06.ダンジョンに行ってみよう4
「ぶもぶもぶっっぶもっ!」
魔豚は一直線に捕らえた男達目がけ、突進した。
男達は泡を食ったが、縛り上げられているため逃れようがない。
「おっ、お前確か魔物寄せの粉を……」
「おっ、おう、持ってるけどよ」
「馬鹿! さっさと捨てるんだ!」
男の一人が、あわててポケットを探ろうとするが、縛り上げられた腕では上手くいかない。
その間にも魔豚は男達に迫り、
「ひ……」
踏み潰されると思われた瞬間、
「ピーッ」
鋭い動物の鳴き声と共に、魔豚の巨体が吹っ飛ぶ。
現れたのは大型の鹿。
鹿は男達を守る様にすっくと立ち、魔豚をにらみ付けている。
魔豚達は突然現れた乱入者に少々気勢が削がれた様子だが、突き飛ばされて転がった一頭がむっくり起き上がると、今度は鹿に牙を剥いて「ぶももっ」と突進していく。
鹿は上手くそれをいなしながら、我々から距離を取っていく。
よし、今だ。
「ノア、頭を抱えてその場を動くな」
私はノアにそう指示した後、素早く男達に駆け寄り、男の一人に尋ねた。
「魔物寄せの粉はどこだ?」
「右のポケットの中だ」
男は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら答えた。
私は彼のポケットを漁り、魔物寄せの粉が入った小さな袋を取り出す。
取り出した瞬間、
「ピー」
と鹿が『寄越せ』と言うように鳴く。
私は「頼む! レファ!」と彼女に袋を投げた。
鹿は袋を口にくわえると駆け出した。
案の定、魔豚の狙いはその粉らしく、鹿を追いかけていく。
「助かった……」
残された我々はほうっと息をついた。
「リーディアさん……」
ノアが駆け寄ってくる。ぱっと見、彼も無事なようだが、念のために尋ねる。
「ノア、大丈夫か?」
「う、うん。あの、リーディアさん、質問してもいい?」
ノアは気もそぞろに問いかけてきた。
「なんだ?」
「さっきの鹿、レファさん、なの?」
「そうだぞ。現にレファはここにいないだろう?」
私がそう答えると、男達の方がざわつき出した。
「あの鹿が人間?」
「間違いなく鹿だったぞ、見間違いなんかじゃない」
「だが、あの兄ちゃん、本当にいねぇ」
「尻尾巻いて逃げ出したんじゃあねえのか?」
しばしの沈黙の後、一人が呟いた。
「……あの男、化け物だったのか?」
私はそいつの頭をぽかっと叩いた。
「いてぇな、姉ちゃん」
「レファは危険を顧みずお前達を助けてくれた。命の恩人を化け物と罵るお前の方が、人としては最低の化け物だ」
そう言うと男はハッと我に返った。
「……悪かったよ」
「謝るのは私じゃない。レファに言え」
「あの、リーディアさん、レファさんは獣人族なの?」
ノアは好奇心が止まらないようだ。遠慮がちだが、ウズウズした様子でそう問いかけてきた。
「獣人族なんてよく知っているな、ノア」
「うん、ちょうど『世界の亜人種』って本で読んだんだ。獣と人間の中間の種族がいるって」
勉強家のノアらしい。
「そういう種族もいるみたいだが、彼女は多分人間だよ。ライカンスロープ、獣化の能力を持つ魔法使いだ。彼女からかなり強い魔力を感じただろう?」
「えっ、魔法使いなの?」
「そうだよ。ライカンスロープは魔素を使って己の体をメタモルフォーゼする魔法だ。古い伝承では、人の心の中には一匹の獣が住んでいて、その獣に変化すると言われている。大昔の魔法使いが強大な竜に変化し、大軍を蹴散らしたという逸話が残っている。聞いたことがあるだろう?」
「うん」
「だが、変化の魔法は今では失われてしまっている」
「どうして?」
「百五十年位前まで、魔法使いはひどい迫害を受けていた。獣に変化出来るライカンスロープは特に魔物と怖れられて見つけ次第殺された。だから魔法使いの中でもとても数が少ないんだ」
