30.ベラフの冬 陽動作戦
この辺りは雪は滅多に降らないが、海から来る風が吹くとそれはもうめちゃくちゃ寒い。
だがこの寒さの中、干潮になると有志が連れ立って果敢に海岸へ出かけていく。
彼らのお目当ては町の近くにあるムール貝の群生地だ。ムール貝は秋から冬にかけて身が太る。
まだこの海に魔獣トルクがうようよしていた頃にも、町長達はほんのわずかな隙を窺ってムール貝を採って食べていたそうだ。
それを聞いて私は、よく無事だったなー、と感心した。
まあ、多少の無茶をしたいくらい、貝は美味しい。
ムール貝は岩場に群生している。
岩肌に張り付いた黒の貝殻を、ムール貝突きというムール貝採り専用のヘラでこそげ落として採る。
一度私もやってみたいのだが、滑ると危ないし、寒いからと、妊婦の私はこの役目をやらせてもらえない。
採ったムール貝は泥を吐かせた後、食べる。
パスタと絡めても、スープに入れても、パン粉やチーズを乗せて焼いても美味しいが、個人的に一番好きなのはシンプルな白ワインの蒸し煮。
フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて香りを出す。そこにムール貝と白ワインを加えて蓋をし、蒸す。貝が開いたらハーブを散らして完成だ。
熱々のうちにパンに浸して食べるととても美味しい。
酒を使うため、妊婦の私はほんの味見程度しか食べられないのが残念だ。
他にこの辺りではホタテも捕れる。
ホタテは沿岸から数百メートルから数キロ先の海底で捕れるため、少し前まで危険すぎて水揚げ出来なかった貝だ。
小舟からドレッジと呼ばれるかご状の道具を曳いて、砂地の海底から掘り起こして捕る。
ホタテは燻製や酢漬け、乾燥など、様々な方法で保存も出来る便利な食材だが、なんといってもジャガイモを多めに入れて作るホタテのシチューが最高だ。
美味しく作る秘訣は野菜を大きく切ってよく煮込んだ後、バターで炒めたホタテを最後に加えてひと煮立ちさせること。ホタテは加熱しすぎると身が硬くなるが、こうすると硬くならずに旨味が引き立つ。
私がこの町に残ると告げると、町の人々は想像以上に喜んでくれた。
「リーディア様、この地に留まってくださるんですね」
「どうもありがとうございます」
それから妊娠したことも公表した。こちらも皆、とても喜んでくれた。
「リーディア様、ご領主様、おめでとうございます!」
「どうかリーディア様、お体を大切に」
「無事にお子様がお生まれになりますよう、お祈りしております」
町中の人が、お祝いの言葉と共に様々な贈り物をくれた。
この寒い最中苦労して採ってきてくれたムール貝や、船を出せる者はホタテを。騎士団は山に入って鹿を捕ってきてくれた。ある者は備蓄していた畑の野菜を、またある者は山に入ってネズの実を。小さい子まで野に残っていた冬咲きのエリカの花を摘んで私にくれた。
こうしてもらった食べ物で私を含め料理人達はご馳走を作った。
ジュニパーベリー入りの鹿肉のグリル、ホタテのシチューにムール貝の白ワイン煮。子供と妊婦の私は白ワインの代わりにオリーブオイルで煮たムール貝のオイル煮を。
テーブルの上にエリカのピンクの花を飾り、ご馳走を食べている時、アルヴィンが言った。
「もうすぐ王都で武闘大会が開かれる」
「へー」
「国王陛下の主催で賞金も出るし、なにより今回はセントラル騎士団の団員の選考も兼ねており、優秀な成績を残せば入団出来る」
「えっ?」
私は驚いた。
武闘大会から取り立てられ、騎士団に加わるのは地方などでは良くある話だ。
ゴーラン騎士団でも夏頃に武闘大会が開かれる。
例年は団長であるアルヴィンも出場し、真剣勝負が繰り広げられるため、領内でも人気の催し物だ。
だが私の古巣であるセントラル騎士団は、団員は貴族の子弟に限られ、団員選考は推薦で決まる。
それはセントラル騎士団が王の剣と呼ばれる国王直属の騎士団。王宮騎士団の別名を持つ国内最高位の騎士団であるため。……だったが、セントラル騎士団は、先年、こともあろうに当時王太子だったフィリップ陛下の暗殺未遂という大不祥事をやらかした。
多くの団員が逮捕され、団長も責任をとって辞職。この穴埋めのための武闘大会らしい。
平民でもこの名誉ある騎士団に入団出来るチャンスなので、国中から注目が集まっている。
「それは盛り上がるでしょうね」
「ああ、それから南部では辺境伯の第一子が生まれた」
「あ、レファの子供が無事に生まれたようですね。男の子だったそうで」
レファと私は今でも細々と手紙のやりとりを続けている。
お祝いに赤ちゃん用の靴下を編んだので送ろうと思う。そちらはあまり上手くは作れなかったが、お祝い菓子の定番、アーモンドを糖衣で包んだ砂糖菓子の方は上手くいったのでなんとかそれで挽回しよう。
「南方辺境伯キラーニーとレファ夫人の結婚は隣国スロランとの戦争終結直後、南部地域の立て直しの最中だったため、内々で執り行われた。その分、跡取りのお披露目は領を上げて盛大に祝うそうだ。ゴーランからも領主の名代として使者を送る。それに冒険者やダンジョンの技術者百人も同行させる」
「……随分数が多いですね」
アルヴィンはこういう時、余計なことを勘ぐらせないよう、時期を変えるか、こっそり潜入させるのが常だ。
……何企んでるんだろうか?
