08.ゴーラン伯爵とリーディア1
いつそのことに気付いたかというと、あの日の翌日、マドレーヌとチョコレートを役場に納品しに行った時である。
役場の町長室には成人したゴーラン伯爵の肖像画が飾ってあった。
見間違いようもなく、アルヴィンだった。
……思い返してみれば、不審な点はいくつもあるのだが、結局のところ私がそれに気付かなかったのは、『気が付きたくなかった』からだろう。
アルヴィンはこの地に来て私が出会った得がたい友人だった。
「黙っていたのを怒っているのか?」
問われて私は否定する。
「いいえ、ただ、お忙しいだろうに、なんでわざわざ来るかな? とは思います」
アルヴィンは間髪入れず言った。
「君に会いたいからだ、リーディア」
私はため息を吐く。
「酔狂だなと申しているんですよ」
「……やはり怒っているのか?」
「怒ってはおりませんが、知っていたなら絶対に関わりませんでした」
私がゴーランを選んだ理由の一つは、中央から大きくへだたったこの距離にある。当時の私はとにかく王都から離れたかった。
逃げとそしられても構いはしない。王宮の権力闘争は私をそこまで倦ませたのである。
なのによりによって出会ったのは西の辺境伯アルヴィン・アストラテート。
アルヴィンは安穏たる余生を望む私が絶対に関わってはいけない人間の一人だ。
しかしだ。
確かにゴーランは西の辺境伯の領地だが、王宮騎士だった頃はいざ知らず、一民間人にとって辺境伯は雲の上の殿上人である。
なのに辺境伯がこんな辺境においても草深いと称される田舎宿の常連客になると誰が思う?
私は思わなかった!
冷静に考えると、国防を担う辺境伯が一番注力するのは国境。我が家はその国境近くの宿である。この男と知り合う可能性は十分にあった。
勢いだけで家を買い、宿屋を営業してしまったのが運の尽き。
リーディア・ヴェネスカ、一生の不覚である。
ギリリと唇をかみしめる私にアルヴィンは言った。
「私にとっては最高の幸運だったな。ちなみになんでそんなに領主が嫌なんだ? 悪い評判でも聞いたか?」
「いいえ、大変評判の良いご領主様ですよ。ですがね、私は引退後にのんびり暮らそうとここに来たんです」
「それは分かっている。だが私は君を愛してしまった」
その一言は、私に見つめ情熱的に告げられた。
だが私は「お戯れを」と吐き捨てた。
もう騙されんぞ。
私は警戒一色の眼でアルヴィンを見返した。
アルヴィンはため息を吐く。
「戯れなどではない。私は君に求婚している」
「求婚? 愛人にするのではなく?」
どっちも絶対ごめんだが、私は思わずそう聞き返した。
辺境伯といえば、我が国では侯爵と同等。さらにゴーランはかなり栄えている。
アルヴィン・アストラテートとは望めば王女の降嫁も叶う男である。
なにも好き好んで私みたいな女と結婚する必要はない。
しかしアルヴィンは再度言った。
「君が良い返事をくれるならすぐにでも結婚したい」
ならば話は早い。
「じゃあお断り……」
即刻断ろうとしたら、アルヴィンはあわてて止めてきた。
「待ってくれ、私達はこの半年良き友人として付き合ってきた」
「…………」
そう言われると少し弱い。
彼と過ごす時間は私にとって心地よいものだった。
「話だけでも聞いてくれないか?」
アルヴィンの言葉に、つい、
「……聞くだけですよ」
と答えてしまった。
「ありがとう。まずは自己紹介だな」
アルヴィンは私に向き直る。
「隠していてすまなかった、私の名はアルヴィン・アストラテートだ。リーディア・ヴェネスカ嬢」
アルヴィンは私が彼に打ち明けていなかった姓で呼んだ。
「……やはりご存じでしたか」
「悪いが調べさせてもらった。勇気ある行動をたたえると共に、君のような優秀な騎士が引退を余儀なくされたことは誠に残念だと申し上げる」
そう言うと、彼は私に向かって丁重に礼した。
「ありがとうございます」
「…………」
「…………」
沈黙が落ちた。
「あのう」
と声を上げたのは、私でもアルヴィンでもない。アルヴィンの供、デニスである。
「僕はお邪魔でしょうから、失礼します」
振り返るとデニスは居心地悪そうにしている。
「居ていただいて結構ですよ、デニス卿。ターゲットの側から離れたら仕事にならんでしょう」
声を掛けると彼はブンブンと首を振る。
「いえ、リーディア様。ここが安全なのは分かってますし、正直言ってアルヴィン様は僕より断然強いんで、後はぜひぜひここはお二人で」
言い捨てると脱兎のごとく逃げ出した。
残ったアルヴィンに私は言った。
「我々も戻りますか? お茶でもお入れしましょう」
「いや、せっかく二人になれたんだ。もう少し話していかないか?」
彼はしばらく牧草地を見つめた後、ポツリと話し始めた。
「黙っていたのは本当に悪かった。だがリーディアは私の名を知ればここから去って行ってしまうのではないかと怖かった」
「それは……」
私は否定出来なかった。
ここにきて日が浅い間なら、何もかも捨てて逃げ出したかもしれない。
「私もこの歳だからな。自分の気持ちに正直になるのに時間が掛かった。それに、あまり迂闊な行動は出来ない身上だ」
アルヴィンは自嘲気味に片頬で笑う。
アルヴィンことゴーラン領主は六日前に二十八歳になった。
「誕生日、おめでとうございます」
私も後数ヶ月で彼と同じ歳になる。この年齢で誕生日を祝われてもなぁと思いつつ、一応、私は彼にそう言った。
アルヴィンはというと、案外嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、どうもありがとう。チョコレートもマドレーヌも旨かった。両方一つずつしか食べられなかったが」
……やっぱりチョコ、一粒しか貰えなかったのか。誕生日なのに。
しかもマドレーヌも一個だけ。
案外デニスは非情な男である。
私はアルヴィンに少し同情した。
それはともかく。
「迂闊な行動は出来ないっておっしゃいますが、今十分、それをなさっておいでだと思いますがね」
私は嫌みったらしく苦言を呈す。
だがアルヴィンは私の挑発を淡々と受け流した。
「今動かないなら、私は相当な間抜けだ。人生を共にしたいと望む女性に求婚するチャンスなんだからな。棒に振れば一生後悔する」
それを聞いて私は唖然とした。
「……まさか本気で私に求婚なさっているんですか?」
「私は君以外と結婚する気はない」
アルヴィンはキッパリと断言した。
「……この領、それで大丈夫なんですか?」
思わずそう尋ねた私である。