変化の魔法は消失以前から最難関魔法として知られていた。
古文書に変化の魔法の呪文が残されているが、そこにはたった一行、「心を解き放ち、願うこと」と記されているのみである。
当然だが私が唱えても発動しなかった。
師匠に師事して習うというのが魔法の通常の修得方法だが、迫害の時代にその方法は失われた。
唯一残ったのは、血で伝わる方法だ。
魔法使いは親の得意魔法を生まれながらに受け継ぐことがある。
ライカンスロープは、親から子に、つまり偶然の遺伝に頼る、血統だけで伝わる魔法系統として残った。
私はライカンスロープの一族はすでに絶えてしまったと聞いていた。
だがゴーラン領主が密かに彼らを保護していたのだろう。
しかし、と私は舌を巻いた。
古い文献に書かれていた通り、ライカンスロープは強い。
怒り状態の魔豚三頭を相手に渡り合うのは騎士数名掛かりでも難しいのに、レファは一人で押さえ込んだ。
三十分ほどした後だろうか。
また「ぶもぶも」という声が聞こえてきた。
魔豚は我々には目もくれず、きのこダンジョンの中に戻っていった。
魔物寄せの粉は魔物を興奮状態にさせるという。
これを使うと珍しい魔物も寄ってくると、一部の冒険者の間では珍重されているが、一歩間違えると先程のように魔物を暴走させるため、ゴーラン領では使用が禁じられている。
ふと、気配を感じて振り返ると、林の中に二つの赤い点が光っている。レファの目だ。
おどおどとこちらを伺っているので、私は声を掛けた。
「レファさん、こっちに。テントの中に入って着替えなさい」
レファはただいま全裸である。
服はたき火の側に落ちていたので、テントの中に入れておいた。
レファ(鹿)は一瞬、ビクリとしたが、大人しくテントの中に入っていく。
しばらくしてからレファは人間の姿で出てきた。
「あの……リーディアさん……」
言いづらそうに何か言い掛けたが、私はレファに安眠効果があるリンデンのハーブティが入ったカップを渡して言う。
「話は明日でいい。これを飲んで今日はもう寝なさい」
ものの本では獣に変化するのは大魔法に匹敵するほど消耗するという。
「はい」
「それから、どうもありがとう。お陰で命拾いしたよ」
「ありがとう、レファさん」
とノアが言い、男達ももごもごと礼を言った。
「あの、ありがとう……」
「助かったよ」
レファはそれを聞いて、「はい……」と何だか泣きそうな声で頷いた。
***
翌朝、我々は山を下りて、麓の村の自衛団に山賊達を引き渡した。
レファが手続きする間、私は魔豚の解体を肉屋に依頼した。
魔豚の解体が終わった頃にレファの用件も片付き、我々は手分けして肉を馬に乗せ、家路につく。
荷物もあるので、レファは我が家まで来てくれるそうだ。
昨日と今日の二日間酷使したオリビアとレファの愛馬ルビーの鞍を下ろし、牧草地に連れて行ってやる。
二頭は楽しげに牧草地を駆け回る。まるで二頭でダンスを踊っているようだ。
その光景を見て、レファが目を細めた。
「ああ、いいですねぇ」
「うちのオリビアとルビーは仲が良いようですね」
「はい、友達と一緒で楽しそうです」
ルビーは牝馬にしてはガタイのよい綺麗な馬だ。何となく主のレファに似ている。
「最近、ルビーは町の小さな厩舎で窮屈な思いをしていたから、今日はとても嬉しそうです」
「ああ、そうでしたか、それは良かった」
騎士団本部なら専用の厩舎も運動場もあるが、フースくらいの規模の町の騎士団詰め所にそんな立派な設備はない。
馬は運動不足になりやすい。
レファがもう少し馬を見ているというので、後は彼女に任せ、私は先に家に戻らせてもらう。
「さて」
手早く着替えた私はキッチンで腕をまくった。
これから早速、魔豚を料理するのだ。






