27.ベラフの冬 白の貴婦人1
「リーディア、ちょっといいかね」
領都に戻る四日前、私はルイン老師に呼び止められた。
「はい、もちろんです」
側にはシェインもいて、老師の何やら深刻そうな顔に私まで緊張してきた。
「リーディアはもうすぐ領都に戻るつもりだね」
「はい、その予定です」
「シェインはこのまま鍛練を積めば、じきに上級回復魔法を覚えるだろう。それまでわしの手元に置いておきたい」
老師の言葉に、私は息を呑んだ。
「……それはもう! 是非よろしくお願いします」
上級回復魔法の使い手はこのマルアム国でも十指に収まる。
シェインはそんな貴重な魔法使いの一人になろうとしていた。
ルイン老師は子供達の学校の先生の他に、クラーケン退治の魔法担当の相談役も兼任している。
彼はクラーケンが退治されるまでは、このベラフに留まる予定だ。
ルイン老師の側にいるなら、シェインは私と離れることになるが、絶好の機会だ。是非老師の元で学んでほしい。
「シェインもそれでいいね?」
念のため、シェイン本人に聞くと、彼は複雑そうな表情で頷いた。
「はい。ルイン老師に学びたい気持ちは強くありますが、でも私は、本当はリーディア様のお側にいたいんです」
「シェイン」
「お別れするのはとても残念です」
ルイン老師は嘆息を吐いた。
「本来なら、それが良い。リーディアもここに居るべきだ」
「えっ、なんでですか?」
「シェインとリーディアは同じ光属性。シェインの力はリーディアに導かれている。シェインの成長にはリーディアが大きく関与している」
「そうなんですか?」
まったく自覚はない。
「逆もまた然りだ。リーディアもシェインの側で彼の力に癒やされている。体調をを損ねずにいられるのはシェインがそこにいるからだ。今は二人を離さない方が良いと申し上げたが、ゴーラン伯が聞き入れてくれぬ」
と彼は零した。
「あー、アルヴィンが」
アルヴィンは一刻も早く私を領都に戻らせたがっていた。
このベラフは、いつクラーケンに襲われるか分からない。
そのため、自力で逃げられない者は、原則としてこの地に住むことは出来ない。
町には一人で歩けない幼児もいるが、保護者が一緒に避難することを前提としている。家族で移住する際は、幼い子供は一家につき二人までという制約があった。
アルヴィンは身重の私がここにいるのをよしとしない。
私はルイン老師に自分の考えを述べた。
「私は、今はアルヴィンの意志に従うつもりです。私も元騎士です。戦う者を煩わせるわけにはいきません」
アルヴィンはクラーケン退治の鍵を握る神の槍に選ばれた戦士だ。
私が側に居るのが彼の心配の種というなら、私は彼の安寧のためにも領都にいるべきだ。
「仕方ないのぅ」
と老師も渋々同意した。
「……はぁ」
老師とシェインと別れ、一人になった私はため息をついた。
老師にはああ言ったが、実は私にも一つ、心残りがある。
宿舎『紅の人魚亭』のすぐ近くにベラフの町の町役場が建てられた。
私はその町役場に急いだ。
「だからね、この通り、書類は揃っているんですから、いい加減住民にして下さいよ。お願いしますよ」
隠しきれない中央部の訛りでネチネチとうちの文官に詰め寄るのは、住人の申請にきたという元ベラフの町の住人の『縁者』だ。
ベラフの町周辺の安全が確保出来た秋頃、アルヴィンはゴーラン領内に通達を出し、ベラフの町再興のための人材を大っぴらに集め始めた。
いわゆる『領主様のお触れ』である。
この通達は領外にも知られることになったが、通達の直後はまったく注目されなかった。
ベラフ近郊の海には今もクラーケンが巣くっており、ベラフ開港は到底不可能と考えられたのだ。
しかし、それから数ヶ月が経ち、ベラフの町が活気づくにつれて、次第に情勢が変わってきた。
トルクの油や塩田で作る塩、海産物。
今ですら、ベラフの町は宝の山だが、クラーケンを倒し、開港すればベラフはさらに発展する。
かつては一笑に付されていたベラフ開港が現実となる日も近い――。
中央部の大商人達は利権を得ようと動き始めた。
ギール家が断罪され、「旨み」を奪われた者が、開港の好機に群がってきたのだ。
アルヴィンはこの動きを警戒し、移住希望者を厳しく審査しているが、彼らはあの手この手で町への侵入を試みる。
現在、ベラフの住民になるには役場が発行する許可証が必要だった。
