28.ベラフの冬 白の貴婦人2
「白の貴婦人ですか……?」
今まで私が住んでいたのはゴーラン地方の田舎町フース。そこでは聞いたことがない言い伝えだ。
戸惑う私にルイン老師が言った。
「ベラフ地方では古くから人魚信仰が盛んだった。白の貴婦人とは、人魚に類する海の精霊の一人だろう。実際にクラーケンは冬の間、沖の深海から動こうとはしない」
フースの町では冬至の夜に魔女が祭りに来るという伝説があったから、まあ、地方によって色々あるんだろう。
港が封鎖され、ベラフの町の住民が激減した後も、町長達が細々と毎年続けてきた大事な祭りらしい。
ちなみに去年の冬至の祭りでは、彼の妻の町長夫人が白の貴婦人の役だったそうだ。
そこで私は町長に尋ねた。
「例年通り町長夫人にお役目を務めてもらうでいいのでは?」
「いいえ」
と彼らは一斉に否定した。
「白の貴婦人は昔から身分の高い美しい女性がその役を務めることになっとるんです」
船大工の一人が言った。
彼は亡くなった両親がベラフの元住民で、祭りのことは彼らから伝え聞いていたという。
「それが白の貴婦人様に対する礼儀なんです。リーディア様が町にいらっしゃるなら、リーディア様以外にお役目を果たせる者はおりません」
「春になれば、クラーケン退治の大仕事が待ってます。どうか、リーディア様、お願いします」
と彼らは頭を下げてきた。
確かに私はこのゴーラン領で一番身分の高い女性だ。
しかし。
「ご覧の通り、私は妊娠中です。『美しい女性』の役には適さないのでは?」
私の問いに彼らは一様に首を横に振る。
「いいえ、白の貴婦人は気高く美しい女性であればいい。夫がいようが子供がいようが関係ありません」
「うちのかみさんも妊娠中も産後も白の貴婦人役を致しました」
と町長が言った。
「冬至の祭りで、女性が主役となるのは珍しいことではない。冬至は魔を祓い、『光の復活』『春の訪れ』を祝う節目であり、光の象徴として、穢れなき乙女が主役に選ばれる地域もある。一方で、冬至祭は厳しい冬を耐え、春の実りを待ち望む人々の祈りの日でもある。豊穣の象徴として既婚の女性、特に経産婦が選ばれる地域もある。白の貴婦人は白という色で光を、貴婦人という身分で豊かさを象徴しているのだろう」
ルイン老師が解説してくれた。
「リーディア様が最も白の貴婦人にふさわしいとわしらは考えます」
「どうか、冬至の祭りに出てくれませんか?」
と再度乞われた。
「……アルヴィンはどう言ってます?」
私としてはアルヴィンが嫌がることはしたくない。
「ご領主様は『リーディアがいいと言えば、私も許可する』と」
「そうですか」
渋々許可したアルヴィンが目に浮かぶ。
しかしさっき彼らが言ったように、春にはクラーケン退治が待っている。
冬の間『クラーケンを眠らせる』という白の貴婦人様のご機嫌を損ねたくはない。
たかだか二週間出立が遅れる程度だ。
「そういうことなら引き受けさせて頂きます」
私は彼らにそう言うと、
「ありがとうございます」
と皆喜んで口々に礼を言ってきた。
そうと決まれば港町らしいとっておきの冬のご馳走を作ろう。
お祭りに欠かせないジューシーな肉の丸焼き、塩漬けタラのパイ、燻製ニシンと玉葱と香草のマリネ、サバと豆のスープ、ホタテやムール貝のハーブ焼き、干しプラムや林檎と煮込んだ甘酸っぱい豚肉の煮込み、燻製ウナギのゼリー寄せ、トルクのソーセージとザワークラウト、ジンジャーや干しイチジク、レーズンなどどっさり入れたご馳走パン、蜂蜜入りスパイスクッキー、ドライフルーツとスパイスが入った祝祭のパイ、アーモンドミルクのプリン……。
***
冬至の夜、ベラフの町では広場に大きなかがり火を焚かれ、その火を囲んで人々は踊り、ご馳走を楽しんだ。
音楽は夜通し奏でられ、町じゅうに響き渡る。
人魚は歌を好むという伝説があり、それにちなんで、ベラフの祭りには歌が欠かせない。
陽気な歌から悲恋の歌、勇ましい英雄譚から静かな鎮魂歌まで、さまざまな歌が夜を彩る。
クラーケン退治の英雄、エルリッヒの歌も人気の曲だ。
ギール家が領主だった頃は禁じられたというこの歌だが、ベラフでは密かに歌い継がれていた。
祭りが佳境に入った頃、海の方から一艘の小舟が浜辺へと近づいてくる。
「白の貴婦人様だ」
誰かが声を上げた。
船には、真珠と銀糸で波紋を縫い込んだ白の礼装を纏った女性がひとり、静かに立っている。
その背後では、従者に扮した白装束の男が二人、無言で櫂を操っていた。
やがて船が浜に着くと、私は静かに小舟を下り、かがり火の揺らめきへと歩み寄る。
そして、広場に集まった人々を前に、口上を述べた。
海の城より、夜の帳をくぐりて参りました。
悪しき者は眠りなさい。善き者は歌いなさい。
さすれば、海は応えましょう。
明けない夜はありません。
光は、そなた達とともにあります。
人々は深く頭を垂れ、白の貴婦人に最上の礼を執り、彼女を迎え入れる。
