッチだった。恋人お手製の弁当を食べながら、アルヴィンはデニスに言った。
水を向けられたデニスは思い切って聞いてみた。
「アルヴィン様なら無理強いじゃなく交渉で結婚に持ち込むくらいわけないのにどうして恋人で妥協したんですか?」
結婚したとしても離婚という形で別れることもある。だが、「付き合う」なんてただの口約束はもっと別れやすい。
アルヴィンはこういう時、勝算の低いやり方を選ばない。大胆に見えて影でコツコツと勝率を稼ぐ努力を惜しまないからゴーラン領の政策は当たるのだ。
「合理的、いえ、実利主義なアルヴィン様のやり方とは思えません」
きっぱりそう言い切ったデニスにアルヴィンは言い返す。
「領内は何事もこちら側の有利になるように整えないと、大勢の人間が不利益を被ることになるから慎重にもなるが、リーディアとの付き合いは俺の私的な問題だから実利を求める必要はない」
「それはそうですが……」
そもそもアルヴィンは仕事人間でプライベートはほとんどない。周囲が困るから決まった休暇は取るが、休んでいるように見せかけてこっそり働いている。
領のために十代後半で国内の令嬢達を選定した時も、アルヴィンが注視したのは『ゴーラン領の令夫人としての資質』だけで、彼個人の感情はそこには含まれてなかったようにデニスは思う。
「リーディアに結婚願望がないからな」
「まあ、あの方はそうですけど」
「結婚は彼女にあまりにもメリットがない。だからこの形でいい。側にいるだけでそれで十分だ。ただの男として彼女が好きなんだ」
「……変わりましたね、アルヴィン様」
「そうだな、俺も驚いている」
リーディアに何か見返りを求めたいとは思わない。
ただ、彼女を愛している。
それはアルヴィンの中で初めて芽生えた感情だった。
まだ彼がほんの小さな子供だった頃はあったのかも知れないが、十五歳のあの日にアルヴィンはこのゴーランの全てを背負う領主となった。
ゴーランのため最善を尽くすのが、彼の使命である。
常にゴーラン領主として生きてきた男としては、画期的な出来事だった。
領主として条件が合うから求婚したわけではない。
だから彼女が望まないなら、結婚もしないでいい。
誰かを愛するということは、なんて心が躍ることなのだろうかとアルヴィンは思った。
「己の心にそんな感情があることを教えて貰えただけで十分だ」
デニスはそう呟くアルヴィンを見て「別人か?」と思う。
凄いなぁ、恋って。
「だが願わくば何十年先でもいいからリーディアから『愛している』と聞きたい」
とアルヴィンは幼なじみに心境を吐露した。
「気が長いですね、アルヴィン様は」
「長生きするつもりだ。生かしてくれた人のためにも」
叔父の計画ではアルヴィンはもっと早く「不慮の事故」で亡くなっているはずだった。それを阻止し、アルヴィンを守り通したのはデニスを含めた側近達だ。
逆にアルヴィンは叔父の計画を見抜き、彼らを粛正した。その過程でアルヴィンが失ったものを、デニスはよく理解している。
「これは私のわがままだ。許してくれ、デニス」
「アルヴィン様が謝る必要はありません。僕らはただあなたをお支えするのみです」
「ありがとう。じゃあそろそろ行くか」
パンくずを払って立ち上がると、アルヴィンは乗馬の準備を始めた。デニスもそれに続く。
「やっぱり上手くいって欲しいな」とデニスは思った。
まあ自分が出来ることは、仕事の調整くらいだが。
決意を新たにするデニスにアルヴィンが言った。
「楡の木荘まで距離が遠すぎるのは俺も気になっていた。だからあそこに転移魔法陣を設置しようと思っている」
「えっ? 転移魔法陣?」
「実は職人には話を通している。後はリーディアの許可を貰うだけだ」
「いつの間に?」
「ほとんどの素材は既にダンジョンで調達済みだ。掛かりそうなのは職人に頼む工賃くらいだから、私財で十分まかなえる。職人は口が硬い連中を揃えるつもりだ。王妃派にリーディアが目を付けられたら大事だからな。彼女と付き合っているのは極秘だ。デニスもそのつもりでいてくれ」
「はい、それはもう……」
やっぱりアルヴィンはアルヴィンだ。用意周到である。
「リーディアはすぐに別れるつもりだろうが、俺は狙った獲物は逃さないタチだ」
「……知ってます」
面倒なお人に好かれたもんだなぁ、リーディアさんは。
デニスはリーディアに同情した。
「安心しろ、デニス、リーディアは俺のことが好きだ」
ひらりと馬に飛び乗ったアルヴィンは力強く断言する。
「はあ……?」
「その証拠に今日の昼食は俺の好物しか入ってなかった」
アルヴィンは自信満々だが、今日のサンドイッチの具はハムハムハムチーズちょっと野菜。
それは大抵の人が好きっていうか、僕も好きですよ。
とは言わないでおいてやるデニスだった。
***
いよいよ南部はきな臭く、戦禍から逃れようと大勢の避難民がこのゴーランにもやって来た。
ゴーランと南部ルミノーは隣同士なのだが、間に山があり、女子供が通るには厳しい道だ。他の道はかなり遠回りになる。
故に人の往来というのは常時は少ないのだが、このところは異常なほど増えている。無理をしてでも山を越えて領に入ろうとする者が押し寄せていた。
ゴーランは山の仕事やダンジョンといった稼ぎの良い仕事が多く、景気も良いので働く場所には困らない。
ただ最近は徴兵逃れでまともな職に就けない者が山賊になったり、冒険者になった者が功を焦って危険な魔物と接触するなど、騎士団が出動する案件が増えている。
リーディアを通じてノームが大地の滴をくれたので、更に仕事がはかどり、更に忙しい日々を送るアルヴィンだが、充実した毎日といえよう。
南部に起こっていることを思うと、ゾッとする。
中央貴族の利益のために南部は食い物にされている。南方辺境伯も無策過ぎたが、ギール家始め中央部の暴走を止めぬ王とは何なのか?
行動せねばならない時がやってきたかも知れないとアルヴィンは考えを巡らす。
何が起こっても良いように備蓄と金は増やしておく。
やがて季節は夏になり、リーディアと男が仲良さそうに手を取り合っている姿を目撃した。
すわ、浮気かと思ったが、相手はレファ・ローリエ。
男性にしか見えないが、ゴーラン騎士団の女性騎士である。
レファの一族はライカンスロープ。獣化の能力を持つ魔法使いだ。
何故か、リーディアが彼女のことを気に入り、下宿することになった。
楡の木荘は更に賑やかになり、そして迎えた秋に事件は起きる。