ゴーラン騎士団の兵士、領内冒険者ギルド斡旋の職人や冒険者、北方辺境伯ロシェットの命を受けて派遣された羊飼いや北方騎士団の兵士。彼らのような領からの招集を受けて、入植している者は無条件に許可証が発行される。
一般人の受け入れは春までは原則としてなし、というルールだったが、例外として、ベラフや近隣の町の住民は、移住を認められていた。
当初、この住民規定には、やむを得ず故郷を離れた元住人とその家族への配慮が含まれていた。しかし近頃は、自称「親戚」を名乗る者達が次々に潜り込もうとしてきて、規定の趣旨がねじ曲げられている。
そのため急遽、住人審査の規定は変更となった。
「ベラフの元住人とその家族や親戚のうち移住を希望される方には、ベラフではなく、ベラフの隣の町に住んでいただきます。もちろん仕事も斡旋しますよ」
文官は男に丁寧に説明した。
ベラフ近くに魔物に襲撃され廃墟となった町がある。
アルヴィンはその町に、トルクの油の加工処理場とトルクの油を使った石鹸工房を建てた。
そちらも人手不足なので、単に働き先が欲しいならその町で十分だなのだが。
「俺はベラフの町で働きたいんだ。そんなこと言わずにさ……」
男は文官に小さな袋を渡そうとする。
中身は多分貨幣だろう。いわゆる袖の下というやつだ。
文官は不快そうに眉をしかめ、
「規則ですから」
と冷たく言った。
男は一層声を潜めて文官に囁いた。
「頼むよ、これだけで足りないなら、もっと用意するよ」
さらに詰め寄る男に私はわざと大きな声を張り上げた。
「駄目駄目、私が許可しないよ。領主夫人命令だ。帰ってくれ」
「領主夫人?」
男は、空気を読まずに話に割り込んだ私を驚いたように見たあと、後ろに控える護衛の騎士に気づいて、肩をビクッと跳ねさせた。
「ちっ、また来ますよ」
男は捨て台詞を吐いて、去って行った。
「助かりました、リーディア様」
文官はホッとした顔で礼を言った。
「いや、このくらい、大したことはないよ。妙な連中に入り込まれると厄介だ。今後も大変だろうが、頼む」
今もベラフの町はめちゃくちゃな人手不足だが、怪しい者を紛れ込ませるわけにはいかない。
文官達はその辺りを十分心得ている。
「はい、分かっております」
と神妙な顔で頷いた。
ゴーランの文官達は優秀だが、ああいう輩はかなり手強い。現に先ほどの男も、「また来る」と言った。
これからもしぶとく文官達に絡んでくるんだろうと思うと、「私がいたら風よけくらいはやれるんだがな」とつい考えてしまう。
しばらく役場で文官相手に引き継ぎをしていると、珍しい人達が私を訪ねてやって来た。
「リーディア様、ちょっといいですか?」
「おや、どうかしましたか?」
船大工に漁師、それに町長。何故かルイン老師も一緒だ。
「領主様からあなた様が領都にお帰りになると聞いて急ぎやって来たのです」
「そうなんです。四日後に戻ることになりました」
彼らは私がそのうち領都に戻る予定なのは知っていたが、それが『いつ』とは正確に知らなかったらしい。
何かの拍子にアルヴィンから私が数日のうちにこの地を去ると聞いて仰天したそうだ。
てっきり別れの挨拶をしに来たのかと思いきや、彼らは私に言った。
「リーディア様、二週間後の冬至の祭りに出て頂けませんか?」
「冬至の祭りですか?」
私は面食らった。
冬至は、一年で最も日が短い日で、一年で最も夜が長い。
悪しき者はこの夜に跳梁するという伝説があり、冬至は彼ら悪しき者を祓う祭りでもある。
冬至を境に、太陽の出る時間は少しずつ長くなる。太陽が再生する日とも言い伝えられている。
彼らが言う通り、今年の冬至は二週間後に迫っていた。
フースの町の冬至の祭りに参加したことがあるが、ご馳走食べて焚き火を囲んで踊った記憶しかない。
強いて言うと、冬至の夜は悪しき者達がやって来るからその日の食事には彼らが嫌うハーブとスパイスを入れること。そして厳重に戸を閉めて家の中で過ごすという決まり事があったくらいだ。
私に『出てくれ』って何事だろうか?
「白の貴婦人の役をリーディア様にやってほしいんです」
「白の貴婦人?」
「はい、このベラフでは昔から、冬至の夜になると、海から高貴な女性が現れるという伝説があります。白波のドレスを纏い、気高く美しいそのお方は、白の貴婦人と呼ばれております。彼女は冬の間、その白き御手でクラーケンを眠らせ、春になれば豊かな実りを授けてくださる。わしらの守り神です」