その後、私が扮する白の貴婦人は壇上に用意された椅子に腰掛けた。
そこに正装したアルヴィンがやって来る。
彼は、内側に長めのチュニックを着込み、その上から丈の短い装飾的なチュニックを重ねた、いわゆるダブルトゥニックをまとっていた。
それは儀式の際に着用する礼服で、白のチュニックの上に金糸で飾られた衣を重ね、さらに肩には真っ赤なマントを羽織り、金の飾りをあしらった、赤の古風なつばの広い帽子を被っていた。
この装いは、我が国において太陽を象徴するものであり、白の貴婦人の対となる服装である。
彼はうやうやしく礼すると、私に言った。
「白の貴婦人よ、一曲お相手いただけませんか」
私は静かに頷いて、彼の手を取る。
その瞬間、広場に集まった人々は大いに湧いた。
歓声と拍手が夜空に弾ける。
白の貴婦人が舞うことは、住民のもてなしに満足した証とされており、彼女の祝福により、春の訪れが約束された。
白の貴婦人を迎え、祭りはさらに盛り上がる。
春を告げる歌と音楽は夜明けまで、ベラフの町に包み込んだ。
***
冬至の祭りを無事に終えた一週間後、私は夜の菓子工房で一人、菓子を作っていた。
材料は、アーモンドミルク、生クリーム、蜂蜜、砂糖、そして北部の辺境伯ロシェットから送られた『とあるもの』だ。
羊飼い達が乳牛も連れてきたため、ミルクは比較的潤沢だが、それでも一日に使えるミルクは限りがある。冬の間はミルクの風味が濃くなり甘みも増すが、一日に採れる乳量は少し減るのだ。
そこで牛乳の代わりに使うのがアーモンドミルクだった。
アーモンドミルクの作り方は、器にアーモンドを入れ、たっぷりの水を注いで一晩浸ける。翌朝、アーモンドをザルにあげ、皮を剥き、包丁で刻んだ後、すりこぎで丁寧にすりつぶす。すりつぶしたアーモンドに四倍の水を少しずつ加えながら混ぜ、馴染ませる。
この液体を清潔な目の細かい布で濾すと出来上がり。これがアーモンドミルクだ。
アーモンドミルクで作るのは冬至の祭りでも作ったアーモンドミルクのプリンなのだが、今回はゼラチンの代わりに北部から送られた『とあるもの』を使う。
北部の湾岸の一部地域で採れるグラシラリアという種類の海藻だ。
シェイン経由で、「リーディア夫人が料理が得意だと聞いて」とロシェット伯がくれた。
海藻がゼラチンの代わりになるなんて、にわかには信じがたいが、作り方も同封されていたので、試しに作ってみることにした。
何かとあわただしい昼の時間を避けて、夜にこっそりと厨房に下りて作業する。
送られてきたのは乾燥させた状態の海藻で、これをよく洗い、一晩水に浸してふやかしておく。その浸し汁を沸騰させないように煮出して濾せば海藻ゼリー液になるらしい。
アーモンドミルクに煮出した海藻ゼリー液、砂糖、蜂蜜、生クリームを加えて熱し、器に入れれば、あとは固まるのを待てばいい。
今は冬の真っ只中だ。
冷暗所にしばらく置いたら、すぐに冷えてプリンが出来上がる。
「リーディア、何を作っているの?」
匂いに釣られたのか、甘いものが好きな海の精霊スキプニッセが、興味津々といった様子でのぞき込んでくる。
「ゼリーになる海藻をもらったから、アーモンドミルクのプリンを作ったんだよ。珍しいだろう? これから試食するけど、君も食べるかい?」
「うん!」
スキプニッセは喜びいっぱいで頷いた。
プリンは、いつも食べているゼラチンのプリンに比べ、ほんの少し、磯の香りがした。あと、ゼリーのプルプル加減も微妙に違う。こっちの方がやや固めである。
しかし言われないと気づかない程度だ。普通に美味しい。
「リーディア、美味しいね」
スキプニッセの言葉に私も頷いた。
「そうだね。美味しいね」
プリンを食べ終えて、私はスキプニッセに言った。
「さて、スキプニッセ。お別れの挨拶をしに来たんだ。私は、明日に帰ることになった」
「えっ?」
スキプニッセは驚いた様子で私を見上げた。
「リーディア、帰っちゃうの?」
「ああ、明後日から雪が強くなるらしいからね。その前に帰ることにしたんだ」
天候に敏感な風の魔法使い達によると、明後日から雪が降るそうだ。
帰りには転移魔法陣を使うが、雪が降ればほんの近場でも移動が大変になる。
その前に私は領都ルツに帰ることを決めた。
「ふうん。ここにいればいいのに」
「そうだね。私も残念だよ。でもまた来るさ」
「……」
スキプニッセは少し考え込むように黙り、その後顔を上げて私に尋ねた。
「領主様は明日は船に乗るの?」
アルヴィンは他の騎士達と共に、冬でも定期的に冬の海にトルク退治に出かけている。
「明後日から海が荒れるらしいからね。明日は海に出る予定だよ」
「そうなんだ!」
スキプニッセは子供らしい顔でにっこりと笑った。
私はじろりと彼を睨んで言った。
「だからといってスキプニッセ、アルヴィンに水を掛けたら今度は許さんぞ」