思わずじっと彼を見ると、アルヴィンは苦笑しながら白状した。
「フィリップ陛下やキラーニーと協議した結果、『武闘大会』と『南方辺境伯の息子のお披露目』を行うことになった。この二つの催しを、ベラフから人々の目を逸らすための陽動として使わせてもらう」
「陽動ですか」
「ああ。春までベラフに人が近づかないように、儲け話を用意した。商人や貴族達はそちらに食いつくだろう。クラーケンを刺激されては元も子もない」
アルヴィンはしかめ面で言った。
武闘大会を一目見ようと、王都には観客が溢れ返っているそうだ。
さらに南部。
共同でダンジョンを開発している西部が南部に人員を送り込むのは、良質ダンジョンが見つかった証だ。ダンジョンから出る様々な採掘品は大きな富を生み出す。
陽動作戦としてはかなり有効だ。
このベラフの利権を狙う者は数多い。
彼らが今狙っているのは、ベラフの船だ。
クラーケンを倒し、開港となれば次に必要になるのは、海を航行出来る船舶だ。
しかし現在我が国では船を作れる船大工はゴーランにしかいない。そのため彼らを引き抜こうと必死なのだ。
船大工達はそんな話には乗らないが、町の周囲をうろつかれ、万が一クラーケンを目覚めさせるような事態になれば取り返しがつかない。
そのためにアルヴィンは彼らの目をそらし、この隙にベラフの町はクラーケンとの戦いの準備を整える計画だ。
「ノアには使者と共にまた南部に行ってもらう」
とアルヴィンは言った。
「えっ、僕ですか?」
急に話を振られたノアは驚いている。
「そうだ。リーディアは視察中に体調を崩し、領都に戻れなくなったため、ベラフに留まっている。代わりに弟子のノアを南部に遣わしたという筋書きだ。妻の体調不良を心配し、ゴーラン伯はベラフの町によそ者が来るのを非常に警戒している。という噂を流している」
デニスがひどく感心した様子で頷いた。
「ものすごく信憑性がありそうな『噂』です」
***
私はもうすぐ妊娠六ヶ月となり、下腹部はまた少し膨らんで外見からでも妊婦と分かるようになっていた。
いわゆる安定期のため、意外と体調は悪くなく、アルヴィンが流した噂とは裏腹に、元気に過ごしている。
とはいえ重いものは持たない方がいいということで、フライパンのでっかいヤツは振り回させてもらえなくなった。
代わりに菓子工房でケーキなどを焼いて過ごすことが増えていた。
今日のおやつは林檎のフリッター。薄切りの林檎を衣で包んで揚げるシンプルな菓子だ。付け合わせは蜂蜜入りのクッキー。
「リーディア様、後はやります」
クッキー作りと、林檎のフリッターの下準備は私がしたが、フリットを揚げる作業は料理人がカシムに教えながらやるというので、お願いした。たまにだが、油の匂いで気分が悪くなるのだ。
手が空いたのでもう一品、冬の大人のお楽しみを仕込んでおこう。ブランデーがたっぷり入ったブランデーケーキだ。






